磯山さやかと東大卒の変わり種俳優・吉橋航也のダブル主演作

 生田斗真、磯村勇斗らが出演した『渇水』が、6月2日から公開されている。水道料金を払えずにいるワケありな家庭を回り、停水執行する水道局員たちを主人公にした社会派ドラマだ。

派手さはない内容ながら、貧困や育児放棄などの問題に向き合った力作となっている。

 10年がかりで『渇水』を映画化したのが、助監督経験の長かった髙橋正弥監督。これまでに根岸吉太郎監督、相米慎二監督、森田芳光監督らの現場を体験してきた髙橋監督は、『RED HARP BLUES』(02)で監督デビューを果たすも、その後は『月と嘘と殺人』(10)まで監督作が空き、『渇水』は実に13年ぶりの劇場公開作だった。

 これまで10年に一本ペースだった髙橋監督だが、早くも最新作『愛のこむらがえり』が6月23日(金)より公開される。シリアスだった『渇水』から一変、映画業界を題材にしたコメディ作品だ。

 磯山さやかをヒロインに迎えた『愛のこむらかえり』はコメディではあるものの、決して甘い内容ではない。

映画監督になることを夢見ているが、助監督生活から抜け出すことができずにいる浩平(吉橋航也)とアルバイトしながら浩平を支える恋人・香織(磯山さやか)の崖っぷちライフを描いたシニカルな物語となっている。

 いつまでも変わらない、アパートでの香織との同棲生活。自分の才能のなさに見切りをつけ、助監督を辞める浩平だったが、最後に自分たちをモデルにした脚本を書き上げる。この脚本を読んだ、元スクリプター助手だった香織は号泣。その後、手直しを加えたことで浩平の脚本はなかなかのものに仕上がった。だが、ここから本当の意味で浩平と香織の地獄めぐりが始まる。

 香織は旧知の仲である映画プロデューサーの伸子(菜葉菜)に相談するが、彼女は「脚本の良し悪しが分かる人はひと握りだけ」とシビアだった。ベテラン俳優の西園寺(柄本明)に脚本を読んでもらおうとするも、ストーカー扱いされてしまう。

 一方、浩平は映画制作のための助言を得ようと、学生時代からの憧れだった伝説の映画監督・蒲田志郎(品川徹)の居場所を探り、会いに向かう。そこで浩平は衝撃的な事実を知るー。

 自分たちが理想とする映画を撮りたい。そんな夢を叶えようとする浩平と香織は悩み、苦しみ、思わぬトラブルに次々と見舞われる。

コメディタッチではあるものの、日本映画の現状を映し出した業界残酷物語だと言えるだろう。

志村けんにも愛された磯山さやかの明るさ

本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』の画像2
同棲して8年になるが、香織(磯山さやか)はまだ入籍できずにいた

 映画『渇水』の公開を間近に控えていた髙橋正弥監督に会うことができた。10年がかりだった『渇水』に比べ、『愛のこむらがえり』の準備期間は短かったが、それでもコロナ禍前の2018年から温められていた企画だった。映画監督は忍耐力がないと務まらない職業のようだ。

髙橋「監督である僕にもっと力があれば、『渇水』は10年も待たずに済んだでしょう(苦笑)。白石和彌さんが脚本を気に入り、プロデュースを引き受けてくれたおかげで映画化できた企画でした。『愛のこむらがえり』は脚本家の加藤正人さんらが書き上げた脚本を読ませてもらい、タイトルへの興味もあり、僕が預からせてもらった企画です。

まだ他にも、いくつか持ち歩いている企画があります(笑)」

 髙橋監督の劇場公開作は、『愛のこむらがえり』も含めて計4本。当然ながら映画監督だけでは食べていけない。普段は助監督としての現場仕事やプロデューサー業も並行することで、生活費を稼いでいる。

髙橋「待つことに、すっかり慣れました。助監督しながら監督するチャンスを狙っているところは『愛のこむらがえり』の浩平と一緒です(笑)。浩平と僕とでは違う部分もあるけれど、やはり映画業界で生きている者として重なる部分はすごくあります。

 僕の場合はプロデューサーもしているので、プロデューサー的視点からキャストをまず先に決めたほうがいいだろうと考え、磯山さやかさんにオファーしました。志村けんさんの追悼番組で見た、コントをしている磯山さんの明るさが印象的だったんです。脚本の加藤さんたちも、最初の脚本は浩平視点が強かったのを、女性の香織視点を中心に変えていったので、そのほうが広がりが出てよかったと思います。プロデューサーとしての仕事を引き受けているうちに、自分で監督したほうが早いんじゃないかと考え、監督も務めることになったんです」

本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』の画像3
ヤクザに拉致された浩平たち。「拉致された先輩は実際にいます」と髙橋監督

