写真/石田寛

 KEN THE 390。大学在学中から本格的にラッパーとして活動を始め、そのキャリアは20年近くに及ぶ。

初期は会社員を続けながら活動をしていたエピソードや、2010年代後半に一大旋風を巻き起こした『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)での審査員、あるいはINIが誕生したオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』のラップトレーナーとして知る人も多いだろう。

 一方で早くから自主レーベルを立ち上げて法人化し、数々のCM出演や楽曲プロデュース、さらにはNetflixオリジナルアニメ『DEVILMAN crybaby』『日本沈没2020』のラップ監修、『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』『「進撃の巨人」-the Musical-』といった舞台の音楽監督など、その活動はとにかく多岐にわたる。そして今夏には、“Bクラスからの逆転”を謳う7人組ボーイズグループ「Maison B」を誕生させたことも話題になったばかり。この11月には主催フェス『CITY GARDEN -超ライブフェスティバル-』の開催も控えるKEN THE 390。インディペンデントな彼は一体どこへ向かうのか。話を聞くと、そこには溢れんばかりのヒップホップ愛があった。

(取材・文=末﨑裕之)

ヒップホップ業界ではマイノリティだったのが自分の長所に

KEN THE 390はヒップホップにもう一回期待する――ケンザが語る、Maison Bと日本のシーンのこれまでとこれから
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――自身のレーベル「DREAM BOY」を2011年に立ち上げて10年以上。10年以上ずっとレーベルを続けて、継続的にリリースもあるっていう例は日本ではなかなかないのかなと思います。

KEN THE 390(以下KEN) そうかもしれないですね。僕も最初はインディーズで始めて、エイベックスと契約してアルバムを何枚か出したんですが、当時は今のようにヒップホップが売れる時代ではなかったので、もうちょっと自分たちでやりたいようにやってみたほうが楽しいんじゃないかと思って、自分のレーベルを立ち上げてみたんですよ。いいときもあったり大変なときもあったりしましたが、『フリースタイルダンジョン』でメディアの注目が集まった時に、もうレーベルとしては5年ぐらいやってて、なんとなく自分たち周りでいろいろ制作ができる状態だったんですね。いろんなお仕事が来たときに会社として受けられる、チャンスが来たときに、足腰がちゃんと整ってる状態みたいに自然となってたのが、まぁ偶然なんですけど良かったのかなと。

――舞台の音楽監督であったり、『DEVILMAN crybaby』『日本沈没2020』のラップ監修だったり、本当に幅広くやってますが、そうやって何かしらのラップとかヒップホップを取り入れたいというオファーに応え、実績を積んできた結果ということですよね。

KEN あと多分、あんまりダーティなイメージがないとか(笑)。

――確かに(笑)。デビューした頃から基本的に髪型とかも変わらないですね。

KEN 最初はやっぱり、“そういう人たちがいる世界じゃない”って感じだったんで。どっちかっていうと、世の中的には僕が一般的なタイプだけど、ヒップホップ業界に来ると超マイノリティみたいな。

だから、逆に疎外感とか感じることもあったんですけど、続けていくと逆にそれはそれでメリットがあって(笑)。結果、それが自分の長所なんだなみたいな思うようになってきましたね。

――でも昨年のドラマ『レッドアイズ 監視捜査班』では犯罪者役での出演でしたね(笑)。

KEN あんなすぐに殺されるのかって思いましたけどね(笑)。

――(笑)。『レッドアイズ』は日テレのドラマでしたが、日テレといえば、『MUSIC BLOOD』で追いかけられたMaison Bです。

あれは元々はどういうところから始まったんでしょう。

KEN 元々は『PRODUCE 101 JAPAN』って大型のオーディション番組に、ラップトレーナーの依頼があったのがきっかけです。結果そこからINIがデビューしたり、OCTPATHっていう次のグループがデビューしたりしてて。最初は別に自分がプロデュースするつもりは全くなくて、先生としてオファーがあったんで、ただ現場でいろいろ見てて。最近、ボーイズグループと言ってもラップうまい子とか多いんですよ。練習生を見ててもみんなうまくて、もちろんデビューした人たちもみんなかっこよかったんですけど、他にも僕が見てて「いいな」と思った子がけっこういたんです。

でも、番組が終わって1年弱ぐらい経っても、なかなかOCTPATHの次のグループがデビューするような気配がなかったりして、それで何かふと、「あの子たちのラップとかカッコよかったなのになぁ」みたいに思って。で、あのラップを生かしつつ、ボーイズグループなんだけど、もうちょっと僕らのカルチャー寄りなスタイルで、おもしろい音楽が作れるんじゃないかな?って思うようになって。ちょっと動いてみようかと周りと話してみたら、いろいろ進んでったみたいな感じです。だから本当、やろうと思い立ってからが早かったですね。それまでは全く思ってなかったんで、本当に(笑)。

――じゃあ本当に今年に入ってから動き出した?

