東京都大田区のマンションに3歳の娘を8日間放置して鹿児島まで交際相手の男性に会いに行き、娘を衰弱死させたとして保護責任者遺棄致死の容疑で逮捕された梯沙希容疑者は、彼女自身が17年前に母親から虐待を受けていたという。
梯容疑者は8歳のとき、「自分の言いつけを守らない」と激高した母親から頭や顔を何度も殴られ、身体を布のひもやビニールテープで縛られた。
この事件を契機に梯容疑者は宮崎県内の児童養護施設に入り、高校卒業まで過ごして、卒業後に上京したようだが、これだけ壮絶な虐待の被害者であれば、「あんな親にはなりたくない」と思うのではないか。
だが、子どもの頃はそう思っていた虐待の被害者でも、自分が親になると、自分が受けたのと同様の虐待をわが子に加えることはまれではない。私の外来に通院している患者のなかにも、子どもへの虐待が発覚して、子どもを児童養護施設に預けている方がいるが、話を聞くと幼い頃親から虐待を受けていたそうだ。実際に子どもを虐待しないまでも、虐待の被害者のなかには、「自分もわが子を虐待してしまうのではないか」という不安にさいなまれている方が少なくない。
実際、虐待の連鎖はしばしば起こる。「自分がされて嫌だったのなら、同じことを子どもにしなければいいのに」と私は思うが、残念ながら、そういう理屈は通用しないようだ。
「攻撃者との同一視」このように虐待が連鎖するのは、「攻撃者との同一視」による。これは、自分の胸中に不安や恐怖、怒りや無力感などをかき立てた人物の攻撃を模倣して、屈辱的な体験を乗り越えようとする防衛メカニズムであり、ジークムント・フロイトの娘、アンナ・フロイトが見出した。
このメカニズムは、さまざまな場面で働く。たとえば、学校の運動部で「鍛えるため」という名目で先輩からいじめに近いしごきを受けた人が、自分が先輩の立場になったとたん、今度は後輩に同じことを繰り返す。
「攻撃者との同一視」が最も深刻な形で現れるのは、親子の間だろう。子どもの頃に親から虐待を受け、「自分は理不尽な目に遭い、つらい思いをした」という被害者意識が強いほど、自分と同じような体験を他の誰かに味わわせようとする。いや、より正確には、自分がつらい思いをした体験を他の誰かに味わわせることによってしか、その体験を乗り越えられないというべきだろう。
しかも、「攻撃者との同一視」は無意識のメカニズムなので、かつての被害者が知らず知らずのうちに加害者になってしまう。その結果、虐待の連鎖が起きる。こうした悲劇を繰り返さないためには、子育てを親だけの責任にするのではなく、社会全体で子どもを育てていくという視点が必要なのではないだろうか。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
片田珠美『子どもを攻撃せずにはいられない親』PHP新書、2019年
アンナ・フロイト『自我と防衛』外林大作訳 誠信書房、1958年