1923(大正12)年9月1日、死者・行方不明者10万5,000人という甚大な被害を生じた関東大震災が起きた。さらに震災の混乱に乗じて、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、火を放っている」というデマが流され、自警団による朝鮮人虐殺事件が各地で起きている。
獄中手記『何が私をこうさせたか』や瀬戸内晴美の小説『余白の春』などで知られる金子文子は、壮絶さを極めた23歳の生涯を送った。神奈川県横浜市に生まれた文子は、警察官だった父親が出生届けを出さず、戸籍のないまま少女時代を過ごした。9歳のときに日本に統治されていた朝鮮で暮らす父方の親戚に引き取られるも、女中代わりに扱き使われる過酷な日々だった。
朴と文子が「不逞社」を立ち上げたのが1923年4月、その年9月に関東大震災が発生。朝鮮人大虐殺を招いた内務大臣・水野錬太郎は国際的世論をかわすために、テロ行為を画策した不穏分子を仕立てることを思いつく。
本作を企画したのは、『王の男』(06)や『ソウォン/願い』(13)など実在の人物や事件を題材にした重厚なドラマを撮り続けている韓国のイ・ジュンイク監督。韓国人視点による“反日映画”と思われがちな本作だが、なぜ大震災直後に朝鮮人虐殺や思想家たちの弾圧が起きたのかという社会背景をしっかりと描いた作品となっている。朴と文子を救おうと尽力する日本の司法関係者たちも登場させるなど、日本=悪の帝国として扇情的に描くことなく、きちんと史実に基づいている。日本の映画監督たちが手を出せなかった歴史の暗部に、意欲的に斬り込んだ作品だといえるだろう。
ヒロインとなる金子文子を演じたのは、日本で獄中死を遂げた実在の詩人を主人公にしたイ・ジュンイク監督の前作『空と風と星の詩人 尹藤柱の生涯』(15)にも出演した韓国の若手女優チェ・ヒソ。小学生時代を大阪で過ごし、そのときに阪神・淡路大震災を体験している。日本語に堪能なことから、裁判所での長台詞もある難役・金子文子役に抜擢された。「大阪で食べたタコ焼きの美味しさと少女漫画の面白さが忘れられない。大阪時代は私がいちばん幸せだった大切な思い出」と語る親日派のチェ・ヒソに役づくりの難しさについて語ってもらった。
チェ・ヒソ「金子文子の手記『何が私をこうさせたか』は日本語版とハングル版を何度も読み返しました。
皇太子(後の昭和天皇)暗殺を計画したテロリストとして「大逆罪」に問われる朴と文子だったが、暗殺計画は具体性のない妄想レベルのものだった。「大逆罪」が確定すれば死刑宣告されるにもかかわらず、朴と文子は世界各国が注目する裁判に韓服とチマチョゴリを着て臨み、権力者が労働者を搾取する現実社会の理不尽さを訴える。「すべての人間は平等である」と主張する2人は、思想犯というよりはヒューマニズムを貫くイノセントな恋人たちだった。
チェ・ヒソ「朝鮮人虐殺事件は祖父や祖母の世代には知られていた大事件でしたが、韓国には悲しい事件が多すぎて、今の若い世代にはあまり知られていません。『歴史は成功者の名前しか残らない。だが、負けることを覚悟して権力者と闘った人たちの闘いの過程を知ることも重要だ』という想いからイ・ジュンイク監督は映画にしました。
関東大震災と朝鮮人虐殺、そして思想家たちの弾圧という暗い日本の歴史の中で、一途な愛を貫いたひとりの女性がいた。厳粛な法廷を愛の告白の場に変えてしまった彼女こそが、至高のアナーキストだった。
(文=長野辰次)
『金子文子と朴烈』
監督/イ・ジュンイク 脚本/ファン・ソング
出演/イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、キム・ジュンハン、山野内扶、金守珍、趙博、柴田善行、小澤俊夫、佐藤正行、金淳次、松田洋治、ハン・ゴンテ、ユン・スル
配給/太秦 PG12 2月16日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
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