宮城県から岩手県にかけての北上山地に誘致活動が展開されている次世代加速器「国際リニアコライダー(ILC)」。

 全長20kmの直線地下トンネルで電子と陽電子を衝突させることによって、噴出するさまざまな粒子を精密に観測するこの装置。

未来の素粒子物理学を推進し、宇宙の成り立ちを解明する世界最先端の施設として、世界中から注目が集まっている。また、科学界だけでなく、『会長 島耕作』(講談社)でもリニアコライダー編が描かれるなど、にわかに社会からも熱視線が注がれつつあることをご存知だろうか。

 ただ今年3月、文部科学省は「現時点で日本誘致の表明には至らない」と見解を表明。「計画に関心を持って国際的な意見交換を継続する」と、事実上の「先送り」が決定された。

 この見解について、現場の科学者たちはどのように反応したのだろうか? そして、ILCが生まれることによって、どのような未来が生まれるのか? 素粒子物理学の最前線で活躍する東京大学素粒子物理国際研究センター特任教授の山下了氏に聞いた。

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■計画は「先送り」ではない!?

ーー19年3月7日に、文部科学省は「日本誘致の表明には至らない」としながら「国際的な意見交換を継続する」との見解を表明しました。

一見すると「先送り」に見えるこの声明について、山下さんはどのように見られたのでしょうか?

山下:まず、声明自体は決してネガティブなものではないと考えています。文部科学省は、なんとか計画を残すために最大限の努力をしてくれた。そもそも、ILC計画は文部科学省の科学技術予算だけでは賄うことができず、省庁を横断した政策的判断が必要になります。今回必要だったのは誘致の表明ではなくて政府が関心を持っているという一言。そして国際的な議論を進めるということ。内情を知っている研究者からすれば、これは大きな前進でしょう。

ただ、内情がわからない一般社会や外国からすると「ダメだったのか……」と受け取られてしまうかもしれません。

ーー「日本誘致の表明には至らない」という言葉から、計画が暗礁に乗り上げたと解釈する人も少なくありません。ところで、ILCは総額7000~8000億円の予算とされていますが、この予算は、どこから捻出されるのでしょうか?

山下:通常の科学技術・学術・大学予算ではなく、地方創生、高度人材、国際化など政策をまたいでの新しい枠組みからの予算を前提としています。財政が厳しいのだから同じ予算で科学技術の推進にも他の政策にも合致したものとして効果的なものを措置する。特に、半分程度は海外からの予算も見込んでいる。ILCが日本につくられることで、諸外国から超高度人材が日本にやってきて、研究をしながら生活をするようになる。

そこで、半分をホスト国である日本の予算で、半分をアジア、ヨーロッパ、アメリカなどの諸外国から拠出してもらうという計画です。建設期間10年で割ると、日本は年平均350~400億円の規模となります。

ーー通常の科学予算ではなく、さまざまな方法で予算を捻出するんですね。

山下:海外の科学技術予算は伸びている一方で日本の科学技術予算が頭打ちになる中で先端的な研究をするためには、“科学技術の枠を超えた意味”を見出すことによって、予算を増やさなければならない。ILCの場合、地方創生、国際化、イノベーション……など、さまざまな枠組みの政策との横断が考えられると期待しています。海外の予算も取り入たこの枠組みがモデルケースとなることによって、今後科学技術予算のとり方も大きく変わっていくでしょうね。

■日本が支える加速器技術

 

日本に最先端人材が集まる都市は誕生するか?「リニアコライダー誘致」が持つ本当の意味
計画が決定すれば、北上山地に大きな研究都市ができることに。©Rey. Hori / KEK
日本に最先端人材が集まる都市は誕生するか?「リニアコライダー誘致」が持つ本当の意味
全長20キロにわたる施設の全容。©Rey. Hori / KEK

ーーそもそも、ILCを日本でつくる意味はどこにあるのでしょうか?

山下:量子を加速するために、中核装置として超電導加速器が使われます。これは、世界中で、日本で初めて実用化された装置が使われています。そもそも、日本では80年代に行われた「トリスタン計画」に始まり、近年も「Bファクトリー」「スーパーBファクトリー」など、優れた超電導加速器を開発してきたのが日本なんです。

 また、加速器をつくるためにはウィルスよりも遥かに小さな電子・陽電子をぶつけるための「ナノメートル技術」が必要になります。

例えるなら、これは北海道と沖縄からライフルを撃ち、東京の上空でぶつけるほどのすごい技術。

 そこで「加速器技術」と「ナノメートル技術」、この2つを持っているのが日本なんです。技術的に、日本にILCをつくる理由はこの2つが大きいですね。

ーー日本には、ILCを生み出すための高い技術力があるわけですね。

山下:また、リニアコライダーができれば、世界中から人が集まることになります。日本は宗教色が薄く、特定の宗教や人種に対する差別も世界のほかの国よりは少ない。

実は、そんな国はスイスと日本くらいなんです。スイス・ジュネーブにあるCERN(欧州原子核研究機構)には、全周27キロの円形加速器がありヒッグス粒子の発見をしました。

ーー日本国外にもILCのような計画はあるのでしょうか?

