日本でラグビーワールドカップが開催されており、連日の話題となっています。日本がロシアのみならず、9月28日には世界ランク2位の強豪・アイルランドも打ち破ったことが、日本中に大熱狂をもたらしています。

「打ち破った」と書いてしまいましたが、実際には、ラグビーに対して使ってはいけない言葉でしょう。試合後、負けたアイルランド選手たちが花道をつくり、そこを通る日本選手たちのナイスプレーを讃える。そんな素敵な光景を見るたびに、ラグビーはイギリスが生んだ紳士のスポーツであることを思い出すのです。

 僕がイギリスに在住していた時のことです。ある日、友人宅のホームパーティーに招待されました。そのお宅のご主人は僕たちよりも遅く帰宅されたのですが、胸にエンブレムが付いたネイビーブレザーを着こなしていました。何か、アッパークラスの会合でもあったのかと思ったのですが、「アマチュアのラグビーチームに所属しており、試合場にはチーム指定のブレザーを着て行かなくてはならず、試合後もユニフォームからブレザーに着替えて試合場を後にしなくてはならないのです」ということでした。

 試合後にチームメイトとビールで乾杯するため英国風居酒屋パブに繰り出す際にも、ネイビーブレザー、わかりやすく言うと“紺ブレ”を着て行きます。そんな集団が、チームのエンブレムを向け合って、今や日本でも流行っている英国のエールビールで乾杯するわけです。

 このエンブレムひとつとっても、本来はヨーロッパの貴族の紋章であり、それが現在では大学やチームの紋章としてデザイン化されているのです。ご存じの方も多いかと思いますが、ブレザーというのは、本来は上流階級のスポーティーなユニフォームで、英国の気品と誇りを感じる洋服です。

 イギリスやスコットランド、アイルランドをはじめとした英連邦および旧英連邦、たとえば、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどの国々、つまりはラグビーの強豪国にあたる国々では、アッパークラスの子弟が通う学校には、必ずラグビー場があります。

同じくイギリス発祥のサッカーは、人気が世界的レベルなので練習場は多く点在していますが、ラグビー場のある限られた学校は、地位も名誉もお金も持っているような中流以上の家庭でなければ、なかなか通うことができません。もちろん、生徒の成績もトップレベル。つまり、学校や地域の品定めをするには、「学校にラグビー場があるか否か」を見ればわかるのが、英国や関連国です。そんななかで発展を遂げたスポーツが、ラグビーなのです。

日本式の“お辞儀”が広まる

 僕は以前、ラグビーを見るたびに、体と体をぶつけ合い、土と汗にまみれ、怪我も多い荒々しいスポーツだと思っていたのですが、英国に住んでいた時に、ラグビーを見る機会が多くなって気付いたのは、ラフプレーがあまりないということでした。サッカーのように、反則を取られるのがわかっていても、駆け引きのひとつとして、あえてファウルを冒すというようなことは少ないと思います。そして、試合後は勝者も敗者もなく、お互いが尊敬をもってたたえ合います。そこは日本の相撲道に近いように感じました。

 そんななか、今回のワールドカップでは、優勝候補でもあるニュージーランドの選手たちが、宿敵・南アフリカに勝った際にピッチに整列し、まるで日本人のようにチーム全員がスタンドの観客に深々とお辞儀をしたことが、英国の主要紙「ガーディアン」に取り上げられました。国際試合では、一般的に観客は自国のチームを応援しますが、この試合ではニュージーランドの真っ黒なユニフォームを着て応援している日本人ファンも多くいたことが、ニュージーランド選手を感激させました。同国のキーラン・リード主将は、インタビューでこう語りました。

「日本の人たちとできる限り緊密につながることが、僕たちにとってとても重要なことなのです。

皆さんがオールブラックスを愛していることを知っています。皆さんからの愛を少しでも返したい。我々はそれを示す必要があるのです」

 そしてその後、ほかの国々のチームもそれに習い、深々とお辞儀を始めています。

 ガーディアン紙では、正しい“お辞儀の仕方”についても伝授。「首と背中を真っ直ぐに保つ。視線を下に、両手は脇に。腰を45度ぐらいまで曲げるべし」と紹介しているそうです。実際に、お辞儀は日本文化で、欧米では会釈程度が普通なので、ラグビー選手たちの日本に対する理解と相手にリスペクトを伝えようとする態度がよくわかります。そしてそれは、今回のラグビーワールドカップを通して、日本人の精神に深く刻み込まれると思います。

「ラグビー」の作曲家・オネゲル

 さて、1823年に英国の上流階級の子弟が通うラグビー校で始まったといわれるラグビーは、あっという間に広まっていきました。ある日、フランスの大作曲家・オネゲルが観戦していたときのことです。

 隣に新聞記者が座っており、「オネゲルさん、スポーツを音楽で表現できますか?」と尋ねられたのをきっかけに、『ラグビー』という曲を書いて、1928年に初演したのです。

2つのチームが戦っている様子を表した7分程度の作品です。ちなみに、このオネゲルはほかにも変わった曲を書いた作曲家です。『交響曲第2番』などは名作中の名作なのですが、蒸気機関車が走っている様子を音楽で表した『パシフィック231』という作品が話題を呼び、「蒸気機関車の作曲家」として有名になってしまいました。
(文=篠崎靖男/指揮者)

●篠﨑靖男
 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。


 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

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