NHK『バリバラ』

テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(8月18~24日)見たテレビの気になる発言をピックアップします。

YOU「全然、健常でも『わかんない』っていう人もいっぱいいるし」

「哀れむような愛ならいりません。

“地球を救う愛”と言われても、ピンときません。私を救う愛が欲しい!」

 車椅子に乗った脳性マヒの男性が、オープニングでそう叫ぶ。同じ時間帯、別の局では「愛は地球を救う」というフレーズで有名な、あの番組が放送されている。

 障害者のための情報バラエティと銘打って始まった『バリバラ』(NHK Eテレ)は、ここ数年、『24時間テレビ』(日本テレビ系)の真裏で同番組を意識した企画を放送している。最初の放送は2016年、障害者をもっぱら感動ストーリーの文脈に乗せて扱うテレビ番組の作り方を問い直した。キーワードとなったのは「感動ポルノ」。

障害者は健常者に感動を与えるための道具として使われているのではないか、という問題提起だ。これが『24時間テレビ』を意識したメッセージであることは明白だった。

 もちろん、それは『24時間テレビ』への単純なアンチというわけではない。挑発でもないし、ケンカを売っているわけでもない。番組で司会を務める山本シュウは「誤解してほしく ないのは、感動は悪くないんですよ」と明言している。障害者を使って健常者が気持ちよくなるための感動ポルノ、汐留方面をそう呼んで溜飲を下げるだけだとしたら、それはまた健常者にとって気持ちのいい別の物語を障害者に語らせることにもなりかねない。

 そんな『バリバラ』が24日深夜、今年も『24時間テレビ』の真裏で生放送を行った。題して「2.4時間テレビ 愛の不自由、」。24時間ではなく2.4時間の生放送。「愛の不自由、」は「あいのふじゆうてん」と読む。脅迫などにより開催3日で中止に追い込まれた企画展を、彷彿とさせるタイトルだ。

 で、番組のオープニングで発されたのが、冒頭に引用した言葉。

「地球を救う愛」に対置されるのは「私を救う愛」である。この言葉通り、番組では障害のある個々人の恋愛やセックスにまつわる話題が取り上げられた。

 たとえば、下半身がマヒしたことで恋人とのセックスで感じにくくなってしまったという脊髄小脳変性症の女性のエピソード。このVTRを見たスタジオのYOUや、アーティスト集団「Chim↑Pom」のメンバーであるエリイらが語る。

エリイ「セックスって、挿入してイクだけじゃなくって、目で見るとかそういうのもあるから、全部イクっていうのが正しいっていうことじゃないとは、私は思っていて」

YOU「彼女の場合は病気が進行しちゃったけど、全然、健常でも『わかんない』っていう人もいっぱいいるし」

 そんな女性たちの会話に、ムコ多糖症で元AV監督のにしくんが加わる。

「体と言葉のコミュニケーションをひっくるめて、セックスなはずなんだから。

それこそ、体にまったく感覚がなかったとしても、気持ちいいと思うことってできると思うんですよ」

 ここまでくるともう、障害のある人だけでなく、障害のない人の恋愛や性の不自由さにも触れる話になってくる。哀れむような愛はいらない。そんな叫びから始まった番組は、挿入をゴールとするセックス観の問い直しにまでトークを展開させていく。

 出演者の組み合わせの妙だろうか? いつもとは違い、放送が深夜帯だからだろうか? 今回の『バリバラ』のトークは、レギュラー放送に輪をかけて開放的だったかもしれない。

 たとえば、脳性マヒの男性が生放送中、電話でこんな相談を寄せていた。家にデリヘル嬢を呼ぶとき、車イスというだけで利用を断られてしまう。

店側の理由としては、何かケガがあったときに責任が取れないということのようだ。それに対し、現役風俗嬢アイドルで、多くの障害者を接客した経験を持つ山村茜が応答する。

「よかったら指名してください」

 あるいは、自閉症スペクトラムの女性のエピソード。ある男性に「好きです」と告白された。しかし、抽象的なことや人の感情が理解しにくいという障害を持つ彼女は、その「好き」の意味がいまひとつわからない。かけているメガネが好き、話し方のタイミングが好き、そういう具体的な「好き」はわかる。

では、そういった要素がいくつ集まれば、その人を「好き」だといえるようになるのか。

 この話題に、スタジオにいた発達障害の男性が呼応。「普通のものだったら説明書とかあって注意事項書いてあるけど、書いてないもんで」と胸の内を吐露する。これにYOUは次のように答えた。

「それはでも、全国的に失敗してるよね。全員が 」

 タブー視されがちな障害者の恋愛や性の話題。番組中にも日本の性教育の遅れが指摘されていたが、そもそも障害者に限らず、性については語りにくかったりする。そんなテーマを、『バリバラ』は放送を始めた当初から積極的に扱ってきた。介護される妻と介護する夫との間のセックスレス。下半身が動かない障害者同士のエアーセックス。障害を逆手に取ったナンパのテクニック。幻覚と恋をする統合失調症の女性。親の愛を、時に重く感じてしまう障害者――。

