岩手県遠野地方は四方を山々に囲まれ、さまざまな不思議な伝説が言い伝えられている。民俗学者の柳田國男がこれらの逸話を編纂したのが『遠野物語』だ。
明治時代末期に刊行された『遠野物語』に着想を得て映画化したのが、山田杏奈、森山未來、永瀬正敏、三浦透子らが出演した『山女』だ。米国での生活が長かった福永壮志監督が、独自の視点から日本人のアイデンティティーを浮き彫りにした異色の社会派ドラマに仕立てている。
物語の舞台となるのは、18世紀後半の東北の寒村。折からの冷害で、村人たちは食べる物に困っていた。そんな村の中でもいっそう厳しい生活を強いられているのが、伊兵衛(永瀬正敏)、娘の凛(山田杏奈)たち父子だった。
ある日、飢えに耐えられなくなった伊兵衛は村の米を盗んでしまい、村の重役(でんでん)らに咎められる。村での窃盗は重罪だ。伊兵衛の罪を身代わりに被ったのは、娘の凛だった。凛は村を出て、山へと向かう。
一方、凛が去った後の村では翌年も冷害が続き、神様に若い娘を人柱として捧げることが決まる。誰を人柱にするのかで、村は紛糾することになる。
日本人の源流を感じさせる『遠野物語』
福永監督は、NYで暮らすアフリカ移民を主人公にしたデビュー作『リベリアの白い血』(15)が話題となり、北海道で暮らすアイヌの人々を描いた第2作『アイヌモシㇼ』(20)も国内外で高い評価を受けている。本作は3本目となる劇場映画だ。
異なる文化の対比を描くのが、福永監督はうまい。『リベリアの白い血』では、貧しいながらも家族と暮らすアフリカのゴム園での生活と、NYで非合法のタクシー運転手として孤独に働く日々が対照的に映し出されていた。
本作の主人公となる凛も、差別や身分格差の激しい村を離れ、何もない山で暮らすことで、初めて人間らしく生きることを実感する。人間社会と大自然での生活が実に対照的だ。2003年以降、長年にわたって米国で暮らしてきた福永監督だけに、同調圧力やジェンダー不平等の強い日本社会に対する客観的な視線を感じる。
本作の原案となった『遠野物語』に興味を持った経緯などを、福永監督に語ってもらった。
福永「海外での生活が長かったんですが、2019年に日本に戻って、僕の故郷である北海道で『アイヌモシㇼ』を撮りました。アイヌ文化について調べていくうちに、日本人のアイデンティティとは何だろうということに興味が湧き、いろんな昔話や『遠野物語』を読みました。『アイヌモシㇼ』は夏と秋冬に分けての撮影だったので、その合間に遠野も訪ねました。『遠野物語』が編纂された頃の東北は、昔からの民間信仰などが色濃く残っていた地域でした。短い逸話がほとんどですが、『どこどこの誰々が……』と不思議な出来事が現実のこととして採録されているところに惹かれました。人間と自然との関わり方がとてもリアルで、日本人の源流みたいなものが感じられたんです」
河童や座敷わらしなど『遠野物語』には不思議な存在も語られているが、福永監督は山男や山女といった人里から離れた山々で暮らす山人(やまびと)をクローズアップする形で映画化している。
福永「人間には理解できない存在が『遠野物語』では語られていますが、そのまま映像化してしまうと妖怪たちが出てくるファンタジーになってしまいます。僕が『遠野物語』を読んで面白いと感じたのは、人間と自然との関わりであり、さらに自然の中に見出された神々や、人間の理解が及ばない存在についてでした。映画化するにあたっても、人間社会と地続きのものを描こうと考え、山男は完全な妖怪としては描いていません。一方の凛も、彼女自身は何も変わっていませんが、村人たちの目には凛が山女として見られるようになっていくという展開にしています」
村で暮らす凛たちは質素な和服姿だが、時代劇という雰囲気はあまり感じさせない。先祖の犯した罪を背負う凛たち一家が差別され、凛自身も家長である父親に逆らうことができない。これまでの慣習に囚われ、女性や子どもが社会的弱者として虐げられている構図は、今の日本社会とさほど違わないだろう。
福永「今、映画を撮るからには、現実の社会になるべくリンクさせようと思い、現代に通じるテーマを盛り込もうという意識がありました。僕が強く感じるのは、現代社会は不可視化された部分がとても多いということです。例えば、食事の際に口にする肉料理ですが、動物たちが屠殺され、解体され、精肉化されていく工程を普段は見ることがないわけです。人間が生きていく上での穢れ(けがれ)や業(ごう)といった必然的なものが、現代社会では切り離されている状態です。でも、起きていること自体は今も昔もそれほど変わりません。見えないところで誰かが代行しているだけなんです。現代でも差別や貧困に苦しんでいる人はいます。この映画で描かれている世界は、決してはるか昔のことでも、遠い国のできごとでもありません」
