──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ

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家康(松本潤)、信長(岡田准一)、 長政(大貫勇輔)| ドラマ公式サイトより

 前回・第13回の『どうする家康』では、家康(松本潤さん)たちの上洛が、永禄11年(1568年)9月の織田信長・足利義昭の上洛直後ではなく、永禄13年(1570年)となっていましたね。

 以前もお話ししましたが、史実の信長は永禄11年の上洛に向けて、美濃の斎藤龍興を下し、近江の浅井長政と妹・お市の方を結婚させて盟約を結ぶなど、入念な下準備を進めていました。

そして信長は、浅井・織田両家の共通の敵である南近江の守護大名・六角家を居城の観音寺城から追い出し、その勢力を後退させることで悲願の上洛を成功させます。信長はこの上洛作戦に協力的だった妹婿・浅井長政に、近江の北半分を与え、彼の貢献を高く評価しました。

 ドラマでは、新将軍・足利義昭(古田新太さん)の名のもと全国の大名にかけた上洛の大号令を無視した越前(現在の福井県)の朝倉義景を「幕府への反逆」とみなし、討伐軍を送ると信長(岡田准一さん)らが言っていましたね。また、謁見に来た家康に対し、泥酔した様子の義昭が呂律のまわらぬ口調で、今後、諍いが生じた際は幕府に申し立てをし、勝手に大名同士が戦をしてはならないと命じていました。

 これらは、永禄13年(1570年)正月、信長が義昭の名前で発行させた、いわゆる21箇条の「掟書(おきてがき)」の内容を踏まえた展開だと思われます。義昭=信長が諸大名の統制に乗り出し、「信長には将軍の承諾なしに、独断で反逆者を成敗する権利がある」とも通告しています。

同時に、義昭=信長に従う意思があるなら、「上洛して天皇、将軍に拝謁せよ」という命令も出していました。実際には使者を送るだけでも許されたようですが、信長は義景が完全無視を決め込むとにらみ、浅井長政と共に朝倉家と戦う想定で動いていたことでしょう。

 ドラマでは、将軍への拝謁が済んだ家康は早々に岡崎に戻るつもりだったものの、朝倉攻めの計画を信長や秀吉(ムロツヨシさん)から聞かされ驚愕し、自分は手勢が500ほどしかいないので一度帰って準備を整えたいと主張するも、幕府方の軍勢はすでに4万を超えるのでその必要はないと秀吉に押し切られる形で、朝倉攻めに半ば強引に参加させられるという描かれ方でした。

 公家・山科言継(やましな・ときつぐ)の日記『言継卿記』によると、永禄13年4月25日、信長、家康、そして朝廷から派遣された兵もふくむ連合軍は総計3万だったそうで、そのまま越前に入り、次々と朝倉家の城を落としていきます。そして彼らの本拠地である一乗谷(現在の福井市)に攻め入る前に、金ヶ崎城を落とすべく猛攻を加えたそうです。『言継卿記』によると「千余人」もの兵の犠牲を出した末にようやく金ケ崎城は落ちたとのことですが、同時代の信頼できる別の史料には犠牲者について「二千人」との記述もあります(『多聞院日記』)。

 いずれにせよ多数の戦死者を出した信長ですが、信じがたい知らせは続きます。疲弊した信長軍を狙い撃ちするべく、義弟・浅井長政が、かつての宿敵・六角家や朝倉家の残党と手を組み、越前に進軍中とのまさかの報告が飛び込んできたのです。

 かつて浅井家は六角家から家臣のような扱いを受けており、長政も六角家の重臣・平井定武の娘と政略結婚させられていたのですが、長政はこの女性が気に入らず、結婚を無理強いした六角家に反意を抱いていたといわれます。この女性は、長政の長男・万福丸の実母だとも考えられていますが、お市との結婚前に実家に送り返されました。また、六角家におとなしく従うだけの浅井家のあり方に、若き長政は不満を募らせていました。それゆえ長政は、六角家の支配から脱却するべく信長と手を結び、六角家と戦っており、念願の独立を勝ち取ったばかりでした。

