伊東蒼が主演したファンタジー映画『世界の終わりから』

 紀里谷和明が描く「終末の物語」。最新作にして最後の作品。

 そう銘打たれた紀里谷監督の劇場映画『世界の終わりから』が現在公開中だ。紀里谷監督といえば、往年の人気アニメを実写化したSFアクション大作『CASSHERN』(04)で華々しく監督デビューを果たし、オールスターキャストを擁した異色時代劇『GOEMON』(09)、モーガン・フリーマンら世界各国の名優たちをキャスティングした『ラスト・ナイツ』(15)と作品ごとに映画界の常識を覆し、大きな話題を呼んできた。

 期待の若手女優・伊東蒼を主役に抜擢した『世界の終わりから』は、過去の3作品がベースになる物語があったのに対し、紀里谷監督によるオリジナルストーリーとなっている。

 事故で両親を失い、唯一の家族だった祖母も亡くなり、どこにも居場所のない女子高生のハナ(伊東蒼)は、夜ごと奇妙な夢を見るようになる。現実の世界に絶望しきっていたハナだが、夢の中での彼女の行動が、終末が近づきつつある現実の世界を救うことに。ハナの決断が、人類の命運を左右するというダークなSFファンタジーだ。

 紀里谷監督ならではの派手なCGシーンは、本作では控えめ。その分、この歪んだ世界を救うことはできるのか、決められた運命を変えることはできるのかというテーマ性がはっきりと伝わるものとなっている。

 紀里谷監督は本当に監督業を辞めるつもりなのだろうか。また、なぜそう決意することになったのか。紀里谷監督に1時間にわたって真相を語ってもらった。

会議なしで完成させた『世界の終わりから』

――8年ぶりの新作『世界の終わりから』を拝見しました。紀里谷監督の作品だと言われなければ、「瑞々しい感性を持った新人監督が現れた」、もしくは「日本カルチャーが大好きな海外の監督が撮った作品」と思ったかもしれません。

紀里谷 今回の企画は、僕のデビュー作だった『CASSHERN』の頃からあったものです。瑞々しさを感じたというのなら、そのためでしょうね。本来なら『世界の終わりから』を僕のデビュー作として、世に出すべきだったかもしれません。テーマ性は当時のままですが、僕自身は当時と今で、ずいぶん変わりました。いちばん変わった点は、今の僕は自分勝手になったということです(笑)。自分が本当にやりたいことを『世界の終わりから』ではやっています。

でも、20年前の僕は日本のことをすごく憂慮し、どうすればハリウッドに対抗できるような映画を日本でつくることができるかを真剣に考えていたんです。それで導き出された答えが、日本のアニメを実写化して海外へ出していこうというアイデアで、それで『CASSHERN』が僕のデビュー作になったんです。この考えは間違ってはいませんでしたが、自分の思想性を盛り込んだ『CASSHERN』は日本ではさんざん叩かれました。でも、僕がやろうとしていることは、20年前と今も全然変わっていません。ただ、今回は自分の作家性を前面に押し出した作品にしています。製作委員会方式ではない形でつくっていますし、会議などもしていません。

――まったく会議なしで、商業映画をつくることができた?

紀里谷 そうです。予算は限られていますが、そういう映画を最初からつくっていればよかったんでしょうね。僕はファッションフォトグラファーから始まり、ミュージックビデオを撮るようになり、映画も撮るようになりました。オタク系のものに手を出さなくても、よかったんです。ヴィンセント・ギャロが主演・監督した『バッファロー’66』(98)などがありましたし、ああいうアート系の作品を撮ってもよかったわけですが、「なぜ日本ではハリウッドみたいな映画をつくることができないんだ」という疑問がどうしようもなくあったんです。韓国映画みたいに、日本からも世界に発信できるようなシステムができないかと考えていたんです。

――CGを多用した『CASSHERN』は当時はまだ珍しく、「こんなのは映画ではない」と日本国内では酷評されましたが、海外では評価された。

紀里谷 『CASSHERN』が公開された後、ザック・スナイダー監督が『300』(07)を成功させていますよね。僕がやりたかったことを、ハリウッドはうまくやったなぁと思いました。そのことは今さら言っても仕方ない。『GOEMON』もそうだし、忠臣蔵を世界に伝えるつもりで撮った『ラスト・ナイツ』もそう。日本が誇れる文化を世界にどうすれば伝えられるかを考え続けてきた20年間でした。

