俳優の佐藤浩市の発言をめぐる“炎上”が沈静化しそうにない。
佐藤は今月発売の漫画誌『ビッグコミック』(小学館)のインタビュー記事内で、映画『空母いぶき』(24日公開/若松節朗監督)に総理大臣・垂水慶一郎役で出演している件について触れ、「最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。
たとえば作家の百田尚樹氏は自身のTwitterで「三流役者が、えらそうに!!何がぼくらの世代では、だ。人殺しの役も、変態の役も、見事に演じるのが役者だろうが!」「もし今後、私の小説が映画化されることがあれば、佐藤浩市だけはNGを出させてもらう」と佐藤を批判。
また、幻冬舎社長の見城徹氏も自身のTwitterで「佐藤浩市さんの真意は[安倍首相を演じるのに抵抗感があった]ということだと思う。それを[体制側]などと婉曲に言うからおかしなことになる。だったら出演を断れば良かった。脚本変更を要求して、病気を笑い者にするように演じたなら、黙して語らないことだ。そんな悪意のある演技を観たくもないよ」と投稿した。
ちなみにインタビュー内で佐藤は役づくりのために実際に政治家にも話を聞いたと明かし、「何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたい」などとも語っており、ネット上では「おかしくはない」「寧ろ前向きに役を演じようとしている」「(批判している人は)曲解している」などと、佐藤を擁護する声も多数みられる。
●制作現場では、よくあること
映画業界関係者は語る。
「百田氏などによる佐藤への批判をみると、あたかも佐藤が無理やり脚本や登場人物のキャラ設定を変えさせたかのように思い込んでいる人も多いようですが、実際の映画制作の過程において、俳優や監督をはじめとするスタッフ陣がいろいろとアイディアを出し合うなかで、当初の人物設定やセリフが変わっていくというか、練り上げていくというのは、普通によくあることです。たとえば、俳優というのは役のキャラが強いほうが演じやすいという面もあるので、自身の演じる役柄が“つまらない”と感じれば、『こういう人物にしたらどう?』みたいに、いろいろと考えを出すことはよくあります。
特に本作の若松監督と佐藤は過去に何度も一緒に仕事をしており、ざっくばらんに『もっとこういう役柄にすれば、人物に深みが出るのではないか』などとディスカッションしたなかで、キャラクターが練られていったのでしょう。必ずしも俳優の意見が100%通るわけではないし、逆に監督や脚本家の意見が100%通るわけではないので、佐藤の一方的なわがままで無理やり変えさせたというのは、ちょっと考えにくいです」
また、佐藤が安倍首相の病気を揶揄しているのではないか、という批判について、別の映画業界関係者は語る。
「そもそも佐藤がインタビュー内で具体的に安倍首相に言及している箇所はなく、安倍首相を揶揄する意図があったのかどうかは、記事を読む限りはまったくわかりません。そのような意図がなかったからこそ、佐藤サイドによる事前の原稿チェックでも問題視されずに削除されなかったとも考えられます。純粋に首相という地位の責任の重さを表現したいという意図で、表面的には威厳を保っているものの実はプレッシャーに弱い一人の男が、しばしば下痢に悩まされながらも職務を全うするという役どころにすることで、より人物描写に深みを持たせたかっただけかもしれません。百田氏は安倍首相と親交があるだけに、揶揄されたと曲解している可能性もあります。
ただ、たとえ佐藤に揶揄する意図がなかったとしても、もしそういう人物設定にすれば、映画に対して『安倍首相を揶揄している』という批判が出ることは容易に想像でき、どこかの段階で制作陣のなかから懸念や指摘が上がってしかるべきだったのではないかといわれれば、反論は難しいのは事実でしょう。もしくは、懸念の声は出ていたものの批判覚悟で“このまま行っちゃおう”となったのかもしれませんし、そこは作品が違えば当然ながら制作現場の勢いや“熱”みたいなカラーも違ってくるので、なんともいえませんが」
図らずも公開前から話題を振りまく格好となった『空母いぶき』。作品としてはどのような評価を得るのか、今から気になるところである。
(文=編集部)