『解放区』が公開中の太田信吾監督(画像右)と『解放区』に衝撃を受けたと語る阪本順治監督。世代は違うが、共に熱い映画を撮る映画作家だ。

 令和元年を象徴する、火傷しそうなほどに熱いインディーズ映画『解放区』が現在公開中だ。自殺した親友を被写体にしたドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13年)が国内外の映画祭で高い評価を受けた太田信吾監督の劇映画デビュー作であり、太田監督は主演も兼任している。主人公の須山は東京の映像制作会社でADとして働いているが、引きこもりの青年を取材している現場でトラブルを起こしてしまう。東京で居場所を失った須山は大阪のドヤ街へと漂着し、西成を舞台にした新しいドキュメンタリー作品を撮ろうとするも、逆に西成という街の圧倒的なリアリティーに呑み込まれてしまう。

「ここ何年もの間に観た劇映画の印象がすべて吹っ飛ぶくらい、衝撃を受けました。」というコメントを本作のフライヤーに寄せたのは阪本順治監督。デビュー作『どついたるねん』(89年)から、現役ボクサー・辰一郎の姿を追い続けた『ジョーのあした ―辰一郎との20年―』(15年)まで大阪を舞台にした数々の映画を撮ってきた阪本監督が、太田監督との対談に応じた。

『解放区』の驚きの制作内情から大阪市との間に起きた助成金返上問題まで、両監督が日本映画界のシビアな現状について語り合った。

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――阪本監督、まず『解放区』をご覧になった感想を改めておうかがいできますか。

阪本 西成という街を上から目線で撮っていないし、劇映画としてとても面白いと思った。社会派作品と呼んでいいんだろうけど、太田監督は正しさを声高に叫ぶのではなく、娯楽作として見せている。映画の持っている熱量が伝わってくるし、作り手の顔も見えるしね。太田監督は主演も兼ねているから、顔が見えるのは当然なんだけど(笑)。

クソみたいな映画業界に対して、僕はいつもツバを吐いてきたけれど、厳しい条件の中で完成させたこの映画を観てからは、天に向かってツバを吐くようなことは止めようと思った。オリンピックや万博の開催に浮かれる今、この国の繁栄を最底辺から支えてきた人たちが暮らしてきた街を舞台にした『解放区』が公開される意義は大きいですよ。

太田 大阪の街を生き生きと描いてこられた阪本監督にそう言ってもらえると、うれしいです。僕が西成で映画を撮ろうと思ったきっかけは、大学の卒業制作で撮った『卒業』(10年)というドキュメンタリー映画でした。西成でも上映されることになり、それで初めて西成に足を踏み入れたんです。『卒業』は引きこもりをテーマにしたセルフドキュメンタリーだったんですが、地元のオッチャンたちがゲラゲラ笑いながら観てくれた。

そして街を案内し、ドヤ街としての歴史を教えてくれた。危ない街という先入観は最初からなく、むしろみんなすごく人間味があって、温かい街だなと感じたんです。いろんな問題を抱えているけど、コミュニティーとして機能しているこの街を舞台に、いつか映画を撮りたいなと考えるようになったんです。

阪本 実は僕も20代のとき、西成で8ミリカメラを回して自主映画を撮っていたことがあった。僕の責任なんだけど、その自主映画は半分も撮り切れず、石井岳龍監督の『爆裂都市 BURST CITY』(84年)の現場で僕は仕事をするようになってしまった。未完成のままで終わってしまったその映画のことは、ずっと胸に残っている(苦笑)。

西成を舞台にした『解放区』は何が問題だった?  阪本順治×太田信吾監督が邦画界の内情を語る
東京で居場所を失った須山(太田信吾)は、大阪の西成で新しいドキュメンタリー作品を撮ろうとするが……。

――西成で映画を撮るのは難しいんでしょうか?

