■ビートルズの前座でドリフが行った意外な行動
最近、ザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)関連の特番をよく目にする。しかも放送はゴールデンタイム。コントの名場面集、ドリフの名作コントに現役芸人が挑戦する企画など内容はさまざまだが、昭和に活躍したお笑いタレントでいまだにこれほど“現役感”のある存在はほかに思いつかない。
なぜドリフは時代を超えて愛されるのか? 『8時だョ!全員集合』にその秘密を探ってみたい。
「本当のところ、新しいネタ作りに追われていた私には、迷惑な仕事でしかなかった」と振り返るのは、ドリフのリーダーである長さんこといかりや長介だ。
「迷惑な仕事」とは、1966年日本武道館で開催されたザ・ビートルズ来日公演の前座のこと。名誉だと思っておかしくないが、いかりやは違った。
観客は当然ながらビートルズ見たさに集まってくる。ほかの出演者は邪魔でしかないだろう。そう思ったいかりやは、“奇策”に打って出る。
■客席にいた「後の大物芸能人」
ドリフは元々ミュージシャンの集まりである。いかりや(ベース)がリーダーで加藤茶(ドラム)もいたバンドに、荒井注(ピアノ)、仲本工事と高木ブー(ともに歌とギター)が加わってドリフの原型が出来上がった。後に加入する志村けんも、ドリフのボーヤ(ミュージシャンの付き人)からスタートしている。
ちなみにまだ普通の高校生だった志村はビートルズの大ファンで、ドリフの出演日ではなかったが武道館公演のとき客席にいた(志村けん『変なおじさん【完全版】』)。
当時、ドリフの主な活動拠点は若者の集まるジャズ喫茶。そこで音楽に絡めてギャグやコントをやるコミックバンドとして人気を集めていた。そして少しずつテレビにも出るようになっていた。
音楽畑の出身という事実は、ドリフの笑いを考えるうえでとても大切だ。笑いには間合いとリズム、テンポの良さが必要だとよく言われるが、ドリフの場合その土台はバンドとしてともに演奏するなかで培われたものだろう。
■なぜミュージシャンが起用されたのか
1960年代後半、テレビにお笑い番組ブームが到来していた。
テレビ局はジャズ喫茶で新たなスター候補を探し始め、ドリフに白羽の矢が立つ。そうして誕生したのが、最高視聴率50.5%(世帯視聴率。関東地区、ビデオリサーチ調べ)をはじめ高視聴率を連発して「怪物番組」と呼ばれた『8時だョ!全員集合』(TBSテレビ系、1969年放送開始。以下、『全員集合』)だった。
当初TBSは、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)ですでに茶の間の人気者になっていたハナ肇とクレージーキャッツをメインにと考えていた。だがプロデューサーの居作昌果(いずくりよしみ)は、ドリフの起用にこだわった。
そこにはコント55号にどう対抗するかということがあった。当時コント55号は人気絶頂。しかも同じ土曜夜8時台の裏番組『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系)が高視聴率をあげていたからである。
コント55号の笑いは、アドリブが基本。欽ちゃんこと萩本欽一が自由自在にツッコみ、二郎さんこと坂上二郎が欽ちゃんの強烈なツッコミを受け止め、絶妙のボケを返す。
■いかりや長介の稀有な才能
同じことをやっても絶対に勝てない。そう考えた居作は、「時間をかけて徹底的に練りに練り上げた『笑い』」で対抗しようとした(居作昌果『8時だョ!全員集合伝説』)。
その点、いかりや長介はまさにうってつけの存在だった。不器用で口下手ないかりやはトーク番組の司会などは不得手。だが、「ギャグをじっくりと考えていくのが、大好き」という点では右に出る者がいなかった。学校の教室でのコントだとする。するといかりやは、黒板、教壇、生徒の机や椅子、ランドセル、教室の窓、ドアなどあらゆるものを使ったギャグをいつまでも考えて飽きることがない(同書)。
慎重な性格のいかりやは、最初簡単には首を縦に振らなかった。だが居作の熱心な誘いに負け、『全員集合』の企画は動き始めることになる。
■「あんまりカトちゃんをいじめないで」
ドリフの笑いの成功は「メンバーの位置関係」をつくったことにある、といかりやは言う(前掲『だめだこりゃ』)。
ドリフのコントには、いかりやが強者、他のメンバーが弱者という基本構図がある。
いかりやは、特に加藤茶を目立つポジションにした。怒られても悲惨にならず、茶目っ気があり愛される。そこを見込んだのである。ある時、いかりやはたまたま乗ったタクシーの運転手に「長さん、あんまりカトちゃんをいじめないでよ」と言われ、内心「やった! 狙い通りだ!」と快哉を叫んだ(同書)。
