写真/Kyogo Hidaka

 アパートの大家さんとの交流を描き、シリーズ120万部を突破した『大家さんと僕』で、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した矢部太郎さん。その最新作『ぼくのお父さん』が6月17日に発売された。

 今回は芸人・漫画家として活躍する矢部さんにインタビューを敢行。創作の裏話や自身の芸人としてのルーツなどをうかがった。

姉と両親の4人家族、矢部家の日常を描く

 東京都東村山市出身の矢部さんが、絵本・紙芝居作家である父・やべみつのりさんとの子供時代のエピソードを描いた最新作『ぼくのお父さん』。その創作にあたって原案となったのは、父が日常の記録として誰に見せるともなく描いていた絵日記だ。

『「大家さんと僕」と僕』という書籍で父と対談したのが今回の企画のきっかけです。編集者の方に『お父さんのキャラクターもおもしろいですね』と言われ、ちょうど次の連載に向けて話し合っていた頃だったので、父に相談しました。姉が生まれてから描き続けていた絵日記などの資料が父から送られてきて、自分の記憶と父のノートで12回分の連載の構成ができました」

矢部太郎が振り返る絵本作家の父と『公園通り劇場』の思い出

 作中にも登場するこの絵日記には、4人家族の矢部家の平凡ながらも豊かな日常が父親視点で綴られているようだ。

「うちは母がフルタイムで外へ仕事に行き、父はずっと家で絵を描いているという家庭で、保育園のお迎えなどは父の役割でした。平日の昼間は外で働いて週末に遊んでくれるという、当時の会社勤めの他のお父さんとは少し違う感覚は当時からありましたね。お父さんらしいお父さん、普通のお父さんや普通の家族、そして普通って何なのか、そんなことを考えながら今回の漫画を描いていました」

 絵本作家という父親の職業柄もあってか、矢部さんの実家にはたくさんの本があったそうで、子供の頃からそこでさまざまな本に触れてきたことが、現在の糧にもなっているという。

「父はつげ義春さんの漫画が好きで。昔からつげ義春さんの漫画の世界の父と子の関係にも近いものを感じていました。今回の本も『無能の人』を子供の僕の目線で描いたら、おもしろいかなという発想もありました。

あと、ナチス政権下のドイツで描かれた『おとうさんとぼく』という漫画も子供の頃から好きで、父からは『次は『おとうさんとぼく』みたいな漫画を描いたら』と。柔らかいタッチで、ちょっとダメな父親像が描かれているんですが、僕の父と重なるところもあり、いま読んでも印象的な漫画です」

芸人としてのルーツ、渋谷の『公園通り劇場』とは?

矢部太郎が振り返る絵本作家の父と『公園通り劇場』の思い出

 マンガ家の活動や読者家で知られる矢部さんだが、芸人としては来年で芸歴25年を迎える。かつて吉本興業が運営していた渋谷の『公園通り劇場』の「新人計画」ライブのオーディションの1期生として、入江慎也さんとカラテカを成したのは97年のことだ。

「劇場で募集チラシを見つけた入江くんに誘われ、お笑いの世界に入りましたが、そのときは4組しかオーディションに来ていなくて、かなりラッキーでした。そのライブ自体は先輩にガレッジセールスさんがいて。2期生のオーディションは雑誌に広告出したら、いきなり100組くらい応募があり、たくさん後輩ができた記憶があります」

 創作活動なども忙しく仕事の現場で芸人仲間と一緒になる機会も以前よりは減ってしまったようだが、矢部さんはいまも定期的に劇場のお笑いライブに出演している。

 お笑いコンビ『カリカ』で活動後、現在ラジオパーソナリティなどで活躍するマンボウやしろさんも、全く同じオーディションで入った同期だ。

「やしろくんなどとは今もたまに連絡とっていますね。『銀座7丁目劇場』で公演していた東京NSCとは入り口が違いますが、NSCの同期も含めると『ハローバイバイ』、くまだまさしさん、あべこうじさん、レイザーラモンRGさんも同じ年に入った同期の扱いです」

 なんとも個性の強い期だが、東京吉本の中でも公園通り劇場の芸人さんは、極楽とんぼロンドンブーツ1号2号を輩出した『銀座7丁目劇場』の流れとは、また別の系譜にあるようだ。

「軽い楽屋ノリの冗談ですけど、銀座の先輩で例えば品川庄司さんとかには『お前らは渋谷だからな……』と、未だに言われます(笑)。当時、渋谷の劇場では『ヤケド温泉』という鳥肌実さんなどが出演するアングラっぽいイベントがレギュラーであったりして独特の空気がありました」

矢部太郎が振り返る絵本作家の父と『公園通り劇場』の思い出

「もともと絵を描くのは好きだったので、『虎の門』(テレビ朝日)という深夜バラエティ番組のコーナーで絵を描いたり、芸人の先輩に頼まれてポスターやチラシの絵を描いたりはしていました。逆に言うと、自分の絵を人に見せる機会はその程度でしたね」

 ここ数年に限っても又吉さんの小説や鉄拳さんのパラパラ漫画など、お笑いとは別の表現で活躍する芸人さんは少なくない。

矢部さんの漫画作品は、テレビで見る矢部さんを彷彿とさせる優しい空気感が魅力だが、自身では自らの作風をどう分析しているのか?

「マンガだったらオチが弱くても、お笑いとは別の感情や余韻、ペーソスみたいなものに、かえって繋げやすい。そこは僕のもともとの芸風にもすごく合っていると思います。もし、『4コマ漫画でギャグの精度を上げていきましょう』という編集者さんが担当だったら、たぶんキツかったです(笑)」

 矢部さんが現在の作風を確立できたのは、そんな編集者からのアドバイスも大きかったようだ。

「普通に考えて芸人さんが漫画を描くとしたら、オチやギャグをもっと追求すると思うんですよね。できれば僕も4コマで鋭く落として爆笑させて終わりたいんですけど、けっこう早めにそれは自分には無理だと思って諦めました。新潮社さんとの最初の打ち合わせでは4コマ漫画も見せたんですけど、『矢部さんはちょっと4コマの鋭いオチは向いていないかもしれない。

8コマ構成でいきましょう』と、わりとはっきり言われて(笑)。その助言のおかげですね」

 創作はiPadで『clip studio』アプリを愛用。本作ではカラーにも挑戦した。家族の在り方が問い直されている昨今、矢部さんは父の絵日記を見て、迷いや不安を抱えながら子育てに向き合っていたことを改めて感じたとも語った。

「でも、『そりゃ、そうだろうな』と思うんですよね。親になった瞬間に何か正解を持てるわけではないし、みんな成長していく過程で親になっただけだから。

この漫画を読んで『自分の親も変な親だな』と考える人もいると思いますが、今回の本で僕は何か結論を描いたつもりはなくて、いろんな読み取り方ができる余白は残せたのかなと。それも“オチてない”って話かもしれませんけど……(笑)」