その旧主・六角家と再び手を結ぶ形で義理の兄ともなった信長を長政が裏切ることになった理由は、容易にはうかがいしれず、謎というしかありません。信長が信じようとしなかったのもよく理解できます。

 長政が裏切った理由として、朝倉家との不戦条約の存在を挙げる俗説があります。浅井家と朝倉家には以前から不戦条約があり、長政が信長と同盟を結んだ際、朝倉との不戦条約を信長も守るよう伝えていたのに、信長がそれを破ったので、義理堅い長政は信長を裏切らざるをえなくなった……という内容ですが、この不戦条約の存在や、長政が信長に朝倉との不戦条約を守るよう要請したとする話の実在を裏付ける史料は存在しません。

 近年は、長政が離反を決意したのは、信長が語る壮大な世直しのビジョンについていけなかったからとする説を目にすることが増えました。おそらく『どうする家康』はこの説にのっとって描かれるのではないかと思われますが、実はこれも仮説でしかありません。

 長政の裏切りを知らされた信長は、「浅井は歴然御縁者たるの上、あまつさへ江北一円に仰付けられるるの間、不足あるべからざるの条、虚説たるべき」と言ったとされます(『信長公記』)。つまり、「浅井家は織田家の親類縁者だし、近江の北部を任せるほど厚遇しているのだから、何の不足もないはずだ。私を裏切る道理がない」と、信長には長政の裏切りがとても信じられなかったようですが、次々と飛び込んでくる悪い知らせに現実を受け止めるしかなく、ついに金ヶ崎城から逃げ出さざるを得なくなったようです。(1/2 P2はこちら

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阿月(伊東蒼)| ドラマ公式サイトより

 しかし、史実の信長がいかにして長政の裏切りを確信したかについては不明なままです。有名なのは、長政の妻で信長の妹であるお市の方から送られてきた小豆の袋のエピソードでしょう。両端をヒモで結んだ小豆の袋が「信長が袋の鼠の状態にいる」という無言のメッセージだったというものですが(『朝倉家記』)、これはさすがに創作だと思われます。

 戦国時代の武家の女性にとって、結婚とは、いわば外交官のように、実家の利益を代表して当地に赴くことを意味します。それゆえ、お市の方が夫・長政の裏切りを知ったとしたら、本来ならば信長に伝えねばならないのです。それゆえ小豆の袋のような逸話も出てくるわけですが、しかし、兄の味方をすることは、夫を裏切る行為ですから、お市の方も悩みに悩んだと思われます。これは筆者の推測にすぎませんが、この時の彼女は兄・信長に対し、何も具体的なことは行えなかったのではないかと思われます。

 ドラマのお市(北川景子さん)は、結婚生活について家康から問われたとき、「幸せです」と即答して笑顔を見せていましたが、史実でもお市の方と長政の夫婦仲は、かなりよかったとされます。ふたりが結婚してすぐに(あるいは数年後に/結婚の時期は諸説あります)長女・茶々が誕生し、その後も次女・初、三女・江と浅井三姉妹が次々に誕生するという慶事が続いたほどですから。

 ドラマではお市の苦悩を察した侍女の阿月(伊東蒼さん)が、長政の裏切りを報告すべく金ヶ崎城に向かうことになるようです。阿月はドラマオリジナルの架空のキャラクターとみられますが、「あづき」という名前からして、小豆の袋の逸話を踏まえているのでしょう。しかし予告映像では「阿月が参りましょうか」と申し出る場面があったので、もしかしたら、お市の命令で伝令に向かうというより、主人に迷惑がかからないよう、阿月が(表向き)独断で知らせに行ったという展開になるのかもしれません。

 史実において、信長が長政の裏切りを信じた背景にお市の関与があったかは不明ですが、仮にそうだったとしていくらお市が長政の愛妻であったとしても、浅井家の情報を敵対する信長に横流ししていたことが発覚したのなら、無事では済まないでしょう。ペナルティとして彼女の命を即座に奪わざるをえないでしょうし、そうならなかったとしても、当時の武家の女性の考え方からすると、お市は自害を試みるのでは、と考えるほうが自然な気がするのです。

