●年齢と経験重ね「一作一作を大事にしようという思いがより強く」
1981年に芸能活動をスタートさせ、65歳の今も舞台やテレビでパワフルに活動している久本雅美。6月2日~18日には、東京・明治座で上演される『中村雅俊芸能生活50周年記念公演』に出演する。
中村のファンで出演に大喜びしている久本にインタビューし、同舞台への意気込みを聞くとともに、仕事への思いや自身の転機、そして今後の抱負など話を聞いた。

『中村雅俊芸能生活50周年記念公演』では、昭和歌謡音楽劇『どこへ時が流れても~俺たちのジュークボックス~』を上演。中村扮する星川誠がマスターを務める宮城県の田舎町にあるカフェが舞台の物語で、コロッケ、小川菜摘田中美佐子らも出演する。

久本は「青春時代に雅俊さんのドラマを見て元気や勇気をもらっていました。その雅俊さんの50周年記念という記念すべき公演に呼んでいただき、感謝と感動しかなかったです。光栄です」と感激。
カフェの看板娘・田中小百合を演じるが、「小百合さんはマスターのことが大好きで、看板娘として支えていこうという、乙女心があって健気で真っすぐな人。それがうまく表現できればいいなと思っています」と意気込む。

自身と小百合は「皆さんに喜んでもらおうというサービス精神が似ている」とのことで、サービス精神は「小さい頃から強かった」と振り返る。

「小学校の高学年の時にドリフターズが全盛で大好きで、自分でコントを書いて仲のいい友達を集めて練習し、先生や生徒の前で披露していたので、同級生からは『変わってない』と言われます。『人としゃべっていても、5人より10人、10人より15人になったらどんどん面白くなる』って(笑)。小さい頃からそういう人でした」

子供の頃から人を楽しませることが大好きで、それがそのまま仕事に。
芸能界の仕事は天職だと感じているようで、「ありがたいですね。笑ってもらってなんぼだと思っているので、あの人を見たら元気になる、あの人を見たら嫌なことが吹っ飛ぶという人間であり続けたい」と語った。

久本は1981年に劇団東京ヴォードヴィルショーに入団し、1984年に柴田理恵や佐藤正宏らとともにWAHAHA本舗を設立。女優の活動に加え、バラエティ番組でも才能を開花させ、お茶の間の人気者として活躍を続けている。

「東京に出てきて、劇団に入って、劇団を立ち上げ、その頃は力がないから四苦八苦しながら舞台を作っていて、よく泣いたり笑ったりしていましたが、がむしゃらだったなと思います。やる気はあるけど空回り。
みんなで酒を飲みながら、面白くするためにどうしたらいいのか寝ないで考えるという、情熱の塊でした」

がむしゃらさは変わらず持ちつつ、年齢と経験を重ねて周りのことが見えるようになったそうで、「今の自分があるのは皆さんのおかげだと思うようになり、周りに対する感謝の気持ちが増えました」と語る。

また、「一作一作を大事にしようという思いがより強くなった」という変化も。

「生涯チャレンジ精神と向上心は保ち続けていくつもりですが、この年齢になると『あとどれぐらいこの世界にいられるのかな』『やり残したことは何だろう』と考えるようになりました。生涯現役であり続けたいというのが私の夢ですが、オファーあってなんぼの世界ですから、お仕事をいただけること自体が感謝ですし、100%の力でお応えしていこうと。より深く一個一個を大事にしようと思うようになりました」

原点は「舞台」 テレビでの相乗効果も実感「両輪あっての自分」


第一線で活躍し続ける秘訣を尋ねると、「人に恵まれているというのもあると思いますし、一作一作を自分の納得いくものにする、あるいは喜んでもらえるものにするために、妥協せずにやってきたというのもあると思います」と回答。「妥協せず面白いものにするんだというエネルギーの延長で、またオファーをいただいたり、次につながっているんじゃないかなと思います」と分析する。

妥協せずに走り続ける原動力はやはり、「人に喜んでもらいたい」という気持ちだ。


「お客様が喜んでくれている姿が私の原動力です。喜んで拍手してくれたり、笑ってくれている姿を見ると、逆に私のほうがエネルギーをいただくんです。『ありがとうございます! 頑張ります!』って」

また、活動していく中で「人と比べない」ということも大切にしているという。

「人と比べると卑下したり、マイナスなことを考えてしまうので、比べるんだったら昨日の自分と今日の自分を比べるという生き方をしたいなと。若い頃は人と比べてしまうことがありましたが、自分に力をつけない限りは何も変わらない。評判・評価の世界なので、そこに引っ張られそうになるときもありますが、自分を鍛えて自分らしく輝いていけたらと思います」

