『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』から13年。待望の新作『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』が、ついに公開を迎えた。

本作で描かれるのは、「ワルプルギスの夜」の知られざる過去と、時を超えて響き合う少女たちの願い。そして、まどかとほむらを結び、同時に縛り続けてきた“約束”の行方だ。鹿目まどか役の悠木碧と暁美ほむら役の斎藤千和が、脚本から映像へと昇華された新作への驚き、二人が選ぶ異なる“正しさ”と救済、愛するがゆえにすれ違う関係性を語り合う。長い年月をともに歩んできた二人だからこそ見える、まどかとほむらの幼さ、純粋さ、そして切なさとは――。

※映画の内容に関するネタバレを多く含みます。読み進める際にはご注意ください。

【動画】悠木碧&斎藤千和が語る『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』 ネタバレありトーク

■「ワルプルギスの夜」が物語にもたらすもの

――『叛逆の物語』から長い年月を経て、ついに『〈ワルプルギスの廻天〉』が完成しました。まずは、お二人が最初に脚本を読まれたときの率直な感想を教えてください。

悠木:実は、台本になる前の脚本と、収録用の台本とで内容が変わったところがあって、脚本を読んだときの感動と、台本を読んだときの感動が、また少し違ったんです。ただ、どちらにも一貫していたのは、まどかが選ぶ“正しさ”と、“彼女らしさ”でした。それをどう描くか、スタッフの皆さんもずっと迷われていたんだなということが、行間から伝わってきて。その迷いこそが、まどかという存在が本当に愛されている証なんだなと感じました。


斎藤:私は脚本の段階で読んだとき、正直に言うと「結果、どうなったの?」と理解しきれなかったんです。でも、台本になったとき「これはだいぶ『まどか☆マギカ』になった!」と感じて。すごく『まどか☆マギカ』らしい形にブラッシュアップされた台本をいただけたんだと思います。とはいえ、ト書きを読んでも、何も分からなかったよね(笑)。

悠木:そうなんですよ(笑)。やっぱり『まどか☆マギカ』は、絵の力がすごく大きい作品で。映像になって初めて「こういうことだったのか」と分かる部分が、本当に多かったですね。

斎藤:映像を見て、「あ、こういうことか!」と腑に落ちる感覚。あの画面自体が持つ説得力は、この作品ならではだなと、あらためて実感しました

――本作では「ワルプルギスの夜」が描かれ、シリーズ全体の“エピソードゼロ”のような印象も受けました。この新たな物語が『まどか☆マギカ』全体に、どのような広がりを与えたと感じられましたか。

悠木:ワルプルギスの夜は、これまで概念的な“恐怖”のような存在で、いわば災害のように扱われてきたじゃないですか。でも、あれもまた“人”だったのだとしたら、今のまどかやほむらも、やっぱり同じ“人”なんだ、というところにつながっていく気がして。
それぞれの少女たちの願いに、それだけ大きな力が秘められていたことの裏返しでもあると思うんです。

過ぎた力を持ってしまうがゆえに、少女たちは次々と自分の願いをかなえようとして、世界をゆがめていく。そのことが分かったうえで、もう一度最初から観ていただくと、あの“ゆがんだ世界の怖さ”を、より深く味わっていただけるんじゃないかなと思いました。

斎藤:私も、現代で魔法少女になることの悩みと、もっと昔の、本当に生きるか死ぬかという人生そのものに近い場所で魔法少女になること、その違いを強く感じました。自分でも気づかないうちに、さまざまな人に守られながら人類が歩んできたんだなと思える描写があったので……私としては、かなり“くらう”というか。

悠木:くらいますよね。

斎藤:最初に感じていた以上に、ずっと重かったんです。あれは、ちょっと苦しい。魔法少女になるというのは、本当に苦しいことなんだなと、あらためて思いました。だからこそ今回は、これまでの『まどか☆マギカ』が持っていたポップさや、見た目の可愛らしさとは、また違った見え方があって。そこがすごく良かったなと感じています。

