「私はずっと弾き続けているのに、シンバルは数回叩くだけ。でも、私たちとギャラは同じなんだよね」
これは、弦楽器奏者がよく言うジョークです。
それでも、本番では第1楽章から第4楽章までずっとステージに居なくてはなりませんが、リハーサルならば状況が異なります。指揮者が第2楽章を始めたころにやってきて一度叩くか、もし指揮者がこだわりを見せれば数回叩いて、今日の仕事はもう終わり。第3楽章以降も演奏し続ける奏者たちから、羨望か恨みかわからない視線を浴びるかどうかはわかりませんが、早々と家に帰ることができるのです。
しかし、実はシンバルというのは、とても難しい楽器です。奏者は、もちろんほかの楽器と同じく、狭き門の超難関オーディションを受かった優秀な楽員です。余談ですが、オーケストラのオーディションというのは、一般企業の入社試験と大きく違う点がひとつあります。それは、いくら人員が必要でも、気に入った演奏者がいなかったら採用ゼロということもよくあるのです。さらに、受かったとしても1年程度、仮団員として仕事をさせてみて、その結果、正団員にしてもらえないこともよくあるのです。
僕が芸術監督を務めていたフィンランドのオーケストラでは、トランペットのオーディションを4~5回行い、やっと決まったことがありました。しかし、このトランペット奏者も正団員として採用できず、その後も何度もオーディションを繰り返すことになりました。
シンバルを叩くのも、そんなプロの厳しい目で選ばれた超天才打楽器奏者で、名人級の人もたくさんいます。
シンバルは、2枚の金属でできたお皿のようなものを重ねるようにお互いに勢いよくぶつけて音を出す楽器ですが、これが見た目と違ってとても難しいのです。素人が叩いてみると、単に2枚のお皿が重なった鈍い音がするだけです。しかも、とても重いので、コントロールするだけでも大変です。通常のオーケストラでは打楽器奏者なら誰でも叩きますが、ロシアのオーケストラではシンバルだけを担当するシンバル奏者として採用されるほどなのです。
そのロシアがソビエト連邦だった頃、シンバル奏者は椅子に座って叩いていました。そんな東西冷戦時代に、平和文化交流の一環としてアメリカからボストン交響楽団がモスクワを訪れた際、ソビエトを代表する指揮者のひとりであるキリル・コンドラシンがホールで聴いていました。その時にコンドラシンが注目したのは、シンバル奏者が立って演奏していたことでした。翌日、自分のオーケストラのリハーサルでコンドラシンは、シンバル奏者に「これからは立って演奏するように」と命令しました。
当時のソビエトでは、指揮者が大変大きな権力を持っていたので、「お願い」ではなく絶対的な「命令」でした。しかし、そのシンバル奏者は「できません」と答えたのです。
今でも、ロシアや東欧のスラブ系オーケストラには同じような雰囲気が残っているのですが、指揮者はまさしく“独裁者”の時代で、もし引き下がるようなことがあれば、ただでさえ個人主義が強いスラブ系の楽員たちは、次の瞬間から指揮者の話など聞いてくれなくなるでしょう。コンドラシンは、このシンバル奏者をクビにし、隣でほかの打楽器を叩いていた楽員に「これからは君がシンバル奏者だ。立って演奏するように」と一言だけ命じ、話が終わりました。
今では考えられない話ですが、不本意にも急にシンバルを叩くことになったこの楽員が、その後、ソビエトを代表するシンバル奏者のひとりになったのですから、人間の運命というのは不思議なものです。
イタリアの巨匠トスカニーニの癇癪一方、片足を失っていたために立ってシンバルを叩くことができなかっただけでクビにされてしまう楽員も気の毒です。ソビエトだけでなく多くの国で、労働組合ができるまでは、オーケストラ楽員も一般労働者と同じく簡単にクビにされてしまっていました。
イタリアの巨匠アルトゥーロ・トスカニーニがアメリカのニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者をしていた頃などは、リハーサル中に気に入らない奏者がいれば、彼があまり英語が堪能ではなかったこともあり、たった一言「アウト」と言うだけでした。そして、その奏者は翌日から仕事がなくなったのです。もちろん、今では世界各国にしっかりとした音楽家ユニオンがあり、演奏家の権利を守っています。
このトスカニーニ、音楽は素晴らしいのですが癇癪持ちでした。
(文=篠崎靖男/指揮者)
●篠﨑靖男
桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/