43年間の活動を振り返って大きな転機になったと感じていることを尋ねると、舞台とテレビの両方をやり続けていくと覚悟を決めたタイミングがあったと明かした。


「テレビの仕事をたくさんいただくようになったときに、テレビの仕事が落ち着いてからまた舞台に戻ろうかなと、弱気になっていた時期がありました。そんなときにうちの劇団の若手の舞台を見に行って、全力でお芝居してお客様に笑ってもらおうとしている姿を見て大感動し、ボロボロ泣いてしまって、原点を忘れていたなと。私は舞台が原点であり、両輪があっての自分だと思い出しました。テレビにしばらく身を置こうと思ったのは逃げだと思い、逃げちゃいけない、両方やり切るんだと腹に決めたのが大きな節目だったと思います」

舞台も続けていくと覚悟を決めてから、ブレずに両立させてきた久本。「舞台を毎年やり続け、本当に休まなかったです」と述べ、「舞台は私の骨格です」と語る。

そして、舞台の醍醐味として観客の“生の反応”が大きいと言い、「稽古中にどれだけ一生懸命悩んで考えて面白く膨らませていくか、その過程が面白いですし、幕が開くとお客様の反応で正解か不正解かわかる。
不正解だなと思ったらすぐ変えてみたり、お客様のダイレクトな反応で力をつけさせてもらえるというのは舞台ならではの醍醐味だと思います」と語る。

舞台での経験はテレビにもプラスに。逆にテレビでの経験も舞台に生きているという。

「舞台で作り上げた笑いは宝としてあり、自分の血肉となってバラエティにも生きていると思いますし、バラエティにはバラエティの達人がいて、笑いの取り方などとても勉強になります。本当に相乗効果だなと感じていますし、私は両方やっていかないと気が狂うと思います。両方をやっていくことで精神やチャレンジのバランスが取れているので」

力不足を感じて落ち込むことも 「もっと力をつけよう」と日々努力


第一線で長く活躍し続けている久本だが、いまだに力不足を感じて落ち込むこともあるという。

「『うまくできなかったな』『力不足だったな』と思うことなんて全然ありますよ! この世界は正解がなく、一か八かで戦っているので、『あ~今日はダメだったな』と。そういうときは友達と会って、一緒にお酒を飲んだりしながら話を聞いてもらって励ましてもらう。これが一番です!」

そして、「落ち込みますが、『もっと力をつけよう』『自分を変えていこう』と思うからこそ、やめられないんでしょうね」と、自分に満足することなく日々努力を続けている久本。『中村雅俊芸能生活50周年記念公演』も大きな経験になるのではないかと期待している。

「雅俊さんがやってよかったと思ってもらえる舞台にしたいという思いですが、個性ある役者さんばかりなので、皆さんとご一緒できるというのは自分にとって宝になると思います。自分の劇団などではありがたいことに主役をやらせていただく機会もあるのですが、脇役として主役を盛り上げるのも面白いんですよね。その経験は必ず力になると思いますし、引き出しが増えるのではないかなと楽しみです」

今後も変わらず舞台もテレビも続けていくつもりだ。

「目指すは黒柳徹子さんです! 黒柳さんみたいに一つの番組を持ちながら、舞台もやり続けるというのは、すごく贅沢ですし、本当に尊敬しています。黒柳さんに会うことが一つのステイタスになっているというのはすごいことですよね。私もテレビの世界でも自分の居場所があった上で、舞台と両輪でやっていけたら最高だなと思います」

自身が50周年を迎えるのは7年後。「7年後は73歳なので、今の雅俊さんの年齢に。願わくは私も50周年記念の座長公演ができたらうれしいです。それができることを目標に頑張ります!」と気合を入れた。

最後に、ファンに向けて「私はいつまで経っても“生涯青春”“生涯現役”で頑張っていきたいと思っています。年齢を経たら経たなりの輝きが出るように日々チャレンジしながら力をつけていきたいと思うので、そんな私も見ていただけたらと思っています!」とメッセージ。

さらに、「私が青春時代に憧れ、50年もこの厳しい世界で輝き続けている中村雅俊さんとご一緒できることが本当に光栄に思っていますし、生き方も演技も学ばせていただきたいと思っています。『楽しい舞台にするしかない!』という情熱を持っている方たちの集まりなので、必ず面白いものになると思います。ぜひ見に来ていただけたらうれしいです」と呼びかけた。

■久本雅美
1958年7月9日生まれ、大阪府出身。1981年に劇団東京ヴォードヴィルショーに入団し、1984年に柴田理恵や佐藤正宏らとともにWAHAHA本舗を設立。舞台を中心に、ドラマや映画にも出演。『今夜は最高!』『オレたちひょうきん族』『志村けんのだいじょうぶだぁ』『笑っていいとも!』をはじめバラエティ番組でも活躍し、現在は『秘密のケンミンSHOW極』『ヒルナンデス!』などにレギュラー出演している。