でも、どこまで行っても、僕がつくる作品にアレルギー反応をいちばん示すのが日本だった。僕は日本のことを想い続けてきたけれど、僕のことを好きになってもらえなかった。もうこれ以上は無理だという結論に達し、これが最後の作品ということでつくったのが『世界の終わりから』なんです。

“映画監督”紀里谷和明、最後のインタビュー 『世界の終わりから』と20年の闘いを語る
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政府の特別機関の男を名乗る毎熊克哉

――本当に『世界の終わりから』が最後の監督作になるんでしょうか?

紀里谷 最後の作品とは言っていますが、実際には米国で企画を準備中のものがひとつあり、これはまだ成立するかどうか分かりません。まぁ、言えば言うほど僕は嫌われてしまうのですが、日本で映画を製作し、ビジネスとして成立させるのは難しいことを痛感しています。映画を劇場公開しても宣伝費を回収するのが精一杯で、配信やDVDになってようやく制作費が回収されるかどうか。僕から見ると、日本の映画界はビジネスとして成立しているとは言い難いですよ。今の日本映画は、漫画原作しかないわけでしょう? 漫画原作が日本の映画界を支えていることは分かるし、それを僕は批判するつもりもありません。でも、本当にそれでいいのかなと思うわけです。

――主人公のハナがひとりぼっちで、世界に絶望している姿は、紀里谷監督自身の心情が投影されているようですね。

紀里谷 そうです。それに僕と同じように、みんなも感じていることだと思います。日本人って、ずっと裏切られ続けてきた国民だと思うんですよ。

――裏切られて続けてきた国民ですか?

紀里谷 これまでずっと頑張って、いい大学に入るために受験勉強して、いざ卒業してみると就職氷河期でどこにも就職することができなかった。政治家たちは次々と変わり、公約が守られることはありません。マスメディアは公平だと言いながら、公平ではない。あらゆるものから裏切られ続けているんです。僕も日本のことを想い続けて、この20年間頑張ってきたけれど、結局は嫌われてしまった。僕だけじゃなくて、多くの人が感じていることだと思います。

――いくら努力しても報われず、多くの日本人が疲弊しているのは確かです。

紀里谷 努力という言葉、今の時代はタブーでしょう。根性という言葉は、ブラックワードになってしまった。情熱という言葉も消えてしまった。情熱を持って何かをやり遂げるということが、今の社会では「悪」になってしまった。もてはやされているのは懐古主義だけになってしまい、未来に向かって物づくりがされていない。こういうことを言うから、また僕は嫌われてしまう(苦笑)。

事務所的な匂いを排したキャスティング

――『世界の終わりから』について聞かせてください。これまでの華やかなオールスターキャスト作に比べると、通好みな配役ですね。社会派映画『空白』(21)や『さがす』(22)での演技が高く評価された伊東蒼、単館系の作品で活躍する毎熊克哉、Netflixドラマ『今際の国のアリス』で体を張っていた朝比奈彩といったこれからが楽しみなキャストが多い。

紀里谷 キャストだけでなく、スタッフも事前に一度面談をして、僕の考えを伝えて、「それでもいい」と答えてくれた人たちと組んでいます。いわゆる事務所的な行政が、僕は大嫌いなんです。誰がランクが上だとか下だとか。そうした事務所的な匂いがすることは排しています。実力主義だし、本当にいいものを創りたいと思っている人たちに集まってもらっています。俳優部、撮影部、照明部……、みんな同じ立ち位置で参加してもらっています。日本の映画界は事務所の力が強いというけど、じゃあそれに対して何か策を講じたのですかと。今回は撮影期間が1カ月と限られた制約がありましたが、奇跡的に撮り切ることができました。