KEN 今年の2月ぐらいですかね。

思い立って、動き出したらすごいどんどんどんどん進んでいったみたいな感じで。

――それを『MUSIC BLOOD』で追いかける座組になったのは?

KEN どういう形でやっていこうか、ただやるって言っても仕掛けがないとなかなか難しいよね、みたいなことを考えていて、自分の周りの人とかと相談してたときに、『MUSIC BLOOD』さんの話があって。でも始めるときはまだ、カメラが絶対入ってくれるかどうかはわかんなかったんですよ。とりあえずやってみて、入ったらすごい嬉しいよねって話してたら、追っかけてくれることになって、結果すごく良かったんですけどね。(1/5 P2はこちら

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――番組で5月ぐらいから始まって、8月にプレデビューで。結構スピード感ありましたけど、楽曲は並行して準備していった感じだったんでしょうか。

KEN 春前……2月、3月ぐらいかな、もう面談とかは始まってて。面談してメンバーが決まったのが春過ぎぐらいとか、4月ちょっと過ぎぐらいだったと思うんですけど。その時点で、メンバーと相談しながら曲作ったり、実際の『MUSIC BLOOD』の通り、HIKARU(ヴァサイェガ光)が入るか入らないかみたいなところがあって。なので曲自体はけっこう前に書いてましたね。それを番組で追ってって8月にゴールインしたんですけど、メンバーはみんなもう5、6、7(月)とずっとひたすら練習してる日々を送ってたんで。

――急に2人増えるっていう展開もありましたが。

KEN ありましたありました(笑)。

――あれもリアルに選考中に変わっていった部分なんですか?

KEN 本当に最初5人って言ってたんです。まぁ5人って言っても、絶対に5人じゃいけないっていうことではなかったんですけど。でもメンバーと話していったりする中で……。トレーナーをやってたんで初めて会う子たちではないわけじゃないですか。あと、一般的な形と逆なんですよね。普通はメンバーがお願いしますって来て、プロデューサーの僕が決める側なのに、僕のほうから「君いいと思うから入ってくださいよ」って言うわけだから(笑)。だからちょっと違うんです。

 彼らからしたら、自分の人生の道があるんで、いきなり僕が現れて「やろうよ」って言われて即答できない気持ちもわかるし。多分、戸惑ったのもあるだろうし、考えたこともきっといろいろあるだろうなって思う。でもちゃんとひとりひとりと話せたから、逆に「この人とやりたい」とか「やるんだったらこういうメンバーが入ったほうがおもしろいと思う」とか建設的な議論ができて、すごい良かったなと思います。番組で言ってたみたいに、ボーイズグループって何か“プロデューサーが決めるもの”みたいな感じがあるけど、僕らの世界は、むしろそれが絶対イヤな人が多いから。「自分の相方なんて自分で決めるでしょ」みたいな。決められた人と組むっていう感覚が僕になかったんで。ボーイズグループだったら僕が決めなきゃいけないのかなと最初思ってたんですけど、彼らと話す中で、やっぱりそんなこともないんだと思って。彼らの意見があって、それを僕が聞いて、そのほうがベターだと思ったら取り入れて。一緒にやりたいと思ってる人とやるほうが発揮できるエネルギーがやっぱあるなと思うんですよ。

 だから、想定外ではあったんだけど、結果的にはめっちゃいい着地したなと思ってて。実際いま、7人で仲いいですし、すごくバランス良くて。5人だったらこのバランス感は出なかったと思ってて、結果オーライだなって(笑)。

