虐殺が始まる直前。自警団は香川から来た行商団を吊し上げた

 1923年9月1日、相模湾北西部を震源地とする首都圏直下地震「関東大震災」が発生した。

マグニチュード7.9と推測される大地震は、建物の崩壊や広範囲にわたる火災を招き、死者・行方不明者は10万人以上という未曾有の大災害となった。

 パニック状態に陥った首都圏をさらに襲ったのが、流言飛語だった。「富士山が爆発する」「大津波がきた」という噂に続き、「朝鮮人が襲ってくる」「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」というデマが瞬く間に広まった。

 各地で竹槍や日本刀などで武装した民間人による自警団が結成され、何の罪もない朝鮮人たちが次々と虐殺される惨劇が起きてしまう。朝鮮人と間違えられて殺された中国人や日本人も少なくなかった。また、この混乱に乗じて官憲が社会主義者たちを殺害した「亀戸事件」や「甘粕事件」も起きている。

正確な犠牲者数は不明だが、震災時に殺害された人の数は数千人に及ぶと見られている。

 こうした“日本史の闇”に斬り込んだのが、劇映画『福田村事件』だ。オウム真理教の信者たちの素顔を映し出した『A』(98)や『A2』(01)などのドキュメンタリー映画を手掛けてきた森達也監督の劇映画デビュー作となる。

 ドキュメンタリー作家として知られる森達也監督が、千葉県福田村(現在の野田市)で起きた悲劇に関心を抱き、劇映画化することになった経緯は、クランクイン前となる2022年7月のインタビューで答えてもらった

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森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
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森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
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日刊サイゾー2022.07.05

 今回は映画を完成させた森監督に、制作内情と「福田村事件」に潜む日本人の暗部について語ってもらった。

コムアイ、水道橋博士ら異色のキャスティング

森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズムの画像2
戦争未亡人の咲江(コムアイ)と船頭の倉蔵(東出昌大)の情事は村では有名だった

 震災発生から5日後となる9月6日、千葉県福田村で香川県から来た行商団15人のうち9人が、自警団によって殺害されるという事件が起きた。これが「福田村事件」だ。

行商団が話す讃岐弁が聞き慣れなかったことから「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないのか」と疑われ、虐殺に至っている。犠牲者の中には2人の幼児と臨月の妊婦も含まれていた。

 虐殺を主導した8人の自警団員が逮捕されたが、短期間での釈放が許された。地元・香川でも「福田村事件」は黙殺され、遺族や被害者への慰謝料などは支払われていない。襲われた行商団が、被差別部落の出身だったことが少なからず関係していたようだ。朝鮮人問題、部落問題という2つのタブーが重なるため、マスメディアはこの事件に触れることを見送ってきた。

 歴史の闇に埋もれてきた「福田村事件」を題材にした本作に主演したのは、若松孝二監督作『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)や『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』(12)でメインキャストを演じた井浦新と、荒井晴彦脚本作『幼な子われらに生まれ』(17)での好演が印象に残る田中麗奈。他にも永山瑛太、東出昌大、コムアイ、水道橋博士、柄本明ら多彩な顔ぶれが出演している。

「荒井晴彦さんを中心にした若松プロ出身者たちの座組みに、僕が入った形で制作された作品です。僕が監督をすることになった時点で、井浦新さんが主演することはほぼ内定していました。他のキャストは、プロデューサーたちと相談の上で決めました。撮影は2022年の8~9月です。

まだコロナ禍で大変な時期でした。京都近くでのロケだったのですが、キャストやスタッフが1人でもコロナを発症したら撮影中止、すなわち制作予算ぎりぎりのこの映画にとっては制作中止、という緊張した現場でした。事前に脚本の読み合わせもできず、ロケ地でのぶっつけ本番での撮影です。でも、俳優たちはみな、作品のテーマを理解し、役づくりした上で参加してくれました。中でも井浦さんは、僕の目が届かないところで、キャストの方たちに声を掛けて、現場を引っ張ってくれていたそうです。一日の撮影が終わっても、一緒に食事をしながら意思の疎通を図ることもままならない現場だったので、井浦さんの存在は頼もしかった」

 音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」の初代ボーカルとして知られるコムアイは、シベリア出兵で夫を亡くした戦争未亡人役。

また、2022年7月の参院選に「れいわ新選組」から出馬し、当選したことが話題となった水道橋博士は、愛国心の強い在郷軍人役を演じている。

「コムアイさんはいくつか音楽ビデオをYouTubeで拝見し、本人に直接会ったところ、すごく魅力的で面白い人だった。『この人なら、大丈夫だな』と直感しました。実際、現場の彼女はとてもよかった。目力がありました。水道橋博士は議員に当選したばかりの頃だったので、難しいかなと思いながらも声を掛けたところ、登院までまだ時間があるということで出演してくれたんです。

本人とは真逆の役ですから、演じるのは大変だったはず。最初はぎこちなさを感じたけれど、日に日に芝居がよくなっていきました。身を削るようにして、難しい役を演じてくれました」

森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
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被差別部落出身の新助(永山瑛太)らは、行商することで生計を立てていた

 香川から来た薬売りの一行を率いる沼部新助を演じるのは、今年公開された『怪物』での熱演も記憶に新しい永山瑛太。被差別部落出身という身分差別に苦しみながらも、家族や仲間を励ます、気骨のある親方役になりきっている。