――日本のインディペンデント映画なら撮影期間1カ月は普通かもしれませんが、これまでの紀里谷監督作品に比べると非常にタイトなんですね。

紀里谷 「神がプロデューサーだ」と僕は思っています。監督が思うような完璧なキャスティングは不可能だし、ロケ地もイメージとは違ったものになってしまいがちです。今回は伊東蒼さんが高校に通っていたため、彼女の夏休みに合わせての撮影になったんです。撮影期間が1カ月というのは、そのためです。キャストもスタッフも、その1カ月に合わせて集まってもらったわけですが、結果的にはこれ以上はないキャスティングになったし、当初の予定から変わりましたがロケ地も最適な場所になったと思います。

――米国時代から親交のあった岩井俊二監督が、ハナの通う高校の教師役で出演しています。

紀里谷 岩井さんにはいつも脚本ができた段階で、いちばん最初に読んでもらっているんです。今回の脚本はすごく褒めてもらいました。キャスティングしたばかりだった毎熊くんも呼んで、岩井さんと3人で食事をしたんですが、岩井さんの『リップヴァンウィンクルの花嫁』(16)に僕は役者として出ているのに、岩井さんはまだ僕の作品には出ていない。これはフェアじゃないと言ったんです。それで岩井さん「分かった」と言って、教師役で出ることを了承してくれた(笑)。僕と岩井さんは、撮っている作品はまったく異なるけど、映画に対する核になる考え方は通じるものがあるんです。現場には無駄な人間はいないほうがいいとか、考え方が似ているんです。作風に関しては岩井さんは印象派、僕は表現主義といったところでしょうね。

“映画監督”紀里谷和明、最後のインタビュー 『世界の終わりから』と20年の闘いを語る
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ハナは夢の中で、争いが絶えない世界へと迷い込んでしまう

――本作のテーマについて、より深くお聞きしたいと思います。女子高生のハナは、夢の世界で自分よりも非力な幼い女の子・ユキ(増田光桜)と出会い、ユキを傷つけようとするものたちから救おうとする。幼いユキはハナの心の中にいる存在であり、そのハナは紀里谷監督の心の中にいる存在でもある。そして、この映画を観ている観客たちの心の中にも、それぞれ女の子は存在している。一人ひとりが自分の心の中にいる女の子を救うことができれば、世界を救うことにもなる――。そのように解釈したんですが……。

紀里谷 その解釈は正しいです。まぁ、ネタバレになってしまいますが、自分自身を救わなくちゃいけないということです。自分を見つめ、自分を赦し、自分を好きになって、自分を愛してあげようという話なんです。自分の心の中に別人がいて、その人のことを自分が認めてあげようという話は、小説『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた』(文響社)にも一度書いたことがあります。

――自分を愛することができなければ、世界を救うこともできないと。

紀里谷 僕はそう思っています。今の社会は常に「今のままじゃダメ」「もっと有名になりなさい」と言い続けているわけです。それじゃあ、幸せにはなれません。いろんなものを無理して手に入れて、消費して、やがては戦争になっていく。そんな悪循環に世界は陥っていると思います。

――これからの若い世代に向けた作品でもある。

紀里谷 そうです。若い世代に今の世界を委ねることになった際、「こんなクソみたいな世界を救うんですか?」と疑問に感じる若者は多いんじゃないですか。大人たちは自分のことしか考えていない。口だけは「未来のために」とか、きれいごとを言いますよ。でも、いつの時代も大人たちのエゴやつまらないメンツのために、若者たちは戦場へと駆り出されていった。今の日本は戦場ではないものの、残酷性は戦時中や戦国時代と変わらないと思います。「この世界を終わらせますか?」というアンケートを取ったら、「終わらせる」と答える若者は多いはずです。その発露が、時折起きる暴力的な事件じゃないですか。

――日本も含め、世界各地で無差別大量殺人事件が頻発しています。

紀里谷 犯罪を肯定するつもりはありませんが、そういう心情に追い詰めている社会があるんだと思います。

――高校生向けの試写会を開いたそうですが、手応えはどうでしたか?