――しかも、彼女の願いがまどかの願いとも重なっていく。
その点にも、込み上げてくるものがありますよね。


悠木:時代を超えて、“すべての人が幸福だったらいいのに”と願う人は、ちゃんといるんですよね。でも、その人たちが幸福に生きられる世界はない。なんだか、考えさせられてしまいます。人の幸せを願える人が、幸せに生きていける世界とは、どんな形なんだろうって。本当に、考え込んでしまいました。

■「約束」に縛られたほむらと、すべてを愛するまどか――二つの“正しさ”と“救済”

――今回、まどかとほむらの関係性を貫いてきた“約束”が、あらためて大きな意味を持つ作品だと感じました。お二人は本作を経て、それぞれの選択や自己犠牲の“正しさ”を、どう考えましたか。

斎藤:あの約束を守り続けることで、もう抜け出せないループに入ってしまう。私はそこに、あの年齢の少女たちが抱える“抜け出せない正しさ”のようなものを感じました。

大人になると、約束といえば、それこそキュゥべえの言う「契約」のようなもののほうが、現実的な約束として成り立ってくる。でも、小さな子って、指切りで交わした約束を本当に一生懸命、守るんですよ。
私にも子どもがいるので、それがよく分かるんです。魔法少女というのは、ちょうどそのギリギリの年齢なのかなって。

だから、「約束」という言葉の重みが、大人になった今の私よりも、彼女たちにとってはずっと大きい。今回、ほむらのセリフを口にするときも、「あの約束を忘れてはいけなかった」という思いが、自分が普段考えているような約束より、はるかに重く感じられて。ああ、これがあの年代なんだなと思いました。

悠木:人間関係で失敗することなんて、大人になればいくらでもあると分かってくる。失敗したら「ごめんね」と言えばいいし、そこからより良くなるようにカバーすることもできる。関係を断ち切らなくてもいい。そういうことが、大人になると分かりますよね。

でも、14歳の女の子たちからすれば、人間関係におけるたった一つの失敗が、とてつもなく大きなものになってしまう。特に、ほむらちゃんにとってのまどかは、本当に世界のすべてだから、その約束の重みは計り知れないと思います。

一方で、まどかはそこが少し違っていて。
裏切られても「あなたのことはちゃんと大好き」と思えるし、忘れてしまっても愛することができる。むしろ、「嫌われていても、私はみんなのことが好き」と思える。ものすごく広い博愛を、最初から持っている子なんです。それは、彼女自身がたくさんの人から愛されてきたことが、ベースにあるのだと思います。

だからこそ、それを共依存にしなかったまどかは、すごいなって。ほむらちゃんは、おそらく共依存を求めてきた。でも、まどかは「あなたはあなた、私は私。それでいいよね」と言える。そこが本当にすごいんです。

斎藤:私、『叛逆の物語』のときから思っていたんだよね。ほむらは、まどかと二人だけの世界を築きたいはずなのに、なんだかんだ言いながら、さやかを親友としてまどかの隣に置いてしまう。その、ほむらの幼さのようなものが、とても切なくて。
可愛いんだけど、切ない。

悠木:ものすごく可愛い猫を飼ってきたのに、自分と遊んでくれるわけではない。「じゃあ、このおやつなら喜ぶかしら」「もう1匹、猫が必要かしら」と、少しずつ足していく。でも、その結果、自分が思い描いていた環境とは違うものになっていく。そういう感覚なのかもしれませんね。

斎藤:だから、“まどかが幸せになるための環境”として、さやかを置いているんだと思うと、すごく腑に落ちました。本当は、自分だけを見てくれる世界だって作れるはずなのに。それでも、少し後ろからまどかを見つめてしまうほむらが、切なくて。

