7月12日、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏の“家族葬”が、東京渋谷にあるジャニーズ事務所の関連会社・ジャニーズアイランドの稽古場で営まれ、所属タレントとジャニーズJr.ら総勢約150人の“子供たち”が参列した。

 遺影の周りのプレートには、ジャニー氏が育てあげたフォーリーブスや郷ひろみ田原俊彦シブがき隊光GENJI、平家派、SMAPといった解散・退所したグループやタレント名がすべて刻まれていたという。



 ジャニー氏がこれほどまでスターを生み出せたのは、才能を見抜く眼力と共に、グループにつける独特のネーミングセンスがあったればこそ。

「7月18日発売の『週刊文春』(文藝春秋)によれば、ジャニー氏は歴史が好きで楠木正成などの話をよくしていたとのこと。光GENJIに対抗して平家派を作ったときも『かっこいいねえ』と自画自賛していたそうです」(週刊誌記者)

 今では決して表沙汰にならないが、その『平家派』に所属していたのが俳優の反町隆史だ。ベテランの芸能記者が言う。

「本名の野口隆史として、中学3年でジャニーズ事務所入りし、平家派の一員として光GENJIのバックダンサーを務め、ローラースケートを履いて頑張っていたものです。平家派はなかなか人材の宝庫で、TOKIOの城島茂国分太一、元メンバーの山口達也、V6の井ノ原快彦、坂本正行、長野博のほか、後期WANDSのボーカリスト、和久二郎なども在籍していました」

 反町も「元家族」として、お別れ会には出席したかったに違いない。