 浩平はフリーの助監督として仕事を受けてきたが、稼ぎは不安定だ。同棲する香織のバイトの収入によって生活は支えられている。

慎ましき清貧生活。しかも、浩平が助監督として働いているうちはまだマシであるという、映画業界のシビアすぎる現実がある。もし、浩平が映画監督になれたとしても、年に何本かの仕事を請け負うことができる助監督時代より収入は減ってしまうのだ。映画監督になるという夢を叶えると、今よりさらに厳しい経済状況に陥ってしまう。

髙橋「劇中に『映画監督の99%は貧乏だ』という台詞がありますが、まさにそのとおりです(笑)。僕らの世代(髙橋監督は1967年生まれ)は撮影所システムがかろうじて残っていた時代で、がんばって助監督を続けていれば、40歳前後で映画監督になれるという甘い夢がありました。でも、冷静に考えると監督は増えていく一方で、下の世代へのチャンスはそうそう回ってこないのが現実です。助監督を続けていればいつか監督になれるという幻想に、僕らの世代はどこか甘えていた部分があったかもしれません」

 役者たちの多くは本業では食べていけず、日雇いバイトをしている実情が西村洋介監督の自主映画『ヘルメットワルツ』(22)では描かれていたが、映画監督も同じような状況だ。著名な映画監督は大学の講師などを務めることもできるが、映画とはまったく無関係の仕事に従事しているケースも少なくない。東映映画『ワルボロ』(07)でデビューした隅田靖監督は、監督第2作『子どもたちをよろしく』(19)の公開時に警備会社で働いていることを明かしている。

髙橋「僕も30代の頃は食べていけずに、警備員のアルバイトなどをしていました。他の監督たちも口にしないだけで、似たような状況のはずです。しかも、年齢を重ねれば重ねるほど転職は難しくなる。20代前半で見切りをつけて、まったく別の業種に転職したヤツが正解なんじゃないかと思っていました。監督になったら助監督はやらないという先輩もいましたが、僕は今も助監督をやらせてもらっています。現場から学ぶことは多いですから」

脚本が軽視されるようになった映画界

本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』の画像4
「脚本が読める業界人は少ない」とプロデューサーの伸子(菜葉菜)は嘆く

 どんなにいい脚本があっても、映画化の企画はなかなか前に進まない。映画プロデューサの伸子が叫ぶ「スポンサーはポスター映えするキャストの顔と客が呼べる原作しか求めていない」という台詞は、今の日本映画界の窮状をリアルに言い当てている。

髙橋「脚本家の加藤さんらの心の声が聞こえてくるような台詞です。加藤さんとは、根岸監督の『雪に願うこと』(06)で仕事をご一緒し、同じ秋田出身ということから時おり日本酒を飲む関係です。今は漫画やアニメ、ベストセラー小説の映画化が主流になっていますが、大事なのはオリジナル脚本を作り続けることだと思うんです。映画業界の底上げのために、そこは忘れちゃいけないところです」

 人気キャストが決まっても、優秀なスタッフが集まっても、映画の設計図である脚本がダメだと面白い映画には決して仕上がらない。映画制作の不変の真理であるにもかかわらず、浩平と香織は渾身の脚本を抱えたまま、右往左往することになる。10年間、『渇水』の脚本を抱え続けた髙橋監督自身を思わせるものがある。

本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』の画像5
浩平が憧れ続けた、映画監督の蒲田志郎(品川徹)

 想像を絶するトラブルに見舞われる浩平たちだが、いちばん衝撃的なのは、憧れの映画監督・蒲田志郎と浩平が出会うシーンだろう。浩平は蒲田監督が撮ったスタイリッシュな映画に魅了され、映画業界入りを決意した。憧れの存在にようやく会うことができた浩平だったが、かつての名監督の口から出てきた言葉は、あまりにも残酷だった。

「映画監督とは職業じゃない。罪名だよ」

 映画監督とは、夢という嘘で人の人生を狂わせる罪人たちの呼び名だったのだ。映画監督になった者も、映画の世界に憧れた者も、その周囲にいる者も、みんな苦しみ続けることになる。自分が追い掛けてきた夢の正体を知らされ、浩平の頭の中の理想像はこなごなに砕け散る。

髙橋「これも加藤さんたちが書いた脚本に、最初からあった台詞です。あまりにも刺激の強い言葉です。実際、僕も思い悩み、30歳、40歳と節目の年齢には転職することを考えました。でも、踏ん切りがつかないうちに新しい現場の仕事が入ってしまい、今に至っています(苦笑)。やはり長年、映画業界で暮らしていることもあって、この業界での仕事が体に馴染んでしまっているんです。もしサラリーマンに転職しても、体か心がパンクして、倒れていたかもしれません。余裕のある生活ではありませんが、好きな仕事を続けられているのは幸せなことなのかもしれません」