 しかし、そうはなりませんでした。お市の方は長政と共に小谷城に立てこもり、元亀2年(1571年)8月に長政の命で娘たち3人を連れて城外に脱出するまで、行動を共にしています。長政がお市の方を人質にしていたと考えることもできますが、それなら最後の最後に娘たちだけでなく彼女まで解放するのはどこか不自然に感じられます。

 史実のお市は、兄・信長より、夫・長政に対して肩入れする度合いが大きかったのではないでしょうか。だからこそ、兄と夫の間で板挟みとなり、史実においては具体的な行動は何も起こせなかったのではと筆者は考えているわけです。

 信長が長政の裏切りを最終的に信じた理由としては、当時の織田家の家臣で、近江・若狭方面の外交を担当していた松永久秀が信長に通報したという説もあります(『朝倉記』)。この説も状況証拠が不十分だといわれていますが、カンの鋭い久秀などが、お市周辺の動きなどを通じて浅井家の異変を察し、長政の裏切りに気づいたという可能性はありそうな気もします。

 なぜ長政は信長を裏切ったのか、そして最初はそれを疑っていた信長がどのようにして信じるに至ったかについては、このようにはっきりとしたことはわかっていないわけですが、浅井と六角、そして朝倉の残存勢力から成る連合軍に挟み撃ちにされた信長が、この危険な状況をどうやって乗り越え、京都に生きて戻ることができたかについても、実は定説はありません。

 ただひとつ言えるのは、彼の背中を守った「殿(しんがり)」の部隊が優秀だったということでしょう。「殿」は「後備え(あとぞなえ)」とも呼ばれ、逃走する部隊の最後尾を守り、敵からの追撃を受け止めるという最重要かつ最も危険な役目です。

 一説に、信長は秀吉(当時、木下藤吉郎)を金ヶ崎に残し、「殿」の大役を命じたといわれていますが(『信長公記』)、この時、家康も金ヶ崎に残って秀吉に加勢したとする説もあるので(『徳川実紀』など)、家康を主人公とする『どうする家康』では、家康と秀吉の共闘が描かれそうです。

 もっとも、信長が「金ケ崎城に木藤、明十、池筑その他残し置かれ」と命じた同時代の記録があり(波多野秀治が一色藤長に宛てた書状『武家雲箋』)、木下藤吉郎、明智光秀、池田勝正たち3人の手で金ヶ崎は守り抜かれたと考えられ、家康がここに加わっていた可能性は低いとみられます。危険な殿を務めたという逸話からこの3名のうち秀吉以外の2名の名前も消えているのは、この2人がのちに信長を裏切ったので後世の歴史家から無視されたからでしょうか。

 この退却戦において、秀吉たちが被った損害についてはよくわかりませんが、「人数二千余」の兵を失ったとする記録もあります(『多聞院日記』)。超有名な歴史事件だったにもかかわらず、重要な部分についてはわからないことだらけなのに驚くしかありませんが、それほど激戦だったということでしょう。逆に言えば、史実関係がほとんど判明していないので、後世の歴史家が「推し」の人物の株を上げるための逸話をねじ込みやすいということでもあります。家康が秀吉たちの殿の軍に加わったとする『徳川実紀』も、一次史料に彼の名前がないのをいいことに、「神君」家康の威光を上昇させるために、「実は家康も殿を務めた」ということにしてしまったのではないかとみられます。

 殿の奮戦のおかげで、信長は近江国・朽木を経由し、4月30日、命からがらの帰京に成功しました(『信長公記』)。そして自身を裏切った義弟・浅井長政を討伐するべく、同月9日、岐阜に一度戻って軍の立て直しを図ることになります。

 信長が義弟の裏切りに遭い敗走するという有名なエピソードのわりに判明している事実が意外なまでに少ない「金ヶ崎城攻め」ですが、ドラマではどのように描かれるのでしょうか。放送が楽しみです。

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