山下:中国では、全周100キロにおよぶ莫大なスケールのコライダー計画に着手し、30年代に完成を目指しています。しかし、中国の場合、超電導装置やナノ技術を持っていないためリニアコライダーのような直線加速器をつくることができず、円形加速器の計画になっています。ただ、円形の加速器の場合、電子を加速するとエネルギーロスが大きく、さらにエネルギーをあげると原発数個分と言われるエネルギーを消費してしまう。世界的には、これからの電子の加速器は直線型へと傾いているんです。

 また、ILCのようなプロジェクトは国際的な協力のもとでなければ絶対に成功しないのですが、中国は政治的に国際的な協力を得られにくい。とはいえ、中国は人をどんどんと集めています。日本では、オリンピック後に準備期間を経た上で着手したいと計画をしていますが、いい人材を獲得するためにも、早く準備期間に入らなければなりません。

ーー一方、科学技術大国であるアメリカはいかがでしょうか?

山下:実はアメリカにはかつて、「SSC(スーパーコンダクティングスーパーコライダー)計画」というトラウマがあるんです。

ーー「トラウマ」とは?

山下:レーガン政権時の83年に全周87キロにおよぶ巨大加速器が提案され、89年からは建設も開始された。日本やヨーロッパからも予算を取り付けていたのに、クリントン政権になった93年、突然キャンセルをされてしまった。これ以降、アメリカでは国際協力プログラムのリーダーシップを取ることができなくなってしまったんです。

■ILCが日本人を変える

日本に最先端人材が集まる都市は誕生するか?「リニアコライダー誘致」が持つ本当の意味
https://aaa-sentan.org/ILC/

 

ーーそれでは日本でILCの誘致を進めていくにあたっては、どのような困難があるのでしょうか?

山下:ILCの誘致活動を行ってつくづく感じたのが、反対意見があることが許されないこと。ILCの場合、世界の研究者だけでなく、産業界・経済界、そして地元のみなさんからといった多くの方々に応援して頂いているにもかかわらず、一部の反対によって、計画が進展しにくくなります。日本では、「反対の理由を解決しましょう」という前向きな方向ではなく、反対があることによって動きがとれなくなってしまう。

 その結果、行政は「みんなが賛成するもの」に予算を使いたがります。最先端の科学には不安を覚える人もいるでしょう。予算を集中させることに反対する人もいるでしょう。全員が賛成するものと言ったら、世界の予算を結集して最先端の研究をするような施設は、日本ではもうできなくなってしまいます。

ーー「みんなが求めるもの」を求めた結果、エッジが立っているプロジェクトができなくなる……。科学技術のみならず、日本全体が抱える宿痾(しゅくあ)ですね。

山下:また、落とし所がないと議論できないという文化があります。世界から予算を集めるためには、分担の比率を決めるための国際交渉が必要になります。しかし、分担交渉がまだ始まってもいない中でその比率は決められませんよね。だからまずは、交渉を始めてしまえばいいのに、始める前に結論を出しておかなければならないというのが日本の文化です。

 つまり、反対意見に対する過剰な尊重と、交渉を始める前に結論を出しておかねばならないという文化。この2つが日本の成長を押し止めているように感じる。世界でもこんなに躊躇する国は日本だけでしょうね。新しいことにトライアンドエラーしていく段階なのに、トライもないからエラーもない。そんな不思議な国はありませんよ。

ーーでは、山下さんはILCがつくられることによって、どんな未来が待っていると思いますか?

山下:世界の人が集まれる知のフロンティアができることがまず第一。きっと人類の歴史に残る大発見がある。そして技術の波及と国際的な人材の宝庫になることが2つ目。何万年もかかる核廃棄物の処理も、超電導加速器を使って100年単位に短くなる可能性があるし、原子核を変えて新しい物質を作り出すことで、がん治療などにも効果を発揮することが期待されます。また、インターネットを普及させた基盤技術WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)も、粒子線がん治療もPET診断も、もともとは素粒子物理学の分野から生み出されたもの。ディープラーニングの前のニューラルネットワークも20年以上前から使ってきたし、超電導の大規模施設の初めての実用も米国の加速器施設です。新しいものを開発することだけしかできない研究者が何千人も集まることによって、副次的にもさまざまな先端技術が生み出されていきます。

 それに、ILCの建設は、技術的な面だけでなく、日本人の心理的な面にも大きな影響を及ぼすでしょう。世界でも最先端の施設が生み出されることによって、新しいことにチャレンジしていくマインドが生まれます。科学技術は何よりも、人の気持ちを変えるもの。ILCによって「日本はすごい!」という自信を持つことができ、「これもできるんじゃないか?」と未来への希望を生み出すことができれば、日本人のメンタリティは大きく変わっていくはず。ILCを通じて、日本人を、どんどんチャレンジをしていくメンタルに変えていきたいですね。

●山下了(やました・さとる)
東京大学素粒子物理国際研究センター特任教授。高エネルギー加速器研究機構 客員教授。先端加速器科学技術推進協議会 大型プロジェクト推進部会 部会長。東北ILC準備室 フェロー。ILC戦略会議 議長。1995年 京都大学大学院卒業、理学博士。専門は素粒子物理実験と加速器科学で、95年から6年間にわたり欧州原子核研究機構(CERN)に滞在。国際リニアコライダー計画にはCERN滞在当時より物理研究アジア責任者を務め、以降20年近く計画推進の中心として携わっている。