――舞台など、いわゆる普通のヒップホップの現場じゃないところも手がけてきた経験があるからこそ、ボーイズグループのプロデュースをイメージできたのかなと。

KEN そうかもしれないですね。いつも僕、結局「こうなりたいからこうしてる」って感じがあんまりなくて。自分のアーティスト本業だけは、自分でやりたい音楽を基本ベースとしてやるんですけど。舞台とかは、積み重ねの結果で来た話だし。

 (『PRODUCE 101 JAPAN』の)ラップトレーナーの話も、その前にエイベックスの養成所(エイベックス・アーティストアカデミー)で、K-POPが流行ってるからラップを教える授業をつくりたい、でもできる人がいないみたいな話で僕にオファーが来て、カリキュラムを作って、晋平太とか何人か僕の信頼できるラップを教えられそうな先生を派遣して、月から金までラップの授業が毎日あるようにして、っていうのをやってたんで、それでラップトレーナーの話が来たって流れなんですね。

 来たお仕事を1個1個やっていく中で経験値が増えてって、結果もっと違うことができるみたいな、どんどん広がってるイメージ。プロデュース業とか、楽曲提供もいろいろやってて、それこそアイドルグループにも提供したし、『ラブライブ!』の女の子のグループにも書いたりとか。基本、僕に頼んでくれてるんだったらやっちゃうってタイプなんですよ(笑)。それによって、ヒップホップじゃない曲だったり、ラップを使ってこういう音楽を作れるなって経験値も積んだ中だったんで、ボーイズグループをプロデュースするなら、じゃあこういう曲がいいなとかイメージできるようになってたんです。だから自然とその能力が、いつの間にか備わったというか、鍛えられてたみたいな感じかもしれないですね。それに、僕が本当にボーイズグループとしてかっこいいと思うのはこういう曲っていうふうにやるのって、自分の本業の延長でありつつ、また違う軸で作曲ができてるんで、やりがいとかおもしろみがすごいあって。それはすごくいいですね。

――プレデビュー曲「Bringing Out」は割とファンクで、ヒップホップ的なところもありつつ、展開的にはK-POP的な変化もするっていう感じです。彼らをどういうふうに見せていこうとか、いろいろと考えたと思うのですが、こういう曲になった経緯は?

KEN やっぱり、僕がやるからには、ラップのラインが強いっていうのはすごくしっかりやりたいっていうのと。K-POP的な展開を多めの曲にしつつ、テクニカルなところで言うと、すごく低音が多い曲になってて。ああいう展開で高音重視でいくと、すごくK-POPっぽい曲の雰囲気になるんですけど、もうちょっと僕らのカルチャーの良さを出していきたかったから、サビとかでもそこまで高い音は使わないで、クールさみたいなのを常に意識していく、みたいなラインで作ってて。

 もう1曲、「Boom Boom Boom」って曲もあるんですけど、最初にこの2曲を作っちゃってて、ミドルテンポのヒップホップっぽい曲と、速さのあるファンクっぽい感じので、どっちがデビューに合うかな?って同時進行でやってて、やっぱり最初は軽快な感じのほうが勢いが出るかなって最終的にジャッジしたんですね。こういうアプローチだったら、K-POPの良さも、僕らのカルチャーの良さも、どっちもうまく使えていくんじゃないかなみたいに思って。それを具現化していったって感じですね。

――「Bringing Out」は、三代目J Soul Brothers「Share The Love」などからYZERRとのコラボでも知られるDirty Orangeさん、そしてBTS「Lights」を始め、ØMI(登坂広臣)やJO1なども手がけるYoheiさんと共に制作してますよね。ヒップホップとかクラブカルチャー、アンダーグラウンドなものもわかりつつ、メインストリームなものもちゃんと狙える人たちが集まりました。

KEN Dirty Orangeは元々ANNE Beatsって名前で、もう10年ぐらい前かな? 僕も何曲も一緒にやってるんですよ。彼が(現在所属している)Digz,inc.に入る前にずっと一緒にやってたプロデューサーで。今Digzに入ってDirty Orangeって名前で大活躍してるんですけど、ずっと仲良くやってたんで、こういうときに一番僕の思いを汲んで一番いいバランスでやってくれるんですよ。トップラインを一緒にやってるYoheiも、Ymagikという名義で僕と客演とかよくやってる。今はTINYVOICE PRODUCTIONでいろいろ韓国のトップアーティスト周りとかもやりながら、でも、クラブアーティストとしては僕と一緒にやってたり。だから、超近いところというか、自分の曲作るときとほぼ体制は変わんない(笑)。アウトプットが全然違うけど、作ってる人は一緒、みたいな感じなんです。だからやりやすいし、逆に彼らがいるからできるんだって思ってたのもあったんで、やりがい持ってできてます。(2/5 P3はこちら

