こんにちは。ラジオ書き起こし職人のみやーんZZです。
小学校1年生の時に父親からYouTubeの存在を教わったというAdoさん。そして同時期にいとこからYouTubeでボーカロイド曲『悪ノ娘』の二次創作動画を教わり、「なに、これ?」と衝撃を受けたAdoさんは親から割と自由にPCを使うことを許されていたという環境もあり、ズブズブとYouTubeやボカロ曲にハマッていったそうです。
当時小学生低学年だったAdoさんは周りにボカロについて知っている友人もほとんどいなかったため、独力でボカロ曲を調べて聞きまくる生活を送ります。基本的にはほとんど動画にコメントなどはせず、他の人がつけたコメントを見て楽しむスタイルだったAdoさん。そんな状態から歌い手として作品を発表した最初のプラットフォームについても話していきます。
「私がニコニコ動画に初投稿したのは中2なんですけど。それよりも前に、実は私は歌自体はちらほらアップロードとかはしてて。Nintendo 3DSで『うごくメモ帳』っていう自分でアニメーションとかを書けるソフトがあって。そこには、インターネットワールドみたいなのがあって。そこに行くとなんかSNS的な、本当にいろんな人のpixiv的な作品が見れて。
その時、小6ぐらいの私は自分のパソコンもないし、機材もなかった。でも唯一、自分が持ってる機材としては、3DSがあって。『歌い手、やりたい。けど、できない。えっ、うごメモ歌い手っているじゃん! ここからやろう!』ってなって。私、うごメモ歌い手としてちょっとちらほらやっていて。まあ全然、有名じゃなかったんですよ。自分で絵とか書いたりしてやっていて。
3DSの音質なんて、すごい悪いんですよ。ガサガサですよ。
でも3DSっていうあんなちっちゃい機械でね、大きいサイバーに飛び出せるっていうのは改めてすごいなって思うし。なんならそこのうごメモで活動してた人が今ではもう、ネットで有名な漫画家さんになっていたり、ゲームクリエイターになったり。任天堂さんのあの小さな小さな機械でいろんな才能が育まれていたっていうのもあって。
ちなみに私はずっと親のパソコンでやっていて。はじめて自分のパソコンを持ったのは高1とかでMacBookをありがたいことに買ってもらって。で、頑張って自分で作曲してた時期もあったりして。
あの時、パソコンでYouTubeを見せてくれてありがとうって。そして、いとこは私にボカロを教えてくれてありがとうっていう。マジで感謝っていうのをめちゃくちゃ伝えたい。そんないろんなものを得て今、私はここでしゃべらせていただいてるんですけれども……」と話していました。
Adoさんの超デジタルネイティブ世代っぽいエピソード、個人的にめちゃ興味深かったです。『うごくメモ帳』なんて出た当時、すでにおっさんだった僕は「こんなの、なにが楽しいんだ?」と思ってましたが、そのゲームソフトを使って様々な表現をし、発表をしていた人たちが今、いろんな分野でクリエイターとして活躍しているらしいと知り、「任天堂、すげえ!」と思った次第です。Adoさんのように育ってきたデジタルネイティブ世代の皆さんがこれからどんな作品を見せてくれるのか、めちゃ楽しみにしています!
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