 髙橋監督がプロデューサーを務めた作品は、中村倫也がパンクロッカーに扮した主演作『SPINNING KITE』(11)、篠原ゆき子がスランプ中の作家を演じた『ミセス・ノイズィ』(19)、のんが歌手デビューを目指す『星屑の町』(20)など、主人公たちは人生の扉を開けようと懸命にもがいている。監督デビュー作『RED HARP BLUES』や『渇水』の主人公もそうだ。

髙橋「たまたまそんな作品が重なっただけですが、主人公のもがき続ける姿が僕自身、好きなんでしょうね。『渇水』の原作小説はバブル期に発表されたこともあって、悲劇的な結末が胸に刺さる作品でした。でも、僕自身に幼い娘がいたこともあって、希望が感じられるラストに変えさせてもらいました。『愛のこむらがえり』も残酷なままではなく、観ている方たちが明るい気持ちで帰ることができるようなラストにしています。僕自身が、きっとそうなることを望んでいるんだと思います(笑)」

 厳しい現実に触れながらも、浩平と香織は自分たちの理想の映画づくりに突き進む。おそらくこの映画が完成しても、2人が経済的な成功を収めることは難しいだろう。だが、映画の世界に生きる喜びを見出した2人は、自分たちの映画をつくることで一生分の幸せを手に入れる。映画『愛のこむらがえり』には、映画業界で生きる人たちが味わうシビアさと多幸感との両面が描かれている。

『愛のこむらがえり』
原作/加藤正人、安倍照雄 脚本/加藤正人、安倍照雄、三嶋龍朗 監督/髙橋正弥
出演/磯山さやか、吉橋航也、篠井英介、菜葉菜、京野ことみ、しゅはまはるみ、和田雅成、伊藤武雄、小西貴大、前迫莉亜、藤丸千、川村那月、浅田美代子、菅原大吉、品川徹、吉行和子、柄本明
配給/プラントンフィルムズエンタテインメント 6月23日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、青梅シネマネコ、あつきぎのえいがかんkiki、6月30日(土)よりシネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、アップリンク京都ほか全国順次公開
©『愛のこむらがえり』フィルムパートナーズ
aikomu-movie.com

『渇水』
原作/河林満 監督/髙橋正弥 脚本/及川章太郎
出演/生田斗真、門脇麦、磯村勇斗、山﨑七海、柚穂、宮藤官九郎、宮世琉弥、吉澤健、池田成志、篠原篤、柴田理恵、森下能幸、田中要次、大鶴義丹、尾野真千子
配給/KADOKAWA 6月2日より全国公開中
movies.kadokawa.co.jp/kassui

【パンドラ映画館】過去の記事はこちらポール・シュレイダー監督『カード・カウンター』 スコセッシとの関係、三島由紀夫について語る 腐敗した社会を正すヒーローになる。そんな狂気に取り憑かれた男を若き日のロバート・デニーロが演じた『タクシードライバー』(76)は、映画史に残る大傑作だ。ポール・シュレ...

本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
ポール・シュレイダー監督『カード・カウンター』 スコセッシとの関係、三島由紀夫について語る
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
cyzo
日刊サイゾー2023.06.15“レンタル家族”サービスの是非を問う実話系社会派ドラマ『レンタル×ファミリー』 血縁関係のないキャストが集まり、家族を演じる映画の世界では、血のつながらない“擬似家族”をテーマにした作品はとてもリアリティーを感じさせる。岩井俊二監督の『リップヴ...
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
“レンタル家族”サービスの是非を問う実話系社会派ドラマ『レンタル×ファミリー』
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
cyzo
日刊サイゾー2023.06.08「リトルタケシ」と呼ばれた二ノ宮隆太郎監督作『逃げきれた夢』 人生の岐路に立つ男の悲喜劇 1シーン、1カット登場しただけなのに、妙に印象に残る俳優がいる。二ノ宮隆太郎は、そんなアクの強さを持つ個性派俳優のひとりだ。監督&出演を兼ねた自主映画『魅力の人間...
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
「リトルタケシ」と呼ばれた二ノ宮隆太郎監督作『逃げきれた夢』 人生の岐路に立つ男の悲喜劇
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
cyzo
日刊サイゾー2023.06.01井口昇ワールドのヒロイン集結! 商業映画では描けない禁断の世界『異端の純愛』 個性の強い映画監督たちの中でも、より際立った異能ぶりで知られているのが井口昇監督だ。劇団「大人計画」の役者として活動する一方、自主映画『クルシメさん』(98)や『恋す...
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
井口昇ワールドのヒロイン集結! 商業映画では描けない禁断の世界『異端の純愛』
本業で食べていける監督はごく少数!? 映画業界残酷物語『愛のこむらがえり』
cyzo
日刊サイゾー2023.05.25