YouTube上の映画『マダム・イン・ニューヨーク』予告編より。

 「インド」と聞いて日本人がイメージするものに「ヨーガ」「カレー」などがあるが、2010年代以降、そこに「歌と踊り」が加わった。

これは、映画の影響が大きい。インド映画といえば北インドのヒンディー語映画製作拠点であるムンバイ発の「ボリウッド」という印象が根強いが、例えば「応援上映」イベントが行われるほど話題になった『バーフバリ 伝説誕生』は南インド発の作品だ。AmazonプライムビデオやNetflixで「インド」と検索すると、「歌と踊り」の映画以外に『きっと、うまくいく』や『マダム・イン・ニューヨーク』といった洗練された作品、はたまた北米在住のインド系向けに仲人(結婚相談所的なマッチングサービス)ビジネスを展開する女性をホストにしたリアリティ番組『今ドキ! インド婚活事情』など、多様なコンテンツがヒットする。


 また、Apple MusicやSpotify、YouTubeを使えば無数のインド/南アジア音楽を気軽に聴くことができる。

 このように、かつてよりインド文化に手軽に触れられるようになった。一方で、どんな背景からそれらが生み出されているのか、どう変容しているのかは意外と知られていない。

 先頃出版された『世界を環流する〈インド〉 グローバリゼーションのなかで変容する南アジア芸能の人類学的研究』(青弓社)では、研究者たちがインドを軸にパキスタン、ネパールなどを含めた南アジア文化圏の音楽と舞踊を「環流」という視点から論じている。そんな書籍の編者のひとりである甲南大学文学部の松川恭子教授に、広がり、変容しゆくインド文化の動向について訊いた。

グローバル市場でヒットする非ボリウッド映画、ココイチの本場進出……世界を「環流」するインド文化の現在
松川恭子、寺田孝編著『世界を環流する〈インド〉 グローバリゼーションのなかで変容する南アジア芸能の人類学的研究』(青弓社)

――日本でも随分とインド映画が親しまれるようになり、いろいろなタイプの作品が入ってきています。また、日本に入ってこないようなタイプのインド産映画もあるということが、『世界を環流する〈インド〉』に収録された杉本良男さん(国立民族学博物館名誉教授)の論文「パチもんの逆襲 インド映画の二十一世紀」を読んでわかりました。在外インド人(NRI)市場を見込んだ作品、NRI以外も含めたいわゆるグローバル市場を見込んだ作品、インド全土の観客を見込んだローカル作品、地域ごとの特色の強いさらにローカルな作品の4種類があるという理解でいいでしょうか?

松川 さらに言うと、NRI市場を見込んだ映画は、21世紀に入って以降は大衆向けのボリウッド系と、国内のミドルクラス(中間層)も視野に入れたインディペンデント系に分けられると考えます。日本でも公開された『マダム・イン・ニューヨーク』はその中間にあり、『めぐり逢わせのお弁当』は後者で、かつNRI以外の世界市場にも向けて、映画祭に出品した後で配給されるような作品ですね。

こういった作品が台頭してきた背景には、シネコンが都市部に増えたこと、ミドルクラスが観に行くニッチな映画が予算が少なくても作れるようになったことなどがあります。

 また、大衆向けのボリウッドの中でも、国内向けというより初めから海外志向の映画もありますね。ボリウッドの人気俳優も出ているけれども、ニューヨークを舞台にした『たとえ明日が来なくても』(03年、原題『Kal Ho Naa Ho』)のような作品です。こういうものは、インドの農村部の人たちにはあまり共感されません。

――なるほど。Netflixなどでは洗練されたタイプのインド映画がたくさん配信されていますが、それはインド全土で大衆的な支持を得ているわけではないと。

松川 インド映画はしばしば「ボリウッド」でひとくくりにされますけれども、例えば大衆受けする『バーフバリ』のような大作は南インド発――あれはインドの公用語であるヒンディー語ではなく、テルグ語という地方語で作られています――で、かつ全インド市場を狙っている作品です。

 近年の現象として、杉本先生が書いておられるように「地方の逆襲」と呼ぶべき地方言語の作品が全インド向けに作られ、あるいはNRIにも波及していくことが起こっています。私が研究しているゴア州は人口約140万人でインドの中では小さく、しかもキリスト教徒が多いのですが、そういう土地でも14年以降に現地語で映画がたくさん作られるようになっています。ボリウッドのヒンディー語映画はムンバイ、地方語の中でも絶大な影響力をもつタミル語映画は南インドのチェンナイが製作の中心地となってきましたが、それ以外のところでも多くの映画が作られるようになっています。