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――ボーイズグループって今、ものすごい数がいるじゃないですか。その中でこのタイミングで出すにあたって、どう差別化していくか?ということも考えたと思うのですが。

KEN 僕が思ってたのは、楽曲のテイストとして、さきほど言ったみたいなラインで差別化できるなっていうのが最初にあって。K-POPでも日本のボーイズグループでもどっちでもない、“僕らから見てすげえクールだし、でも世の中にもちゃんとアプローチできそうな曲”のラインがまだあるんじゃないかな?って思ったんですよ。まずその楽曲でちゃんと差をつけたい。

 あとはラップですね。K-POPも日本のボーイズグループのラップもみんなうまいけど、もっと僕らから見て楽しめるラップとか。韓国ってボーイズグループのラッパーが普通にヒップホップアーティストとガンガン曲やってたり、遜色ないじゃないですか。日本だとSKY-HIみたいな。あの感じをもっと日本のボーイズグループでもやりたい。日本のヒップホップシーンとちゃんとコネクトしながら、ボーイズグループもやります、でもラッパーとしてソロアルバムが出てますとか、そういう世界観のアプローチをしたいなと思いますし、そういうグループがいたら、どっちももっと活性化するんじゃないかなって。たとえばRICK(安江律久)とREIJI(福島零士)はそこまで成長できるんじゃないかなって思ってるんですよ。だからそういうので差別化していきたいですね。あとだいぶみんな強いんで、いい意味で(笑)。でかいし強いし。

――みんな背高いですもんね。

KEN そうなんですよ。そういうとこも含め、すごくいいグループになったなと思って(笑)。

――日高光啓(SKY-HI)さんの名前が出ましたけど、日高さんといえばBE:FIRSTをやられていますが、意識するところってありますか?

KEN いやいや(笑)。その業界に関しては日高が大先輩なんで(笑)。僕もずっと見てたから。すごいことだと思うんですよ。多分、日本にかつて誰もいなかったんで、そういうボーイズグループとかアイドルグループやりながら、でもちゃんとシーンからリスペクトされてる人って。前にも後にもいないんで。だから本当すごいなと思いながら見てたんですよね。それにBE:FIRSTが目指してる音楽と僕らが目指してるものっておそらく違うから。活躍を見たり、参考にしながら……アドバイスしてもらいながら(笑)。

――そういうことも話したりしてるんですね。

KEN 話したりもしますね。ものすごいポジティブに応援してくれてて。僕らは僕らでやりたいこととか、かっこいいことを目指すのが一番いいんじゃないかなと。

――ラップの話に戻ると、K-POPってひと括りにされがちですけど、すごいヒップホップ寄りのグループもいますよね。

KEN そう、だから、こっちでもそういうふうにもっとカルチャーに寄っててもいいんじゃないかなっていう。そっちに軸足が片方入ってるぐらいのグループがおもしろいんじゃないかなとすごく思ってて。

――ラップで言うと、K-POPのガールズグループに特にそんな傾向がある気がするんですけど、割とみんな同じようなフロウでラップしますよね。ニッキー・ミナージュとかあのへんの雰囲気で。

KEN めっちゃうまいんですけどね。ラップの声のトーンがいくつかに限られてて、多分、お手本が何コかあって、そこのどこかに集約されていく感じはあります。でもすごいおもしろいし、よくできてるなと思います。

――そういうある種、フォーマット化されてるものとは違うものにしていきたいと。

KEN そうですね。あと今の現状のスタイルでいくと、僕らが曲を完全にコントロールして書いてるんで。提供してもらうとかではなく。だから、そこから生まれるアーティスト性だったり……。あとは、最終的には自分たちで曲を作るってところに行きたいなと思ってるんで。だからボーイズグループでありつつ、アーティスト性というか、彼ら発信の楽曲をちゃんと目指していく。僕らのカラー、必然的に作ってる人(のカラー)が出てくると思うんで、そこに共感してくれる人は増やしていきたいなって思います。

