坂崎かおるは2020年から本格的に小説執筆を開始、すぐにいくつものコンテストで結果をあらわした、注目の新鋭だ。本書は初の単行本。

ふたつの書き下ろしを含む、全九篇を収録している。はっきりとSFガジェットが登場する作品もあれば、奇想小説と言うべきもの、またファンタスチックな要素のない純文学まで、外形的な傾向はさまざまだが、作品の本質は一貫している。主要登場人物はなんらかの意味でマイノリティであり、誰かと(あるいは何者かと)抜き差しならない関係を結び、しかし、すんなりとは繋がることができず、静かな不協和音を響かせながら物語が進む。

「ニューヨークの魔女」では、19世紀末のニューヨークを舞台として、電力産業化のための異様なデモンストレーションを描く。古屋敷の地下室で発見された不死の魔女を、電気椅子で処刑するのだ。殺されては甦り、そのたびに記憶が混乱していく魔女。

魔女はジェーン・ドウ(名無しの淑女)、電気ショーをデザインするのは女性エンジニアのアリエルだ。物語はアリエルの甥にして助手を務める僕の視点で語られ、ジェーンとアリエルの余人では想像のつかないつながりへ接近していく。

「ファーサイド」は、1962年、アメリカの農村で起こった事件だ。ひとびとは、奴隷としてDと呼ばれる種族(直立したロバのような姿で言葉を話す)をあたりまえのように使役している。語り手の少年はほかのDとは少し違う、思慮深く丁寧なDと出会った。Dは少年の家に雇われ、デニーと名づけられる。

少年の父は進歩的な人間だったので、デニーに対する扱いは、当時の基準としてはかなり人道的だった。しかし、世間はDに対しては冷淡で、ある日、悲劇が起こる。時代背景には刻々と局面が変わるキューバ危機があり、それがデニーを焦点とする集団ヒステリーと、まるで共鳴しているかのようだ。

「私のつまと、私のはは」は、擬似現実の赤ん坊に振りまわされる、理子(りこ)と知由里(ちゆり)の物語だ。ふたりはパートナーとして暮らしており、デザイナーである理子が仕事の関係で、クライアントから〈ひよひよ〉を提供される。〈ひよひよ〉はAR技術を応用した子育て体験キットで、リアルタイムで成長し、本物同様にぐずったり笑ったり排泄したりミルクを飲む。

もともとは理子の仕事に協力する立場だった知由里(彼女は看護師である)のほうが、やがて一生懸命に〈ひよひよ〉の世話をするようになり、お互いの生活サイクルのズレや、赤ん坊(擬似存在とは言え放置はできない)をめぐる価値観の違いも相俟って、パートナーとしての関係が崩れていく。

 ここに紹介した三篇もそうだが、どの作品もカタルシス的な決着はつかない。読者はどこにも持っていきようのない気持ちを抱えたまま、ページを閉じることになる。

(牧眞司)