 トークをそばで聞いていたジミー大西は、番組中盤でこう口にする。

「Eテレは自由ですね。Eテレがこんな自由なことをしているなんて思わなかったです」

 スタジオにいる障害があったりなかったりする出演者たちは、個々の話題について自由に語り合う。その中で、障害者にも健常者にも共通するような、愛や性をめぐるコミュニケーションの課題を掘り当てていく。自分とは接点のない特別な誰かの悩みから、自分と接点を持つ誰かの特別な悩みへと、話題がほぐされていく。

 もちろん、今回の『バリバラ』の作り方が、障害者の恋愛や性をテレビで取り上げる際の「正解」というわけではないだろう。番組中にも、「愛とセックスって生々しすぎる。障害当事者ですけど、見られない」という視聴者からのメッセージが紹介される場面もあった。障害者の問題提起を「それは健常者も同じ」という結論に落とし込みすぎると、障害がある人に固有の課題がスルーされてしまうかもしれない。

 番組のレギュラーである玉木幸則は、エンディングで次のように語った。

「今回も、まずは知ってもらうこと。それから気をつけなアカンのは、僕らが知らんこともいっぱいあるっていうことを、思っときたいな」

 単なるアンチではない。挑発ではないし、ケンカを売っているわけでもない。愛を注がれる客体でなく、愛を請い、その不自由の前に、時に思い乱れる主体として障害者が語る。メディアにあまり露出しないそんな一面を、まずは知ってもらうこと。今年も『24時間テレビ』の真裏で、それとは別のアプローチで、『バリバラ』は愛と障害の関係を取り上げた。

『バリバラ』が放送されていた24日の深夜。別の局では、また別の形の愛が映し出されていた。

 たとえば、『ゴッドタン』(テレビ東京系)。「冷やし中華はじめました」の歌ネタで知られるAMEMIYAが、芸人たちのエピソードを代わりにネタに昇華し歌い上げる「○○はじめました選手権」という企画が放送されたのだが、ここでおぎやはぎ・矢作から、ある発表が行われた。AMEMIYAは歌い始める。

「毎晩、西麻布で遊び呆けた人生。45歳になり、嫁をもらいました。一人暮らしから2人暮らしになり、そして今。父親の準備、始めました」

 AMEMIYAは続ける。

「俺は父親を知らない。だから父親というものがわからない。だったら俺は、お前育てながら、父親として育っていきたい」

 矢作は幼いころに両親が離婚、母子家庭で育っている。そんな情報も挟みつつ、歌はクライマックスへ。

「この先もし、お前がやりたいことがあれば、『お前がやりたいことは 俺はなんでもやらせてあげたい』。父親の準備、始めました」

 生まれてくる子どもに対する父・矢作の愛の讃歌は、おぎやはぎの漫才に出てくるお決まりのフレーズを引用しながら 最高潮に達した。

 あるいは、『新TV見仏記』(関西テレビ)。みうらじゅんいとうせいこうが2人で全国の寺と仏像を見て回る番組である。合間にスイーツを食べるコーナーもある。今回訪れたのは淡路島だ。

 オープニングで2人が語るところによると、両者は一緒に観覧車に乗ったことがない。ただ、観覧車を臨むホテルで、2人でお酒を飲みながら夜景を眺めたことは2度ほどあるという。

みうら「観覧車に乗るほうならまだしも、その観覧車の夜景をホテルの窓から見てた俺らのほうが、距離が近いからね」

いとう「恋人度でいったら、観覧車って相当上だと思うんですよ。だけどそれを見てお酒を飲んでるのは、恋人度としてはMAXですよね」

みうら「当然『きれいね』は出たよね。『お前もな』が出るでしょ」

いとう「出ないでしょ」

 いとうせいこう58歳、みうらじゅん61歳。ともにアラカンを迎えるおじさん2人の間の友愛。それを自分たちで恋愛に読み替えてネタにしていく会話のおかしみである。

 そして、『24時間テレビ』。深夜25時ごろから、芸能人とその会いたくない人に仲直りしてもらう、という企画が放送されていた。で、そこに現在売り出し中の若手芸人、EXIT・兼近が出演。VTRによると、当時中学2年のときに付き合っていた彼女を、二股で傷つけてしまったという。彼女のほうは二股の現場を目撃し、男性不信に陥ってしまったとか。

 そんな2人が番組で再会し、仲直りすることになるのだが、兼近は放送中も「盛りすぎ」と何度かVTRの不正確さに言及していた。また、ベトナムでユーチューバーをしているという元カノは、出演直後に動画をアップ。二股の現場を見たことはないし、男性不信になったこともない、番組のスタッフに兼近の悪いエピソードを求められた、付き合っていたころのことは今でもいい思い出だし、今回のことで兼近が嫌われてほしくない、というようなことを話した。実際に何があったのかはよくわからないけれど、とりあえず、どこかで何かがこじれているようだ。

 夏の終わりも近い24日の深夜のテレビ。そこはまさにさまざまな形の愛、あるいはその不自由さが投影され、考えたり、感じ入ったり、笑ったり、なんだかなーと思ったりした企画展のようでした。

(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)