――「うぶごえ」でクラウドファンディングもやられてて、8月13日に募集を始めたところ、8月中に目標額を超えていて(9月に終了、最終的には200%以上の達成率となった)。そういう意味ではすごく成功していると思うんですけど、今時点でケンザさんの想定していたプランにおけるMaison Bの到達率ってどういうふうにお考えですか。

KEN 悪くはないんですけど、でもまだまだ。一応、今回プレデビューと銘打って、だからちゃんとしたCDのリリースというよりは、クラファンという形で直接届けたりとか、もうちょっとコミュニティを強化したいなみたいな感覚で動いてて。目標金額は確かに到達して、ありがたいし、運営に対して最低ラインのところをクリアできてるなって思うんですけど。でもやっぱりデビューに向けてまだ、ひと山ふた山乗り越えなきゃいけないハードルがあるなと思ってるし、巻き込まなきゃいけない人の数もいると思うんで、それを彼らが作品としてCDを世の中に出すってタイミングまでにどういうふうに持っていくかとか。逆にデビューに向けてのプロモーションなり、僕らの見せ方で、もうひと山どう作るかっていうのを今まさに準備してるところです。(3/5 P4はこちら

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――このMaison Bも出るケンザさん主催フェス『CITY GARDEN -超ライブフェスティバル-』が11月6日(日)に開催されるわけですけど。イベントはこれまでもたくさんプロデュースされてきたと思うんですが、フェスをやること自体は初めて?

KEN フェスと銘打ってるのは初めてかもしれないです。規模感的にもうちょっとちっちゃいとこでアーティスト何組も呼んでってのはあったんですけど、どこからフェスなのか……フェスって言ったもん勝ちみたいなもところもあるんですけど、豊洲PITでやるからフェスでいいかみたいな(笑)。本当はもっと大きいことを目指していて、そこの第一歩という感じです。

――「超ライブ」って付いてるってことは、以前に主催していた日本語ラップイベント『超ライブへの道』から続いてるわけですよね。

KEN そうですね。一応、個人的には切り替えで、新しい名前にしてるんですけど。元々あれも、そういうイベントが当時はなくて。今じゃ考えられないけど、昔はヒップホップのライブを昼間にするってこと自体があんまり考えられなくて、“ヒップホップは夜で、昼間のライブのチケットだと売れないでしょ”みたいな時代だったんですけど、僕らは昼間やりたかったし、「クラブの15分」よりやっぱり長尺で最低でも30分とか、全アーティスト見せたいって思ってたから、そういうものがないなら自分らでやるしかないよねみたいな感じで、レーベル作ったときと同じようなタイミングで始めてて。

 それをずっとやってある程度軌道に乗ってきたところから、ちょっとシフトチェンジして自分のワンマンとかやってたんですけど。また今こうやってヒップホップシーンも大きくなって、みんなそれぞれ活躍の範囲が変わってきた中で、僕の目線でのフェスができるんじゃないかなって思ったんです。僕も親になったりとか、40代迎えたりして、年齢層高い人とか、逆にちっちゃい子どもが見ても安心して楽しめる、でもそれがヒップホップのフェス、みたいなものをやりたいなと。オールジャンルじゃなくて、ヒップホップフェスに子どもを連れて行きたいなとか思うと、いろいろクリアしなきゃいけないことがいくつかあるので、将来大きい規模でやるためにまず一歩ずつ始めていこうという。仕切り直しというか、新たな気持ちで始めてみたって感じです。

――メンツもRIP SLYMEさん、SKY-HIさんから向井太一くんまで幅広い感じですが、ニュージェネレーションの枠もありますよね。いつも若手とか新しい人をフックアップしてるイメージがあるんですけど、割とそういうのって意識的にやってるものなんですか。それとも、自然とそうなってきたみたいな?

