ディズニー100周年を記念して製作され、日本でも大ヒットを記録した映画『ウィッシュ』。どんな願いも叶う魔法の王国の真実を知ってしまったヒロイン“アーシャ”が、ディズニー最恐のヴィランと言われる国王・マグニフィコに立ち向かうストーリーだ。

公開されるや否や、日本人の心をとらえたのはこのマグニフィコ王だった。SNSでは“マグぴ”というあだ名まで付き、もはやアーシャや本作のマスコット的存在であるスターの人気さえ上回る勢い。なぜ、最恐のヴィランのはずだったマグニフィコ王がこんなに愛されているのか。今回は、マグぴの“推せる”ポイントについて語っていきたい。(※以下、ネタバレを含みます。ご了承の上、お読みください)

【動画】闇落ちするマグニフィコの姿が! 『ウィッシュ』予告

■マグニフィコの“願い管理”は王として当然…?

 願いが叶う魔法の王国ロサスに暮らす少女アーシャの願いは、100才になる祖父の願いが叶うこと。
だが、すべての“願い”は魔法を操るマグニフィコ王に支配されているという衝撃の真実を彼女は知ってしまう…。

 あらすじを見ると、確かにマグニフィコは国民から“願い”を集め支配する酷い王だと感じる。しかし待ってほしい。彼はソロナンバー「無礼者たちへ」の中で、「去年は14の願いを叶えた」と明かしている。そう、結構な数を叶えているのだ。だからこそ、「願いが叶うらしい」と噂が広がりロサスには世界中から人々が集まってきている。
その結果、マグニフィコはたった一代で王国を築き、画面からも見て取れるようにさまざまな人種の人々が平和に暮らす豊かな国に育て上げている。

 確かに、マグニフィコ王が「叶えない」と決めている願いも少なくない。例えば、アーシャの祖父の願いは「音楽で若者の心を動かしたい」。この願いに対しマグニフィコは「心を動かした結果反乱分子となったら?」と考え、叶えることを拒否する。酷いような気もするが、これは政治家として立派なリスクヘッジだとも思う。どんな願いでも見境なく叶えていたら、平和は保てない。


 とはいえ、「願いを叶えてあげるよ!」という点に注目させて国民を管理するやり方は、いわゆる“愚民政策”と叩かれても仕方ない。遅かれ早かれ、アーシャのように彼に反旗を翻す存在が出てきていただろう。

■マグニフィコの悲しい過去とスゴイ今

 なぜ、マグニフィコがこんな強引な手を使って国を守ることに必死になっているのか、それにもしっかりと理由がある。

 マグニフィコは子どもの頃、両親を強盗に殺されるという辛い経験をしている。「領地も奪われた」と語っているので、おそらく両親はどこかの領主だと思われる。その経験からマグニフィコは「二度と誰一人として願いを目の前で叩き潰されず済むように」自らの手で新しい国を作ったのだ。
そして猛勉強の末、魔法も使えるようになった。あまりに純粋かつ努力家で泣ける。今作では彼の過去は軽くしか語られていないが、ぜひいつか若きマグぴがロサスを作り上げるまでの物語も見たい、という願いを叶えてほしい。

 特に序盤で「あ、この王、推さざるを得ない」と確信したのは、アーシャが亡くなった父のことをマグニフィコに問うシーン。数年前に亡くなった一国民についてマグニフィコは、職業やどんな人物であったかなどをしっかりと覚えていたのだ。おそらく、マグニフィコは国民1人1人のことを認知しているのではないだろうか。
小国ではあれど、毎日のように他国から移民を受け入れているロサスで国民の顔と名前を覚えているなんて、好きにならずにはいられない。きっと国を立ち上げた頃は、彼も純粋な思いだけで人々の願いを叶えていたのではないだろうか。

■マグぴの推せるポイント詰まりまくり「無礼者たちへ」を深掘り!

 マグニフィコの“推せる”ポイントは、ソロナンバー「無礼者たちへ」に詰まっている。一言で言うと、「自己肯定感高すぎてかわいい」のだ。

 マグニフィコの自己評価ワードを抜粋すると、「無礼者たちへ」の日本語版歌詞からだけでも「鏡さえ私に見とれる」「なんてハンサム!」「名前だって素晴らしい」「情熱的」「だけど冷静」「そして誰より慈悲深い」「キュートで強く大胆不敵」…もう分かった分かったと抱きしめたくなってしまう。

 また、本歌詞にはマグニフィコの貴重なプライベート情報も。
なんと、一国の王でありながら「休日の趣味はボランティア」なのだ。趣味ということは政治的アピールではなく本当にボランティアが楽しいのではないだろうか、と予想すると、これもまた推せる。

 歌詞を紐解いていくと、自分も国民もとにかく大好き、というのがマグニフィコの賢王たる所以(ゆえん)だったのではないかと感じる。しかし「無礼者たちへ」の後半、ついにマグニフィコは自ら封じていた“禁じられた書”を開いてしまう。闇の力が詰まった書に心を染めていく姿は見ていてつらいが、この書を封じてはいたものの葬らずに手元に残していたことが、完璧なマグニフィコの“弱点”だったのではないか。自分で並べた賛辞の言葉は、もしかするとたった1人で国を築き上げた彼の孤独な心を守る鎧だったのかもしれない。もし本当に心から自信を持てていれば、禁じられた書も手放せていたかもしれない、と思ってしまう。

■弱さを見せられる人がいれば結末は違った?

 完璧で誰もが愛するマグニフィコ王…彼はロサスの国民が大好きだったはずだ。休日に趣味でボランティアをしているくらいだから、そこは確信が持てる。しかしいつの頃からか、彼は“求められる”だけの存在になっていった。しかし、弱みを見せればまた両親のように幸せを奪われるかもしれない。そんな彼は、いつしか弱さを見せられる相手がいなくなってしまったのではないかと思う。王妃・アマヤにすら本当の姿を見せられず、孤独に苛まれ、そして目の前にある禁じられた書に手を出し……いや、マグぴ可哀想すぎる。

 願いなんて叶えてくれなくていい、愛してあげなければ。こう思わせたことこそ、マグニフィコ王が人気を得た理由なのだと筆者は考える。そして筆者自身も、マグぴを愛する1人だ。彼の結末はあまりにも救いがないが、彼なくしてロサスの平和が保てるかというと疑問だ。アマヤ王妃、早めにマグぴを許してあげてほしい。そして彼が本当の意味で愛されることを願うばかりだ。(文・小島萌寧)

 映画『ウィッシュ』は購入版配信中。