金曜ロードショーの視聴者リクエスト枠で久々の地上波放送となる名作ホラーコメディ『アダムス・ファミリー』(1991)。昨年、製作30周年を迎えた本作の監督は、『メン・イン・ブラック』シリーズを手掛けた娯楽派バリー・ソネンフェルドだが、実はこれが監督デビュー作。

それまではカメラマンとしてキャリアを積み、コーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』(1984)や『ミラーズ・クロッシング』(1990)、ロブ・ライナー監督の『恋人たちの予感』(1989)などで高い評価を受けてきた。本作が名作となった背景には、突如監督に抜擢されたソネンフェルドの、思慮深い配慮と並々ならぬ覚悟があった。

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 再びライナー監督と組んだ『ミザリー』(1990)の直後、突然舞い込んだのが、本作の監督依頼。「なぜ?」とソネンフェルドは心底驚いたという。実は当初の監督候補はティム・バートンとテリー・ギリアム。しかし、新作で多忙な彼らは登板を断り、“ヴィジュアル・スタイリスト”を求める製作者の独断で、ソネンフェルドが異例の大抜擢となったのだ。


 原作者チャールズ・アダムスの風変わりなひとコマ漫画を愛読していたソネンフェルドは、思い切って初監督に挑んだ。監督業に進出するカメラマンは珍しくないが、成功者は極めて少ない。その理由は誰もが現職への未練が強く、イエスマンの助手を撮影監督に昇格させるからだ。ソネンフェルドは自分よりも優秀なカメラマンを求め、『エクソシスト』(1973)でアカデミー賞候補となった先輩格のオーウェン・ロイズマンに現場を託した。監督としてすべてのショットをデザインするが、現場では一切、撮影班に意見しないことも決めた。

 ティム・バートンやテリー・ギリアムへの対抗心も、ソネンフェルドにはなかった。
自分の作家性など二の次だ。まずは原作の世界観を忠実に再現し、エモーショナルな作品に仕上げる。カメラは単なる録画機材ではなく、スタイルと視覚で物語を綴る道具。絵コンテを入念に準備し、役者の動きを考えて美術やセットを細かく調整する。ソネンフェルドが考える演出とは、物語のトーンを把握し、一貫性を保つことだった。アダムス家の日常は奇抜で過激でダークだが、同時にユーモラスで愛らしい。
どこで笑うかは観客に委ね、ギャグをゴリ押しするのも避けた。

 ただ、最初の脚本は1960年代に人気を集めたテレビ版『アダムズのお化け一家』を意識し、決めゼリフやジョークばかりが目立つ内容だった。ソネンフェルドはこれをアダムス家の当主ゴメズと、生き別れの兄フェスターの再会を軸に“エモーショナル”に改稿する。しかし、今度はキャスト陣から不満が出た。俳優代表で直談判に現れたのは、子役のクリスティーナ・リッチだった。当初の結末ではフェスターは詐欺師だと判明するが、これは兄弟愛の物語だし、観客は本物のフェスターの行方が気になるだろうと。
ソネンフェルドはこの主張に大いに納得したという。現行の結末は理にかなっているが、エモーショナルではない。まさにリッチの言う通りだったのだ。

 「この映画では素晴らしいキャストに恵まれた」と後にソネンフェルドは回想している。アダムス夫妻役のラウル・ジュリアとアンジェリカ・ヒューストンは完璧で、邪悪な長女ウェンズデー役のクリスティーナ・リッチの存在感は驚異的だった。怪優クリストファー・ロイドは長身のやせ型で、漫画の小太りなフェスタ―とは似ていなかったが、カメラが回った瞬間、頭を肩に押しつけて身長を縮め、丸顔に変身した。
芝居ひとつで見事に肉体を変容させたのだ。

 長い歳月を経て、今なお愛される変人揃いのアダムス一家。その理由は、価値観が徹底的にズレてるだけで、素顔は善良でロマンティックな人たちだからだろう。映画の公開当時「アダムス家は反社会的で、崩壊した家族だと評されたがそれは違う」とソネンフェルドは強調する。「ゴメズとモーティシアの夫妻は情熱的に愛し合い、子供たちに深い愛情を注ぎ、過ちを許す完璧な親だ。映画自体も破壊的だが、毒々しい瞬間は見せない。
世界を少し斜めから見て、相反する存在を同居させる。それが私のスタイルなんだ」と。

(文・山崎圭司)

 映画『アダムス・ファミリー』は今夜21時より『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて放送。