KEN 自然とでもあり、意識的にでもあり。自分のレーベルとイベントが元々連動してたんで、自分が客演にフレッシュな人を呼んで、それをライブで全員で披露するみたいなことをずっと続けてやってきてたんですよね。その時は下と言っても10個差とかぐらい、僕とKOPERU、僕とR-指定とかってちょうど10コ差ぐらいなんですけど。僕が40ぐらいになってくると、今の若手マジ20コ違う(笑)。ちょっと、自分が客演するのもだんだん違うよねみたいになって(笑)。だから今、DREAM BOYの中で、O.B.Sっていう新しいレーベルを作ってて、そこは僕が入っていくというよりは、若手のコンピを出して回していくみたいな。僕は見てるだけで、プレイヤーとして参加するというよりは、本当に会社、レーベル業として見ていくみたいなスタンスでやってるんです。そういう形で業務というか仕事としてあると、僕もちゃんと若手を聴くんで。仕事としてないと、やっぱりどうしても若手チェックが徐々におろそかになっていっちゃうんで(笑)。そうやってちゃんと常にチェックできてることは自分にもすごくいいだろうし、今のこのやり方が合ってると思ってます。

――まさにO.B.Sのことも伺いたかったんですけど、ご自身でまた新しく始めるっていうよりは、若手をフックアップしようって感じなんですね。

KEN はい。僕らも元々最初インディーズで出たとき、スタジオもなかったりとか、あってもいい環境じゃないとか、いろいろあった中でキャリアを重ねてきたんですね。だから、すごいいいラップしてる子に、さらに違った軸で組み合わせを提案してあげるとか、ちゃんとしたスタジオ取っていい音でrecして、パッケージングまでするとか、PVを撮るとか、彼らの良さを生かすような仕事が僕らにもあると思っていて。今ってちゃんと利益をシェアできたり、いろんな契約のパターンがあるから、双方ちゃんと嬉しい形でリリースできたらめっちゃいいんじゃないかって始めたんですけど、それがけっこうずっと続けてこれてるんで、よかったなと。すぐ頓挫したらやっぱりどっちにとっても良くないってことだから(笑)。続くってことはある程度どっちにもメリットがあったわけで、良い形になってきたなと思います。

――ケンザさんのデビューもダメレコ(Da.Me.Records)からで、ある種、ご自身が受けたものを引き継いでいくような。

KEN それもあるかもしれないです。自分がやっぱりお世話になったところを下の世代に落としてくのもそうですし。逆に、自分が当時もっとこうしたかったなとか、もっといろいろできたのにって思ったことを解決していくようなことも。今の若手のそういうフラストレーションを解決してあげられたらいいなと思ってて。それが、どっちかが損するわけじゃなく、お互い嬉しい形でまとめられたら一番いいなと思うんで、それを実現できたらいいなと思ってます。

――エイベックスにいらっしゃったときもあったわけですが、当時と今はまた違うと思うんですけど、今のメジャーレコードのあり方というか必要性みたいなことってどうお考えですか?

KEN 当時と今はだいぶ違って、ヒップホップもだいぶ規模が大きくなってきたんで、改めてメジャーにはメジャーの良さがあるとは思いますね。やっぱりそこでちゃんとうまくいってる人がいるから。いい時代にはなったけど、でもみんな見極めたほうがいいんじゃないかな。自分の目指してる音楽性が、大きい範囲で届けるべき音楽なのか、そうじゃないのかとか、もっとみんな自分をちゃんと見ないと苦しいことになると思います。メジャー行ったせいでうまくいかない人もやっぱりいるし、逆にインディーズでも、その音楽性だったら自分でやる音楽じゃないんじゃない?とか思ったりする人もするし。そこの見極めが大事かも知れないです。でもヒップホップは、ある程度のキャリアを重ねたら割と自分でやったほうがおもしろいんじゃないかなって思う瞬間はありますね。(4/5 P5はこちら

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――時代の変化ということでは、この10年ほどで日本もCDからサブスクに移行していく大きな変化がありました。

KEN 今はタイムリーに出せる時代ですよね。僕らって、作って絶対に2カ月3カ月はしないとパッケージングできない世界で育ってきたから。でも今は2週間前に納品できれば大体なんとかなるみたいな(笑)。タイム感も全然違うし、手軽に出せるし、このおもしろみはヒップホップ界隈はみんなうまく生かしてるけど。