悠木:それに、魔法でゆがめてしまったまどかは、きっとほむらが思う“最愛の彼女”ではないんでしょうね。そこに、ほむらちゃんの純粋さがある。

斎藤:それも、あるんだろうね。

悠木:完璧な力、最強の力を持っているはずなのに、完全にはなりきれない。やっぱりそこに、彼女たちの幼さが表れているんだと思います。

斎藤:本当に、そこがよく出ているよね。可愛い世界、優しい世界であればあるほど、彼女は「自分は悪魔なんだ」という対比を自覚して、どんどん離れていく。後ろからついていくことしかできない。それが、なんて切ないんだろうって。

もう少しさらっと話してみれば、案外あっさり解決しそうなことも、彼女たちにはそれができない。そういう思春期ならではのもどかしさなんだなと思いました。

――まどかが「円環の理」としてすべての魔法少女を救おうとする一方、ほむらはまどか一人を救おうとします。お二人ご自身は、この二つの救済のどちらに、より強く共感しましたか。

悠木:私はずるいので(笑)。もしほむらちゃんの力があったら、自分の思い通りの箱庭を作るほうに、やっぱり魅力を感じてしまいますね。箱庭ゲームを、ずっとやってしまうタイプなんですよ。本当に、いつまでもやっていられる(笑)。

だから、どちらかといえば、ほむらちゃんの側だなって。自分の思い通りに環境を作っていくことを、楽しいと感じるタイプなんです。だからこそ、ほむらちゃんは優しいなと、本当に思います。あれだけの力を持ちながら、ちゃんとまどかのことを愛しているんですよね。

斎藤:私はどうかな……。でも、「一人のわがままを通すことで、周りがギクシャクするのなら」と、割と考えてしまうタイプではあるんです。当時はそう思っていなかったけれど、さらに年を重ねて振り返ってみると、20代くらいの自分は、すごく周りに気を使うタイプだったんじゃないかなって。

だから、そういう視点は持っているほうだと思うんです。でも、その結果、自分が疲れてしまう。その意味では、ほむらに近いのかもしれません。「みんなでうまくいくといいな」とは思うけれど、まどかほどの包容力はないから、結局は疲れてしまう。だから、私の中には両方あるのかなと思います。

悠木:まどかの包容力は、少し共感の“外側”にありますよね。

斎藤:そうなんだよね。やっぱり、あの年齢の子が簡単に持ち得るものではない。だからこそ、なかなか共感するのは難しいのかもしれない。

悠木:でも、もし世界に本当にそういう人がいるのだとしたら、その人には幸福になってほしいと思います。

■「もっと温かく、柔らかく愛していい」まどかとほむらに伝えたい言葉

――長年それぞれのキャラクターを演じてきた今、悠木さんは、まどかの立場からほむらにどんな言葉をかけたいですか。そして斎藤さんは、ほむらの立場から、まどかに何を伝えたいですか。

悠木:ほむらちゃんには、「そんなに頑張らなくても、幸せなことはたくさんあるんだよ」と言いたいですね。まどかが素敵な子だということは、私自身、年を重ねるごとに強く感じています。自分が演じる役を、これほど愛してくれる人がいるのは、すごくうれしい。

でも、まどかから見ても、ほむらちゃんが何かを愛することで苦しくなってしまうのは、少し違う気がするんです。愛情は、もっと温かくて、柔らかいものであっていいんじゃないかなって。だから、そんなに苛烈に生きなくてもいいのに、と思います。

ただ、そうすることで自分を保っている部分もあるんでしょうね。何をしてあげることが、彼女にとって本当の幸せなんだろう、と考えてしまいます。

斎藤:そうなんだよね。この二人は、本当に難しい。どちらかの願いがかなうと、もう一方の願いがかなわなくなる。だから、くるくる、くるくると回り続けて、解決しないんだよね。

悠木:そうですね。

斎藤:まどかは、もうそのままでいい。本当に、そのままでいてほしいんです。ほむらちゃんも、まどかにはそのままでいてほしいと思っている。でも、そうすると、今度はほむら自身が生きていけなくなってしまう。自分を消すことになってしまう。それこそ、あの約束に縛られているから。

悠木:……これ、二人で世界を運営すればいいのでは?