紀里谷 過去・現代・未来を行き来する複雑な展開の物語だから、「難しくて、よく分からなかった」という声が出るかなと心配していたんですが、それは杞憂でした。僕の言いたかったテーマ性も伝わったみたいで、救われた気がしています。

――紀里谷監督の20年間にわたる葛藤が、切実なものとして高校生たちには伝わったんじゃないでしょうか。

紀里谷 そうだとしたら、いちばんうれしいですよ。演出が足りないかとも思っていたんですが、これでよかったんですね(笑)。

『CASSHERN』に寄せられた批判内容

――映画監督としてのインタビューはこれが最後になるかもしれません。過去作についても振り返ってもらえればと思います。現在公開中の庵野秀明監督の『シン・仮面ライダー』ですが、『CASSHERN』を彷彿させるという声がSNSで上がっています。

紀里谷 忙しくて、まだ『シン・仮面ライダー』は観ることができていません。どこが似ているんですか?

――暴力を伴う正義に主人公が悩む姿などは、『CASSHERN』と通じるものを感じます。

紀里谷 でも、悩めるヒーロー像は珍しいものではありませんよね。『シン・仮面ライダー』のネット配信されている冒頭部分だけは観たんですが、『CASSHERN』とどこが似ているのか僕には分からなかった。映像の質感とかも全然違うし。20年前の僕のデビュー作をいまだに話題にしてもらえるのはうれしいけれど、先ほども語ったように『CASSHERN』は日本の国益という大義のためにつくったものの、批判されてしまった作品。僕としてはオリジナルのアニメ『新造人間キャシャーン』(フジテレビ系)の演出をされていた富野由悠季さんの雰囲気を継承したつもりだったんです。

――『機動戦士ガンダム』(テレビ朝日系)でブレイクする前の富野由悠季監督ですね。

紀里谷 そうです、あの富野さん。オリジナルの『キャシャーン』は救われない物語なんです。多分、僕が撮った『CASSHERN』を批判していた人たちは、オリジナル版をちゃんと最後まで観ていないんです。キャシャーンがヘルメットを被っていないとか、犬のフレンダーが出てこないとかで文句を言ってくる。本質的なところじゃない、コスプレ的な次元での批判が多かった。そうしたレベルでの批判は日本だけでしたね。

“映画監督”紀里谷和明、最後のインタビュー 『世界の終わりから』と20年の闘いを語る
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女子高生のハナの決断が、世界を救うことに

――ちなみに庵野監督とは交流はあるんでしょうか。

紀里谷  『CASSHERN』が公開された2004年は、庵野さんの『キューティーハニー』(04)もあり、樋口真嗣監督の『ローレライ』(05)も公開を控えていたこともあって、みんなで飲みに行ったりしましたね。それ以降はお話しする機会はありませんでしたが、僕は友達だと思っています。あのときは岩井俊二さんはいなかったけど、みんな仲良しですよ。樋口さんの『ローレライ』のポスターを僕が撮ったりもしていますし。樋口さんも実写版『進撃の巨人』(15)で苦労されてましたよね。でも、『CASSHERN』でデビューした頃はみんな30代ちょっとで、それぞれすごいものを目指していたし、これから実写映画で新しいことができるんじゃないかという希望も感じていたんです。でもね、いつの間にか社会が閉じたものになってしまった。

――2000年代前半までは日本映画界はまだ多様性がありましたが、次第に閉塞的な状況に変わって行きました。

紀里谷 1980年代や90年代には、『AKIRA』(88)や『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)といった劇場アニメが世界的に支持されたわけでしょう。今の日本からは、そうした世界で通用するヒット作は生まれていない状況です。もちろんお金を払って映画を観てるから、批判は自由にしていいんですが、ダメなところばかり責めるんじゃなくて、もっと建設的な意見が多ければ日本映画は違ったものになったんじゃないのかなとは思います。

――『GOEMON』に紀里谷監督が明智光秀役で1シーン出ただけで叩かれてしまう。

紀里谷 一部の人たちにとっては、僕の見た目も気に入らないみたいです。でも、そんなに他人を叩いたりすることで、誰が得をするんだろうと思いますよ。誰も得をしないし、世界はどんどん閉じたものになってしまうだけです。

――自分が成功することよりも、他人の足を引っ張るほうが簡単だからなんでしょうね。

紀里谷 以前の日本はそんな社会じゃなかった。もっと面白いことをやろうと考え、それを応援する人たちもいた。それが、すごくネガティブな社会になってしまっている。

――陽性のエネルギーの持ち主である紀里谷監督でも、バッシングが続くのはきつい?