――ヒップホップは早いうちからCDを出さないって人も多かったですよね。

KEN 今はインディペンデントでも全世界に配信できるし、そういう状況ってこれまでじゃ考えられなかったから。ダメレコぐらいから初めて自分たちのレーベルでインディーズCDが出せるみたいな感じだったんですけど、それ以前はどっかのレーベルに入らないと絶対CDは出せなかったし、ってことはどんな才能も1回誰かに見つけてもらわないといけない。自分発信じゃできることがなかった時代なので。でも今はみんなが自分で発信するから、見つけさせる努力も要るかもしれないけど、全然違う世界だと思ってて。だから、超おもしろくなってるんじゃないかなと思います。昔が逆にめっちゃ窮屈だったよなって(笑)。一度誰か大人にちゃんと見てもらわなきゃいけない、みたいな。すごい大変だったなって思います。僕はまだギリ良かったけど、僕より前の人たちなんて、それで埋もれた才能とか山ほどいるかなと思うんですよね。

――ちょうどメジャーにいらっしゃった頃って、着うたの衰退期あたりでしょうか。

KEN ちょうど入った頃に着うた着メロブームがあって。でもアルバムが出る頃は2010年とか2011年だったんで、それもなくなってきてるぐらいだったかな。

――最近友人と、日本の音楽業界はあれでダメになったんじゃないかって話になって(笑)。

KEN それは僕もはっきりとは言えないですけど(笑)。どうしても保守的になっちゃってる瞬間があるかなと思います、現状を見ていても、まだ。そうじゃない人たちもいっぱいいるけど、中途半端に儲かってるから諦めが悪いみたいなところもあって、でも結果それで差がついちゃって、どんどんガラパゴス化してしまったところもきっとあると思います。まぁ、過渡期なんじゃないですかね。もうメジャーもさすがにCDの時代は……。聞けないですしね、CD。プレイヤー持ってない人もいるし、パソコンにも付いてないし、今の中高生が普通にCDを聞けるとはなかなか思えないんで。そういう状況だから、変わってくるんじゃないですか。メジャーも配信だけのレーベル持ってたり、いろいろ模索してるところもきっとあるんじゃないかと思ってるんですけど。でも逆にメジャーの宣伝力とか配給力みたいなところでヒットしてるところもまだいっぱいあると思うし、だから、淘汰が進むんじゃないですかね。

 制作自体はアーティスト周りとか事務所とか、ちっちゃいインディーズでもいいしレーベルなりでやりきっちゃって、その先の宣伝することとか配給することに対してメジャーレーベルがあるみたいな感じでいいんじゃないかなとは思います。クリエイティブをもうちょっとアーティストが持てないと。制作までメジャーに頼まなきゃ作れないみたいなことってアーティストとしてはどうなのかなと。クリエイティブを自分たちで持つことによって、もっと風通しとか差別化とか生まれてきたりするんじゃないかなと思ってます。

――レコード会社というよりも、どういいマネジメントを見つけるか、いいスタッフとチームを組むかですね。

KEN 本当そうです。会社じゃなくて、完全に人ですからね。どのレーベルと組むとかじゃなくて、誰とやるか。いい人とやれるんだったらやったほうがいいかもしれないし、いい人とやれないんだったらやらないほうがいいんじゃないかな。

――よくご自身のことを真面目っておっしゃってますが、それってある種の信頼感でもあると思うんですよね。それこそレーベルをずっと続けてるっていう信頼もありますし。Maison Bのメンバーも、ケンザさんから声を掛けられた時は戸惑ったでしょうが、そういう信頼感があったからうまくいったのかなと思いました。

KEN それもあるかもしれないですけど、トレーナーしてる時の僕の態度とかも影響してるんじゃないですか(笑)。「こいつとは無理だな」って思われてたらやっぱりやらないと思うし。

 あと僕、自分の本業の楽曲のスタイルとしてマイクリレーが好きなので、いろんなラッパーを呼んで一つの曲をまとめていくみたいなことをずっと昔からやってて。それが結果的に他の仕事につながってるなって思うんです。『ダンジョン』始まってから、こういうCMでラッパー何人かでやりたいんですって仕事が来たときに、具現化できる人って多分あんまりいないんですよ。ラッパーとコンタクトを取って、趣旨を伝えて、歌詞を書いてもらって、一つのCMソングとしてまとめ上げて納品するみたいなことって多分代理店には難しくて、そういうのが僕に来る。いつもは自分の曲を作るためにみんなでやって、仲介して、一つに作り上げるみたいなことをずっとやってたその能力が生きてしまったみたいな(笑)。僕らには僕らの共通の世界観とか言語があって、でも社会には社会の共通の言語があって、僕は社会人も経験してるから多分どっちの言語も理解できる。そういう意味でバイリンガルだから、どっちの意図も相手に伝えられたり、そういうのも自分が歩んできたバックグラウンドがあるのかもしれないなって。ラッパーをまとめるの、めちゃくちゃ大変ですけどね(笑)。