むろんそうなるには単なるいじめに見えてしまわず、ちゃんと練り上げられた笑いになっていることが大前提。事前の入念な準備が欠かせない。ネタ決めとリハーサルには、毎週木曜と金曜の丸々2日間が費やされた。
まず設定を決め、どういうギャグを盛り込むかを話し合う。毎週のことなので、屋根から金ダライが落ちてきて頭に当たるといった定番ギャグだけでなく、新しい仕掛けもあったほうがよい。その結果、「位置関係」に基づいたお約束の笑いだけでなく、大がかりな仕掛けが『全員集合』のもうひとつの目玉になった。
■生放送中に車が舞台に突っ込む
いまでも語り継がれているのが「屋台崩し」だ。舞台上の大きな家のセットが、なにかのきっかけで一気に崩れ落ちたり破壊されたりするスペクタクルな仕掛けである。
あるコントでは、ドリフ一家の家は崖の下にある。そして崖の上には巨大な岩がいまにも落ちてきそうになっている。そこに近所で建築工事が始まり、その振動で岩が大きく揺れ始める。志村けんが屋根に上ってなんとかしようとするが、最後はあえなく落下。家は全壊してしまう。
また本物の自動車をセットの家に突っ込ませた驚きの回もあった。海辺の民宿が舞台のコント。周辺は暴走族のたまり場で、パトカーとのカーチェイスが繰り広げられている。右往左往するドリフ一家。その騒ぎがようやく収まったかと思ったら、今度は隣の崖から本物の車が走ってきて家の2階部分に突っ込むという強烈なオチである(山田満郎『8時だョ!全員集合の作り方』)。
こうしたことをすべて生放送でやっていたのだから、改めて驚く。それゆえ、予想外のハプニングが起こってしまうこともあった。
停電した話は有名だ。8時に番組が始まったが、会場の市民会館は照明がつかず真っ暗。音声は大丈夫なようで、ドリフの面々のあわてた声が聞こえてくる。そのうち懐中電灯でいかりやの顔が照らされ、「もう少々お待ちください」と客席に語りかける。
そして時間をつないでいるうちにようやく照明が戻り、いつもの「8時だョ!全員集合!」ではなく「8時9分半だョ!全員集合!」のオープニングになったのだった。
■ジャズ喫茶のライブと同じ
こう振り返ってみて、『全員集合』という番組には単なるお笑い番組の域を超えたライブ中継の魅力があったことがよくわかる。
居作はこう言う。「これは生放送の番組なのである。だが、会場に足を運んだ観客たちは、会場を出るとき誰ひとりとして、テレビ番組を見たと思って帰って行く人はいない」(前掲『8時だョ!全員集合伝説』)。
いかりやが『全員集合』の話を引き受けたのも、それがジャズ喫茶でのライブと似ていると思ったからだった。「リハーサルをみっちりやり、公会堂などに客を入れ、公開生放送でやりたいというところ」に惹かれたいかりやは、「それはつまりジャズ喫茶の延長線上のものだろう」と考え、オファーを受けることを決意する(前掲『だめだこりゃ』)。
実際、『全員集合』には、音楽ライブを見るような面白さがあった。「少年少女合唱隊」や「ヒゲダンス」のような音楽絡みの企画だけでなく、ドリフのコント自体に、台本という楽譜に沿いながらコントという楽曲を全員で生演奏しているのを味わうような楽しさがあった。
■だから令和でも愛され続ける
そしてそんなライブ感覚あふれる番組だったがゆえに、会場の子どもたちも自然に参加できた。
コントの冒頭でいかりやが客席と交わす「オッス!」の挨拶は、いわばライブのコール&レスポンス。コント中、後ろの出来事に気づかない志村けんに子どもたちが発する「志村、うしろ! うしろ!」の絶叫もそうだ。『全員集合』はまさに参加自由のライブだった。
ドリフの笑いは、時事風刺のような理屈っぽさはいっさいなく、顔の表情や動き、無邪気ないたずらや悪ふざけといった理屈抜きの面白さで魅せるものだった。
要するに、誰もが思い当たるような、世代を問わず楽しめるシンプルな笑いである。したがって、時代も問わない。『全員集合』とドリフが令和になったいまも愛され続ける最大の理由は、おそらくそこにある。
現在のテレビを見渡しても、『全員集合』のように生放送のわくわく感のなかでシンプルな笑いを楽しめるバラエティ番組は見当たらない。シンプルな笑いをベタな笑いと低く見る風潮もあるが、だからと言ってシンプルな笑いが時代遅れなわけではない。むしろ普遍的であり、いまなお新しい。無意識にそう感じるからこそ、ドリフの特番も廃れないのだろう。
いま『全員集合』のような番組をつくることには予算面など色々なハードルもあるだろう。だがそこには、バラエティ番組を復権させるための重要なヒントが隠されていると思う。
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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)