阪本 いや、そんなことはないよ。別に怖いことはないけど、カメラがあるとオッチャンたちがすぐに寄ってくる。自主映画を撮っていたときもオッチャンが後ろに来て、「この映画のテーマはなんや?」と訊かれた(笑)。オッチャンは関西弁なんだけど、よく聴くと東北訛りが入っている。西成って、地方出身者たちが集まった街なんです。

松井良彦監督の『追悼のざわめき』(88年)や山本政志監督の『てなもんやコネクション』(90年)なども、西成で撮っていますよ。

太田 『解放区』を撮ったのは2013年だったんですが、それから6年が経って、西成も変わってきています。2019年3月で「あいりん総合センター」が閉鎖され、街のいたるところに立っていたシャブの売人たちも姿を消してしまいました。西成で最後に『暴動』が起きたのが2008年。その頃に比べると、ずいぶん変わったと思います。映画にも出ていますが、西成出身のラッパー「SHINGO★西成」さんの影響でラップをする若い子も増え、「釜ヶ崎SONIC」という音楽フェスがあったり、オッチャンたちの紙芝居劇団があったり、文化的な匂いのする街に変わってきていますね。

阪本 西成は1990年に起きた『暴動』が大きかったけれど、当時は「花博(国際花と緑の博覧会)」があって、街に活気があった。関西国際空港の開港(94年)や阪神・淡路大震災後の復旧のときも、若い労働者たちが集まり、西成は賑わっていた。経済状況によって、すごく変動のある街でもある。『どついたるねん』の後、『王手』(91年)や『ビリケン』(96年)も新世界で撮影したんだけど、西成のオッチャンたちは飲み食いするのに新世界へと流れてくる。カメラを回していると、やっぱりオッチャンたちが集まってくる。新世界と西成が繋がっている感じだった。新世界は今では観光地化して、すっかり串揚げ通り状態(苦笑)。大阪に帰っても新世界にはあまり行かず、西成の三角公園あたりに佇むようになった。西成のオッチャンたちは、みんなひとり。ひとりで過ごすには、西成はいい街だよ。

西成を舞台にした『解放区』は何が問題だった?  阪本順治×太田信吾監督が邦画界の内情を語る
現在、2本の新作映画の準備を進めている太田監督。俳優としても、非凡なものを持っている。

――『解放区』は大阪市から助成金を受けて製作されたものの、完成後に大阪市から内容修正を求められ、助成金60万円を返上したことがニュースになりました。自主映画を撮っている若者にとって、60万円は大きいですよね。

太田 カツカツで映画を撮っている者にとって、かなりの金額です。大学を卒業した後、正社員として働いていた時期もあったんですが、7年がかりで撮影した前作『わたしたちに許された特別な時間の終わり』の評判がよかったこともあり、会社を辞めて『解放区』を撮ることに専念していたので収入はありませんでした。それまでの蓄えと僕の映画づくりを理解してくれる人からの個人的な支援で撮ったものです。CO2(シネアトス・オーガニゼーション大阪)という大阪の映画組織を通じて、事前に脚本を渡し、西成で撮影することやドキュメンタリータッチの作品になることは大阪市側にも伝えていたんですが、『解放区』が完成した後から、三角公園など西成と分かるシーンはカット、西成のことを「どん底」と呼ぶ台詞や「統合失調症」などの言葉も使わないようにと言われたんです。それではこの映画が成り立たなくなってしまう。CO2はすごく懸命に動いてくれて、僕が大阪市側と直接話す場も設けてくれたんですが、話し合ってもダメでした。一度は向こうの修正案に譲歩したものを編集したんですが、それもダメということで。

阪本 役人は自分の経歴にキズがつかないようにすることしか考えてないからね。表現する側の立場になって、考えることはしない。自分が監督した映画の中にも助成金を受けた作品はあるけど、映画の完成後しか助成金は受け取れない。作る側としては撮影前にお金が必要なんだけど、そういった都合はまったく通じない。もちろん、そんな人ばかりじゃなくて、文化支援にちゃんと理解ある役人もいるはずだけど、太田監督はそうじゃない人に当たってしまったわけだ。