 日本のメディアではインドというと暴力、レイプの話が大きく報道されたり、カーストや差別の話が多いですから、興味を持ってもらえるきっかけとして映画やヨーガ、インドカリーが広がるのはいいことだなと私個人は研究者として思っています。ただ、できれば「あの映画、面白かった」で止まるのではなく、どういった経緯でそれらが日本に入ってきたのか、どういう歴史がインドにあるのかまで興味を持ってくれれば嬉しいですね。

 私は大学でインドのメディアから歴史と現状を見るという授業を行っているんですけれども、映画の話をきっかけにインド国内で多言語が使われていることからくる問題が語れたり、植民地時代にボンベイ(ムンバイ)が映画の中心地になった流れなども見えたりします。インドの俳優は政治家として持ち上げられ、その人気がナショナルなものとして利用されることもあって、注意すべき部分もあるんです。

――映画がそうであるように、インドでは地域ごとに文化的な特色が違うと本にありましたが、音楽に関する記述も意外に感じる動向が紹介されていました。岡田恵美さん(国立民族博物館人類基礎理論研究部准教授)の「インド北東部ナガランド州にみるローカリティの再創造 ポピュラー音楽振興政策とフェスを通じて『つながる』ナガの若者たち」によると、ナガランドではボリウッド映画や映画音楽の消費は非常に小さく、韓国ドラマや韓国映画、ロック、ブルース、K-POP、J-POPのほうが好まれていて、ナガの人たちはボリウッドには異質性を感じる一方、欧米や東アジアのポピュラー文化には親近感を覚える、と。

松川 ナガランドはインド国内でもオリエンタルでエキゾチックな民族衣装を着ている人の多い地域と認識されているんです。でも、一方ではロック・フェスティバルを開催し、若者文化を押し出していこうとしている。

本の中では、山本達也さん(静岡大学人文社会科学部准教授)がチベット難民の人たちによる「チベタンポップ」のレコーディングについての論文を書いています。彼の調査によると、それに携わっているミュージシャンたちはジェニファー・ロペスなどを聴いているそうで、インドや南アジアでもミュージシャンたちはグローバルな動向にアンテナを張っています。

 もちろん、インド全体で見ればボリウッド人気は根強く、インドのMTVではずっとインド映画の歌が流れていますから、映画のプレイバックシンガー(踊りのシーンでバックに流れる音楽を担当する歌手)を目指す人も多いです。最近はソヌ・ニガムのように個人としてアルバムを出して名前も売れている歌手も出てきていますが、視聴者参加型のオーディション番組、ダンスコンテストの多さにもインド映画の影響力の大きさは見えますね。もともとインド古代の演劇理論書に、演劇とは歌と踊りを含んだものとの記述があり、それをベースとした演劇や民俗芸能からインド映画は発生しています。ですから、観客もそういう側面を期待していますし、特にダンスは裾野が広く、古典舞踊のバラタナーティヤムやカタックを習っている人も多いわけです。

――地域文化の多様性との関係でうかがいたいのですが、インド国外にいるインド人(NRI)市場を念頭に置いて作られる新しいタイプのサリーは特定の地域に還元されないファッションになっていて、「NRIサリー」としてインド国内でも人気を博している、とありました。ということは、もともとは地域に対する所属意識が強い人が多いけれども、インドの外に出ると「インド人」というナショナル・アイデンティティのほうが強まるということですか?

松川 そうですね。杉本星子さん(京都文教大学総合社会学部教授)の書籍『サリー! サリー! サリー! インド・ファッションをフィールドワーク』(風響社)に詳しいですが、今あるサリーのイメージはインド独立運動のときに形成されたものです。NRI、中でもアメリカ在住の人たちは自分の子どもにインド文化を継承してほしいという願いを持つようで、そこで象徴としてサリーが身につけられる。けれども、そのときファッション性も付与される。そして、それがインド国内に逆に影響を与えるようになった。今ではFabindiaのようにミドルクラス向けのオシャレで手頃なブランドもあって、海外展開もしています。

グローバル市場でヒットする非ボリウッド映画、ココイチの本場進出……世界を「環流」するインド文化の現在
Fabindiaのホームページより。

真に正しいインド文化は存在しない

――NRIサリーの事例が象徴的ですが、『世界を環流する〈インド〉』ではインド国外に住むインド人(NRI)の存在がマーケットとして大きく、また、その動向がインド国内にも影響を及ぼしていることが書かれ、インドと国外に住む非居住インド人コミュニティなどとの双方向的な関係を「文化の環流」ととらえながら、さまざまな論が展開されていきます。つまり、我々がイメージする「インド」はインドから一方的に発信されたものではない。受け手側の需要や思惑との相互影響的な関係にあって、そのせめぎ合いの中で再帰的に決まっていると。例えば、多民族・多文化国家であることを対外的にアピールしたいマレーシアでインド舞踊が公的な場で演じられるときには、もともとあったヒンドゥー教由来の宗教色を脱色したものが提供される、といったように。だから、誰が「インドっぽいもの」を求め、どういう思惑で作り手がそれを提供しているのか、ということに意識的になると、インド発の映画や音楽に触れる際にまた違って見えてくるように感じました。