主人公・凛を演じたのは、いじめ問題を扱ったバイオレンス映画『ミスミソウ』(18)がインパクト大だった山田杏奈。福永監督は「姥捨伝説」を題材にした映画『楢山節考』(83)を観ることを山田に勧めたそうだが、山田は他にもアニャ・テイラー=ジョイが主演したサイコスリラー『ウィッチ』(15)なども観て、役づくりに努めている。
福永「海外でも同調圧力が生じるケースはもちろんありますが、日本はやはり独特な形で同調圧力が存在している社会だと感じます。それは、今も昔も変わらないでしょうね。山田さんには脚本を読んでもらい、凛はどんなキャラクターなのか、いろいろと話し合い、理解を深めてもらいました。でも、撮影現場では僕から細かい指示は出していません。もともとの山田さんが持っていたひたむきさや人柄的なものが、凛役を通して自然に出ているように感じます」
土地から感じるエネルギーを取り入れていった森山未來
村人たちから恐れられる“山男”を演じるのは森山未來。肉体労働者役だった『苦役列車』(12)、ロートルボクサー役の『アンダードッグ』(20)、チョウオーグを演じた『シン・仮面ライダー』(23)など、作品ごとに入念に役づくりする森山は、台詞をひと言も発することなく異形の存在になりきっている。
福永「山男のビジュアルをどうするかは苦心しました。妖怪ではないが、普通の人間でもない存在としてのバランスに気をつけました。撮影は主に山形で行なったんですが、森山さんはクランクイン前から山に入って、その土地から感じるエネルギーを自分の中に取り込んでいったようです。撮影中も、休憩時間になると森の中でいちばんの大木にするすると登り、木の枝の上で昼寝をしていました。スタッフみんな、唖然としていました(笑)」
山男が暮らす森の奥にある洞窟は、実際に縄文人や弥生人が暮らしていた場所だそうだ。三姉妹の女神たちの伝説が言い伝えられる早池峰山など、東北の山々や森もキャストと同じように重要なキャラクターとしてカメラに映し出されている。
福永「米国人の撮影監督ダニエル・サティノフに、撮影を頼みました。幼い頃のダニエルは、ネイティブアメリカンの昔話を読むのが大好きだったそうです。ネイティブアメリカンの伝説も、自然の中に神を見出すものが多い。『遠野物語』の世界と通じるものがあったようです。ダニエルは東北の山や森に対して、敬意を持って撮影してくれました。自然に対する深い想いがないと、ああいう映像は撮れません。撮っている人の心情は、映画の中に必ず反映されるものですから」
深い闇に包まれた森の夜、洞窟で野生動物を喰らう山男の横で、凛も食事を共にすることになる。凛と山男が一緒に生活するようになる重要なシーンだ。
福永「村で生まれ育った凛は、男に従わないと女は生きていけないという価値観がベースにあり、山で生きていくために山男と夫婦の関係になろうとします。でも、凛が思ったような展開にはなりません。村で育っていない山男には、凛が当たり前だと思っていた村の常識は通用しないんです」
凛と山男とは対照的なカップルとなるのが、村の重役の孫娘・春(三浦透子)と駄賃付の泰蔵(二ノ宮隆太郎)だ。馬を連れて他の集落とを行き来する泰蔵は、凛に好意を寄せていたが、結婚を迫る春を拒むことができない。泰蔵と春のやりとりは実に人間くさく、シリアスな物語の中でおかしみを感じさせるシーンとなっている。『ドライブ・マイ・カー』(21)での好演が光る三浦透子、監督作『逃げきれた夢』が公開中の二ノ宮隆太郎が、どちらも憎めない味のあるキャラを演じている。
福永「三浦透子さんと二ノ宮隆太郎さんのやりとりはとても面白く、2人のシーンはもっと見ていたいと思わせるものがありました。村の人たちが悪者で、凛だけが正しいのかというと、決してそんなことはないわけです。物事には常に多面性がありますし、単純に白黒をつけるような描き方は避けました。僕自身は海外で生活したことで、自分が身につけていた常識が通用しなかったり、日本にいるときには気づかなかった日本文化のよさに気づくことができたりもしました。自分の知らない世界に触れることで、新しく見えてくるものがあるんじゃないでしょうか」
山で生きることを選ぶ凛と山男、村での生活を選択する春と泰蔵。どちらの暮らしも決して楽ではないが、それぞれ違った喜びや幸せを見つけながら生きていくに違いない。
『山女』
監督/福永壮志 脚本/福永壮志、長田育恵
出演/山田杏奈、森山未來、二ノ宮隆太郎、三浦透子、山中崇、川瀬陽太、赤堀雅秋、白川和子、品川徹、でんでん、永瀬正敏
配給/アニモプロデュース 6月30日(金)より渋谷ユーロスペース、シネスイッチ銀座 7月1日(土)新宿K’s cinemaほか全国順次公開
©YAMAONNA FILM COMMITTEE
yamaonna-movie.com
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