斎藤:私も、本当にそうなんじゃないかと思うんですよ(笑)。でも、ほむらちゃんは、まどかだけを助けようとしてしまう。「キュゥべえに騙される前の、バカな私を助けてくれないかな」と、まどかに頼まれた約束を守るために。最初のまどかをどうしても救えなかったことを、ずっと抱えているから。

悠木:おそらく、まどかはその約束を、もう少し広い意味で言っていたんですよね。でも、ほむらちゃんは“まどか個人の救済”を、とにかく求め続けている。だから、まどかが「ほむらちゃん、お願い」と少し甘えられたら、うまくいくのかもしれない。でも、まどかは、そういうことができない子なんですよね。

斎藤:「ちょっと助けてほしいのかな」「困っているのかな」と思わせる瞬間を、見せてくることはあるんですけどね。だからこそ、ほむらはどうしても諦めきれなくなってしまう。……だから、“二人で運営する”という提案をしてもらえて、よかった(笑)。

悠木:分担してね(笑)。まどかも一人で「円環の理」という概念を担うのは大変だと思うので。“二人目の概念”として、ほむらちゃんに加わってもらって。

斎藤:本当に、みんなでね。……でも、やっぱりあの約束が、ほむらにとって生きる支えなんだろうな。だからこそ、ずっとあの場所に留まってしまうんだろうね。

悠木:そう考えると、ほむらちゃんは、まだ「生きよう」と思っている感じがしますよね。まどかは、それこそ自分のすべてを捨てるような選択をした。

斎藤:まどかは、ずっと高い場所から、世界を俯瞰して見ているんだろうね。でも、ほむらが救いたいのは、そこに至ったまどかではなく、“元のまどか”のまま。だから、今も動けずにいる。

悠木:まどかに、“人”でいてほしいんですよね。

――最後に、ファンの皆さんへメッセージをお願いします。

斎藤:劇場版を観てくださって、本当にありがとうございます。長く待っていてくださった方であればあるほど味わい深く、そして初めましての方にも、斬新で鮮烈な作品を作り上げられたんじゃないかなと思っています。

私たちが携わっているのは、音響部の中の、さらに演技を担う一部分でしかありません。でも、作品というのは、それだけではなく、本当にいろいろな人が持ち寄ったパワーによってできているんだということを、今回もひしひしと感じました。主題歌を含めた音楽、映像、効果の隅々に至るまで、すべてが最高に『まどか☆マギカ』しています!

この作品を観て、皆さんの心に何が残りましたでしょうか? 暁美ほむらを演じ続けられる限り、私はほむらとともに生きていきたいと思っています。これからも、皆さんに恩返しできる機会があればうれしいです。末永く、応援よろしくお願いいたします。

悠木:本当に、長らくお待たせいたしました。私は『まどか☆マギカ』と出会った最初の頃から、どこか神話のような印象を抱きながら、収録に臨んでいたんです。劇団イヌカレー(泥犬)さんの世界観や、虚淵玄さんの脚本が、令和の技術によってさらにブラッシュアップされた形で届けられたことで、「ああ、これは本当に神話なんだ」と、あらためて感じました。

それを大画面と素晴らしい音響で受け取っていただき、この13年間、温め続けられてきた『まどか☆マギカ』という作品に秘められたエネルギーを感じていただけたらうれしいです。

私たちも、一生懸命、心を込めて演じさせていただきました。ぜひ、彼女たちの物語の“今”を見届けていただけたらと思います。これからも『まどか☆マギカ』を、何卒よろしくお願いいたします。

(取材・文・写真:吉野庫之介)

 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』は、全国上映中。

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