恐ろしい話である。
しかも恐ろしさの質が変化していく。
デヴィッド・グラン『花殺し月の殺人』(早川書房)はそういう一冊である。
本書は創作ではなく、熟練のジャーナリストによって書かれたノンフィクションだ。2017年に刊行されるやさまざまな媒体の書評に取り上げられるなど話題になり、全米図書賞のノンフィクション部門で最終候補に選ばれ、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の犯罪実話賞を獲得している。
題名にある花殺し月とは、ネイティヴ・アメリカンであるオセージ族が5月を指す言葉である。
オセージ族はもともと北米大陸中部で広大な土地を支配していた。しかしこの地に入植してきたヨーロッパ人によって先祖代々の土地を奪われ、保留地に封じ込められてしまう。彼らが幸運だったのは、そこに北米最大の油脈があったことである。賢い指導者によってオセージ族は、石油採掘業者から巨額のリース料とロイヤルティを得ることに成功した。
作者は事件の始点を1921年5月24日に仮置きする。その日オセージ族の女性、モリー・バークハートは、姉アナの行方が知れないことに心を悩ませていた。しっかりとした倫理観と宗教心を持つモリーと違ってアナは、アルコールの問題を抱えていたのである。アナの失踪から一週間後、彼女とは別のオセージ族の死体が発見される。その頭蓋骨には銃で撃ちぬかれた痕があり、処刑されたことが明らかだった。
こうしてオセージ族にとっての災厄の時代が幕を開ける。アナの死から二ヶ月後、急激な体調不良に見舞われていた彼女の母・リジーが命を落とす。年が明けて1922年2月、今度は29歳のオセージ族の青年がストリキーネ中毒に酷似した症状を呈して死亡した。
わずかな間に20人以上もの死者が出るのである。
第2部では捜査局(後の連邦捜査局。
最初に書いたように地獄の底の底を描く作品である。第1部と第2部の事柄の間にはとんでもないどんでん返しがあるのだ。第1部の内容からは想像もつかないような人物が真犯人として取り上げられることになる。覆されるのはそれだけではない。第1部で存在がほのめかされた捜査の妨害者が、単なる無法者ではないことが第2部に入ると明らかになっていくのである。オセージ族がオイルマネーを手にして富裕層化したことを快く思わない者は、白人一般にも多かった。保守層に支持された政治家は、非白人が富を手にすること自体が罪悪だと信じ、オセージ族の人権を制限する法律を次々に成立させていたのである。そうした偏見や悪しき制度が事件に大きな影響を及ぼしたことが明らかになっていく。
ここまでが正史で明らかになった部分である。ところがさらにどんでん返しがある。時代が一気に飛んで現代になる第3部では、探偵役を務めるのは作者、デイヴィッド・グラン自身である。入魂の調査によってグランは、トム・ホワイトによる幕引きだけが事件の真相ではなく、さらなる裏があったことを示すのだ。ここの読み心地は、よくできた謎解き小説のそれとまったく変わりない。トム・ホワイトが見逃したものや、調査によって新しく発見された手がかりをグランは読者に呈示し、独自の推理を展開していく。それはホワイトが辿り着いたよりもはるかに醜悪で、かつ救いのないものだった。
これほどに大規模な、かつ法の存在を無視した事件は現在では起こりえないと考える人は多いかもしれない。しかしオセージ族連続殺人の背景を見れば、悲劇が形を変えて再現されないと断言できる根拠はどこにもないのである。100年以上の事件が意外なほど身近なものだということを発見し、読者は最後に恐怖するはずだ。
(杉江松恋)