紀里谷 きついですよ。当時は「きつい」なんて言いませんでしたが。何をやっても叩かれるわけですから。いじめと同じです。いじめられっ子の気持ちが分かります。

一度、紀里谷和明というものを殺してみたい

――ハリウッド進出作『ラスト・ナイツ』には、モーガン・フリーマン、クライヴ・オーウェン、アン・ソンギと世界各国の名優たちが集結しました。

紀里谷 それが、日本だけ配給が決まらなかったんです。自分で配給もすることになりましたが、『CASSHERN』『GOEMON』に比べ、興収的には厳しい数字になりました。モーガン・フリーマンら各国の名優たちを使って映画を撮った日本人監督は、今までいなかったわけですよね。『ラスト・ナイツ』を僕は悪い映画だとは全然思いませんが、もはやなかったことになっています(苦笑)。

――『世界の終わりから』が最後の監督作になるわけですが、紀里谷監督にとっては「映画監督」は職業でも、肩書きでもないようですね。

紀里谷 もちろん、そう思っています。僕はひとりの人間であり、その中の要素のひとつが映画監督であるという認識です。職業だとは思っていません。まぁ、完成披露の際にも言いましたが、この20年間は苦しみの連続でした。本当に苦しくて、何度も死んじゃおうかと考えました。今回の『世界の終わりから』はどう受け入れられるのか。最後の審判がくだるつもりでいるんです。

――今後は映画というジャンルにこだわることなく活動するんでしょうか?

紀里谷 分かりません。創作活動からは一度離れるつもりでいます。僕だけじゃなくて、クリエイティブな仕事をしている人はみんな悩んでいるんじゃないですか。スポーツ選手の場合は試合に勝利するという明確な目標があるわけですが、今の僕には何をもって勝利と呼べばいいのか分からない。ただ、売れる作品をつくればいいのか?と。一度、紀里谷和明というものを殺してみたいという気持ちがすごくありました。先のことは分かりませんが、もしかするとまったく違う名前で作品をつくるようになるかもしれないし、むしろそのほうがいいのかもしれない。それともうひとつあるのは、『世界の終わりから』以上の作品を今の自分が撮ることはできるかと問われ、「撮れる」とは思えないということです。

――映画監督としてのすべてを『世界の終わりから』では出し切ったと。

紀里谷 そうなんです。『CASSHERN』は全国拡大公開でしたが、今回は今まででいちばん小さな規模での公開スタートです。すでに上映館が増えて45館ほどになっていますが、どのくらい広がっていくのか楽しみだし、自分の伝えたいテーマ性がきちんと伝わっていることが実感できています。そうした実感が感じられることは、クリエイティブな仕事をしている人間にとっては興収結果よりも大切なことなんです。そういう意味では、今の僕はすごくハッピーでもあるんです。映画監督になったことは後悔していませんし、自分では天職だと思っています。僕にとって映画づくりは仕事ではありません。神聖な行為なんです。映画づくりは宗教的な、神に近づく行為だと誰かが言っていましたが、僕もその言葉に共感しています。『世界の終わりから』は本当に純粋な気持ちで完成させることができました。この20年間の苦しみが、救われた気持ちでいるんです。

『世界の終わりから』
原作・脚本・監督/紀里谷和明 撮影/神戸千木
出演・伊東蒼、毎熊克哉、朝比奈彩、増田光桜、岩井俊二、市川由衣、又吉直樹、冨永愛、高橋克典、北村一輝、夏木マリ
配給/ナカチカ 4月7日より新宿バルト9ほか全国公開中
©2023 KIRIYA PICTURES
sekainoowarikara-movie.jp

史上初の試みとして本編の一部を公開中!
▼全8話
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紀里谷和明(きりや・かずあき)
1968年熊本県生まれ。15歳で米国に渡り、デザイン・絵画・音楽・写真などを学ぶ。フォトグラファーとして活躍後、ミュージックビデオの監督としても脚光を浴びる。2004年に『CASSHERN』で映画監督デビュー。2009年に『GOEMON』、2015年に『ラスト・ナイツ』を公開。短編映画製作プロジェクト「MIRRORLIAR FILMS」に参加し、ショートフィルム『The Little Star』(22)を監督している。