太田 結局、助成金は返上して、『解放区』は本来の形のまま上映できる場を探すことになったんです。2014年の東京国際映画祭などで上映されて、観た人たちからの反応はよかったんですが、配給は決まりませんでした。一度、配給に名乗りを挙げてくれた人がいたんですが、多忙らしく、その人に預けたまま劇場公開が決まらない宙ぶらりん状態が続き、5年が経ってしまった。それまで音楽映画を主に配給していた「SPACE SHOWER FILMS」が音楽映画ではない配給第1弾作品に選んでくれ、ようやく劇場公開に辿り着きました。この5年間は、この映画を熟成させるために必要な時間だったと考えるようになりました。助成金問題も、宣伝のネタに活用してやろうと今ではポジティブに受け止めています(笑)。

日本映画界の構造的な問題

阪本 映画をプロデュースする立場の人間は、映画をつくるだけでなく、どうアウトプットするかも常に考えないといけない。僕が撮ったドキュメンタリー映画『ジョーのあした ―辰一郎との20年―』も、なかなか配給会社が決まらなかった。ライブハウスなどを借りて自主上映することもできたけど、20年以上の時間を費やしてフィルムで撮影した映画だから、ちゃんとした配給会社に頼んで劇場公開したかった。無償で長年働いてくれたスタッフに、少しでもギャラを渡したかったしね。

太田 僕もちゃんとした配給のプロに頼みたいと思い、それで時間が経ってしまいました。阪本監督の作品の中には、映画の完成から公開まで寝かしたことで逆によかったものはありますか?

阪本 いや、映画が完成したら、「今を撮った作品だから、早く公開してくれ」と自分はいつも頼んでいる。でも、今の日本は映画の公開本数があまりにも多すぎて(※2018年度の映画公開数は邦画613本、洋画579本、合計1,192本)、スクリーンの奪い合い状態。小さなミニシアターで上映期間は1週間、しかもモーニングショーの1日1回だけの上映で、どれだけの人が観ているんだということにもなっている。これはDVDなど二次使用する際に「劇場公開作」という肩書きを入れるためだけの上映ですよ。

――シネコンで上映される作品も、初週の集客が思わしくないとすぐに打ち切られてしまいます。

阪本 配給の問題は難しい。あまりこちらから劇場側にうるさく言うと、「そこまでおっしゃるなら補償金は用意できますか?」と訊かれるしね。制作プロダクションも下請け会社化して、疲弊しきっている。結果、制作プロダクションがどんどん潰れている現状がある。その一方、「製作委員会」に参加している企業側はどこも懐を痛めない構造になっている。う~ん、これ以上は映画業界の悪口を言うのを止めます。いつまで話しても埒が明かないから(苦笑)。

西成を舞台にした『解放区』は何が問題だった?  阪本順治×太田信吾監督が邦画界の内情を語る
阪本監督は『人類資金』(13年)以降、グローバル経済と個人の関係に言及した意欲作を撮るようになった。

太田 助成金に関してですが、国によって対応が違うことにも驚きました。韓国の釜山国際映画祭の脚本制作助成に応募したところ、企画書だけでポンッと脚本の制作費を前払いしてくれたんです(笑)。そのお陰で、今は韓国と台湾との合作映画の準備を進めることができています。釜山国際映画祭は自国の映画人だけでなく、アジア全体の若い映画人を広く育てようという気概を感じさせます。

阪本 釜山国際映画祭には、僕も20年前くらいにシナリオを応募したことがある。韓国映画は政府が映画産業を支援したことで成功したわけで、日本はそれを真似て映画支援するようになった。でも、経済産業省の人たちはみんな、映画のことをコンテンツと呼ぶからね。心理学者の河合隼雄さんが文化庁長官(2002年~2006年)を務めていたときに、僕も映画産業振興を謳った会合に呼ばれたことがあるけど、某有名大学の学長さんが「映画はビジネスなのに助成金を渡す必要があるのか」みたいなことを言っている。やりとりを聞いていると、いい映画と悪い映画は誰がどう判断するんだとか、いろいろと疑問が生じるわけです。思わず「どういう映画がいい映画なんですか?」と尋ねたら、『ローマの休日』(53年)みたいなのがいい映画だと。いったい、いつの時代だよと(笑)。もちろん、河合さんはちゃんと分かっている人でした。志を持った、熱意のある若者が新しいものを創ろうとするにはお金が必要になる。河合さんは「やっぱり銭やな」と最後に言って、その会合を締めたんです。