――最後に、ご自身のことでもいいですし、大きく日本の音楽業界とかでもいいんですが、何か今後の展望みたいなものを伺えたら。

KEN そうですね……音楽業界全体の話までは僕はちょっとわからないかもしれないんですけど、やっぱりヒップホップはすごいおもしろいと思ってて。世界で見て、日本ってヒップホップがどうしても弱いというか、世界的にはメインストリームなのに、日本だとどうしてもアンダーグラウンドなものとしてずっと捉えられてきたのが、今ここ2~3年ぐらいですごい変わってきてるし、それこそいろんな大きなフェスを見ててもラッパーが出てると思うんですけど、あと5年とかしたら逆にメインステージがラッパーになってくるんじゃないかなっていう勢いだと僕は思ってて。

 僕らのフットワークの軽さとか曲の発想とか、考え方とかクリエイティビティみたいなのが、日本の音楽業界に入ってくると自然といろんなことが変わる気がするんですよね。反射能力の高さもそうだし、ラッパーってみんなインディペンデントだし、自分の意見がしっかりあるから。たとえメジャーレーベルと組んだとしても、多分みんな自分の言いたいことを今だったら言えると思うし、今はそれだけの力があるんですよ。昔はなかったから。数字がついてないと何も言えないっていうのがあって。今はヒップホップは追い風だから、自分がこういうことをやりたいとか言って説得力がある時代になってきて。言ってもまだラップは日本の中だとそんなに大きなものじゃないけど、これがグーッてきたら、自然に周りが変わらずにはいられないぐらいのエネルギーを持ったカルチャーだと思うんですよ。それでもっと日本の音楽業界の風通しが良くなったりするんじゃないですか。年功序列とかマジ関係ないって人たちがすげぇ入ってくる可能性あるから、自然といろいろ変わってくるんじゃないかなあ。

 だからいろんな意味で今もう1回ヒップホップに期待してるし、僕らのカルチャーとか考え方はやっぱめちゃくちゃおもしろいと思うし、それが他のジャンルとかにうまく混ざり合っていく――たとえば僕はいまボーイズグループという形で僕らのカルチャーと混ぜて、今までにないおもしろいものをアウトプットしようと思ってるけど、そういう考え方が他のジャンルの人たちとかとうまくもっと混ざっていったら、音楽業界自体がもっとアクティブになったり、もっとインディペンデントになったりしておもしろくなってくるんじゃないかなって、漠然とですけど思っています。

 

KEN THE 390はヒップホップにもう一回期待する――ケンザが語る、Maison Bと日本のシーンのこれまでとこれから

KEN THE 390(ケン・ザ・サンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル「DREAM BOY」主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねた後、2006年にアルバム『プロローグ』にてデビュー。これまでに11枚のオリジナルアルバムを発表。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも行う。 またテレビ朝日にて放送されたMCバトル番組『フリースタイルダンジョン』へ審査員として出演、その的確なコメントが話題を呼ぶ。 近年は、テレビ番組や各種CMなどの出演をはじめ、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、ラップ/ヒップホップを軸にその活動の幅を広げている。
公式サイト kenthe390.jp

KEN THE 390はヒップホップにもう一回期待する――ケンザが語る、Maison Bと日本のシーンのこれまでとこれから

KEN THE 390 | Anything Goes feat. roomR(RICK & REIJI from Maison B)
各配信サービスにて好評配信中!

主催フェス『CITY GARDEN -超ライブフェスティバル-
日時:2022年11月6日(日) OPEN 13:00 / START 14:00
会場:豊洲PIT by Team Smile
料金:オールスタンディング 8,500円 チケットはこちら
出演:
RIP SLYME / SKY-HI / 梅田サイファー / AKLO / 向井太一 / KEN THE 390
[NEXT GENERATION LIVE]
O.B.S with LANA, BENXNI & TAHITI from STARKIDS / SKRYU / Maison B