松川 芸能の消費者側が演者にイメージを押しつけているだけでもないんですね。インドの人たちはしたたかですから、「とにかく生き抜いてやろう」という心意気が見られます。例えば、田森雅一さん(愛知大学国際コミュニケーション学部教授)の論文「越境し環流する音楽文化 フランスでのインド伝統音楽の再帰的グローカル化」を読むとわかりますが、インド出身のミュージシャンが地元(故郷)の音楽の伝統を活かしながら、しかし消費する欧州のオーディエンスの意図を柔軟に読み取って、ワールド・ミュージック市場の中で生きていく。

 芸能に限らず、例えば日本のインド料理店にしても――最近はネパール人が始めることが多いですけれども――ナンに力を入れていますよね。しかしインドの普通の大衆食堂では、ナンではなく薄く焼いたチャパティを食べますから、あれは日本に合わせたローカライズなわけです。あるいは逆に、ココイチ(カレーハウスCoCo壱番屋)がインドに進出する、つまりインドからイギリスを経由して生まれた日本のカレーが本家に輸出される。これも環流の流れです。

 ヨーガの実践者もそうですね。日本でヨーガ教室を主宰している方にインドで学んだときの経験をうかがったことがありますが、同様に海外から来ている人もたくさんいたそうです。そこではインドの伝統を踏まえたものを学ぶのだけれども、同時に海外の人たちが「これがインドだ」と感じるものも採り入れられている。

――ヨーガのときのリラクゼーション音楽としてグローバルに定着した、インドの宗教音楽キールタンを実践する欧米のミュージシャンを論じた小尾淳さん(大東文化大学国際関係学部助教授)の論文「インドの宗教歌謡キールタンの影響 宗教実践とポピュラー音楽の間」などを読むと、「本来持っていたものが薄まって国際的に広まった」面もあるものの、それだけだと否定的にとらえるのは誤りで、広がった入り口から深くハマるインド国外の実践者もいたりと、さまざまな混淆と変容が見られるのが興味深かったです。

松川 文化人類学では「真正性」の問題として議論されるのですが、実際は「真に正しい文化」なんて「ない」ですよね。「文化の流用」という話も昔から文化人類学ではよく出ていますが、かつては、例えば「インドから日本に来て、どう変わったのか」というところで議論が止まっていた。そこに杉本先生などが「環流」という枠組みを唱え、今回の本では「行って帰って、さらに流れていく」という3方向にまで概念を拡張していきました。伝統や真正なるものを私たちは求めるけれども、実際にはインド的なるものは個々の音楽家や舞踊家、デザイナーなどの活動の解釈の中で生まれています。

――松川先生が目下取り組まれていることは?

松川 私は湾岸諸国のインド系移民について研究していますが、例えばクウェートではすでに20年以上在住していて、クウェートで生まれたインド系2世が大人になっています。こういう人たちはインド国籍を持つNRIなんですけれども、自分のことをインド人とは思えないわけです。しかし、湾岸諸国では移民に対して国籍を与えません。では、将来どうしていくのか。自分をどう自己規定して、どう生きているのか。そういうことを研究しています。話を聞くと、ボリウッド映画は観るけれども「インド生まれのインド人とは違うんだ」という意識を持っています。最終的には、そういう人たちはさらにオーストラリアやカナダに行ったりするんですね。

――ああ、移民が多くて、国籍を与えてくれるところに。

松川 日本で「サードカルチャーキッズ」(両親の国の文化を第1文化、生活している国の文化を第2文化とした場合、そのどちらでもない狭間の第3文化の中で人格形成に影響を及ぼす時期や思春期を過ごしている/過ごした子どもたちのこと)と言われている人たちと共通性があるなという印象があります。第1世代はインドに戻ることが前提だけれども、第2世代はインドに行ってみても馴染めません。例えばインフラが素晴らしい湾岸諸国の生活に慣れていると、トイレをモディ政権が作っていると言っても衛生面で到底受け入れられない。ただ、コロナで状況が変わってしまって、やむなくインドに帰った人たちもたくさんいます。そういう人たちがこれからどうするのかを含めて、見ていきたいところです。

●プロフィール
松川恭子(まつかわ・きょうこ)
1972年、大阪府生まれ。甲南大学文学部教授。専攻は文化人類学、南アジア地域研究。著書に『「私たちのことば」の行方』(風響社)、共著に『湾岸アラブ諸国の移民労働者』(明石書店)などがある。