――9月に公開された『宮本から君へ』(配給:スターサンズ)は薬物所持で逮捕されたピエール瀧の出演シーンをカットしなかったことから、内定していた助成金1000万円の不交付を文化庁が決めたというニュースが先日ありました。この件はどう思いますか?

阪本 そのニュースは聞いたばかりで、まだ内情が分からないので答えられない。でも製作側は出演者が犯罪を犯していることを知らずにキャスティングしたわけで、予算組みに1000万円は当然入れていただろうから、痛いのは確かでしょう。

西成を舞台にした『解放区』は何が問題だった?  阪本順治×太田信吾監督が邦画界の内情を語る
暴力ディレクターに扮した岸建太朗は、撮影監督も兼任。主演作『種をまく人』(11月30日公開)ではまったくの別キャラを演じている。

――『解放区』の西成ロケは、スタッフ&キャストが無料の炊き出しに並びながらの撮影だったそうですね。

太田 炊き出しに並んだり、コンビニで賞味期限切れの弁当が早朝安く売られているのを食べたりしました。おにぎりが10個で100円だったりするんです(笑)。西成の喫茶店「アース」のマスターと仲良くなり、ロケ期間中は店の二階三階で寝泊まりさせてもらえたのも、助かりました。多分、ホテルに泊まっていたら、別の映画になっていたと思います。キャストとスタッフが西成で合宿みたいな生活を送ったことで撮れた映画ですね。実は最初はオーディションもやって、プロの俳優をキャスティングしようとしていたんですが、西成に撮影の2週間前から前乗りすることを伝えると断られたんです。それで監督の僕が主人公の須山を演じ、撮影監督の岸建太朗さんが主人公と衝突するディレクター役も演じるなど、スタッフが出演も兼ね、あとは映画の内容に賛同してくれる少数のキャストだけで撮影することにしました。日雇いバイトのシーンは、男性スタッフが無償で働くことを交換条件にして、実際の解体現場で撮影させてもらいました。僕が解体現場でクギを踏んで怪我をしたのは予想外のアクシデントでしたけど、改めて健康や怪我のリスクを負いながら働いている日雇い労働者の方々の暮らしの危うさが痛いほど分かりました。みんなで一緒に汗を流したことで、いろんな驚きや発見が映画に宿っていったようと思います。日雇いの仕事を斡旋したオッチャン(朝倉太郎)が「紹介料」と須山に金をせびる台詞は、阪本監督の『王手』で子どもが「情報料」とヤクザに手を出すシーンのオマージュです(笑)。

――阪本監督は『どついたるねん』の1カ月に及ぶ撮影期間中、食事をしなかったエピソードが有名です。物づくりにはハングリーさも必要なんでしょうか?

阪本 『どついたるねん』のときは、赤井英和の減量に付き合ってだった。その後も映画の撮影中に食事をしなくなったのは、神経を研ぎ澄ますとか、そんなかっこいい理由ではなく、単に胃が受け付けなくなってしまったから。今でも撮影期間中はほとんど食事はしない。お昼にカロリーメイトを1箱食べ、夜は柿ピーだけ(笑)。

太田 さすがに朝ご飯は食べますよね?

阪本 いや、朝食も摂らない。スタッフは僕が食事をしないことを知っているから、僕の分の弁当も用意しない。僕の前でうまそうにスタッフは弁当を食べるわけです。『エルネスト もう一人のゲバラ』(17年)の撮影でキューバに1カ月間行ったときは、15キロも痩せてしまった。

太田 すごい……。

西成を舞台にした『解放区』は何が問題だった?  阪本順治×太田信吾監督が邦画界の内情を語る
引きこもりから脱しようともがく青年を演じた本山大。物語の後半、彼が叫ぶ台詞は胸に迫るものがある。

――『解放区』の終盤、主人公に誘われる形で西成を訪れた引きこもりの青年(本山大)の「どん底にいる人間の気持ちを一度でも考えたことがあるのか?」という言葉は心に刺さりました。「メディアは人を救うことはできない」という叫びにも聞こえました。あの台詞はどのようにして生まれたんでしょうか?

太田 学生時代にドキュメンタリーの制作会社でバイトをしていた時期があったんですが、そのときの体験がベースになっています。カメラを回している側が上から目線で撮影していることに疑問を感じたんです。自分たちは安全な場所にいて、取材対象を都合いいように加工している。それってメディアによる搾取じゃないかと思ったんです。それと現実に起きているニュースをまるで他人事のように受け流す社会の風潮もどうなのかなと。自分の問題に置き換えながら、『解放区』を観てもらえればなと思います。他者の物語を奪い、身勝手に調理するのではなく、僕の映画の現場は、スタッフも含めた個々がそれぞれの物語を持ち寄り、誤解や偏見を解きながら想像を常に更新し続ける公園のような場でありたいですね。

阪本 ドキュメンタリーだからできることもある。劇映画だからやれることもある。目の前にある問題に向き合って、自分たちの映画をつくっていくしかないんじゃないかな。

太田 大阪のテアトル梅田や地方でも11月から『解放区』の上映が始まります。合宿所を提供してくれるなど、西成での撮影を支えてくれたカフェ「アース」のマスターは大阪での上映をすごく喜んで、映画のポスターをあっちこっちに貼ってくれています。飛田新地には昔からある成人映画館が残っていたりするので、そういう劇場でも上映できると面白いかもしれません。西成のみなさんと一緒に映画を楽しめればいいなと思っています。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『解放区』

監督・脚本・編集/太田信吾

出演/太田信吾、本山大、山口遥、琥珀うた、佐藤亮、岸建太朗、KURA、朝倉太郎、鈴木宏侑、籾山昌徳、本山純子、青山雅史、ダンシング義隆&THE ロックンロールフォーエバー、SHINGO★西成

配給/SPACE SHOWER FLIMS R18+ 10月18日よりテアトル新宿にて公開中、11月1日(金)よりテアトル梅田ほか全国順次公開

(C)2019「解放区」上映委員会

http://kaihouku-film.com/

●太田信吾(おおた・しんご)

1985年生まれ、長野県出身。大学の卒業制作として撮ったドキュメンタリー作品『卒業』(09年)がヨコハマ国際映像祭2009入選、イメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー作品『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13年)は山形国際ドキュメンタリー映画祭2013ほか国内外の映画祭に出品された。初の長編劇映画『解放区』は2014年の完成後、東京国際映画祭2014日本映画スプラッシュ部門などに選ばれ、2019年に劇場公開が決まった。『情熱大陸』(TBS系)などのテレビ番組の演出も手掛けたほか、俳優としても活躍中。

●阪本順治(さかもと・じゅんじ)

1958年大阪府生まれ。横浜国立大学中退。在学中より、石井岳龍監督らの製作現場にスタッフとして参加。赤井英和主演映画『どついたるねん』(89年)で監督デビュー。新世界を舞台にした『どついたるねん』、『王手』(91年)、『ビリケン』(96年)は「新世界三部作」と称されている。その他の主な監督作に『トカレフ』(94年)、『顔』(00年)、『KT』(02年)、『闇の子供たち』(08年)、『行きずりの街』(10年)、『人類資金』(13年)、『エルネスト もう一人のゲバラ』(17年)など。今年2月に劇場公開された稲垣吾郎主演作『半世界』は現在DVDがリリース中。