 故郷では田畑を持つことが許されず、行商の旅を続けることでしか生きていくことができない。そんな流れ者の新助たちだが、お遍路中の母子におにぎりを手渡すシーンが盛り込まれている。お遍路姿の母親は、手が不自由なハンセン病患者だ。新助の人柄を描くのと同時に、長く続いた日本の差別構造も示した場面となっている。

「この映画は、被害者と加害者という対立構造を描くものにはしたくなかった。実際にはもっと複雑です。それは差別の構造も同じ。多重で多面的な世界を示すためにも、井浦新さんと田中麗奈さんが演じる朝鮮帰りの夫婦の存在は重要でした。また、差別する側と差別される側という二項対立の物語にもしたくなかった」

 虐殺が始まる瞬間は、目を離すことができない。行商団は自警団に利根川を渡ることを阻まれ、茶屋と神社の前で拘束状態にされていた。何がきっかけで、誰が最初の一撃を与えたのか? 千葉県在住のノンフィクション作家・辻野弥生氏の労作『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房新社)では、行商団の1人が近くの農家まで煙草の火を借りようと立ち上がったところを、「逃げよる!」「殺っちまえ!」と殺戮が始まったという文献を載せている。辻野氏の著書とは異なる形で、森監督は劇映画として独自の描き方をしている。

「最近の洋画は『Based on a true story』というクレジットをよく見かけますが、この映画は実在の事件にインスパイアされたフィクションドラマです。史実をなぞる再現ドラマではありません。撮る上で気をつけたのは、『朝鮮人に間違えられて殺された、かわいそうな日本人』との解釈を、映画としてどのように拒絶するか。日本人でなければ殺してもいいわけがありません。そこをクリアすることが大前提でした。虐殺が始まるきっかけとなった言葉を誰が口にするのか、最初の一撃を与えるのは誰なのかは重要です。そこはぜひ注目してほしい」

キーワードは、不安と恐怖、そして集団

森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
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井浦新と田中麗奈はソウルから帰国したインテリ夫婦役。村になじめずにいる

 虐殺が起きた背景には、大地震による恐怖と不安があった。それらの要素が日韓合併(1910年)以降の朝鮮人に対する日本人の偏見や後ろめたさといった負の感情と結びつき、朝鮮人狩りが始まることになる。

「単純に震災のショックだけでは、虐殺は起きなかったと思います。キーワードは、不安と恐怖、そして集団です。普段は優しい人たちが集団化したことで、暴走してしまった。僕が『A』や『A2』から描いてきたテーマと共通するものです」

 虐殺シーンは、上映時間2時間17分のうち後半40分間にわたって繰り広げられる。利根川を血に染めた凄惨な場面を真正面から描いているが、決してグロテスクな描写にはなっていない。作り手としての矜持を感じさせる。

「虐殺シーンは、いちばん暑さの厳しい時期にほぼ2日間で撮り切りました。大勢のエキストラにも参加してもらい、大変でした。あまりの暑さでボーとしてしまい、詳細は覚えていません(苦笑)。撮る前には、竹槍が体を貫くなどのスプラッター的描写も考えましたが、予算と時間の都合もあるのでやめました。結果的にはゴテゴテしたものにならず、よかったと思っています」

 集団化した暴徒の恐ろしさは、観る者を充分に震撼させるに違いない。

森達也監督の劇映画デビュー作『福田村事件』 正義に染まった集団が過ちを犯すメカニズム
インターン制度を悪用した企業犯罪を映画化 ペ・ドゥナが慟哭する『あしたの少女』の画像5
「千葉日日新聞」の記者・恩田(木竜麻生)は、虐殺の現場を目撃する

 100年前に起きた「福田村事件」だが、この映画を観ていると昔話とは思えない。日本の「ムラ社会」の原風景を見ているかのようだ。インターネットが発達し、少数意見も発信できる情報化社会になったものの、自分とは異なる存在を過剰なまでにバッシングする風潮は強まる一方だ。また、多くのネットメディアは、PV数を稼ぐことしか考えていない。同調圧力が個人の声を潰していく。「いいね」を集める記事は、本当にいい記事なのだろうか。

「ネットだけでなく、メディアはどこも同じです。新聞は部数を、テレビは視聴率を追い求めています。メディアが抱えている構造的な問題です。そして、その構造的な問題は今も昔もまったく変わっていません。扇情的な、読者を煽るような記事を書けば、多くの人に読まれるわけです。この映画に登場する『千葉日日新聞』の砂田部長(ピエール瀧)は、かつてはリベラルな反権力的な新聞社にいたという設定です。例えば、幸徳秋水が発刊した『平民新聞』。つまり大正デモクラシーをシンボライズするメディアですね。でも政府を批判する記事を書き続けた結果、弾圧されると同時に部数も減り、やがて廃刊した。若い女性記者・恩田(木竜麻生)は『真実を伝える』という理想を持っていますが、理想だけでは仕事や生活は続かないことを、砂田は知っているわけです。今のメディアが抱える問題と、まったく同じです」

 震災後、過激な流言を広めた新聞や雑誌は、政府の取り締まりや検閲を受けるようになったことが1973年に刊行された吉村昭の『関東大震災』(文藝春秋)には記されている。やがて多くの新聞社は政府や軍に迎合するようになり、日本は第二次世界大戦へと向かった。なぜ、人は歴史から学ぼうとしないのか?

「特に日本人は歴史から学ぼうとしません。戦後の報道や教育の在り方に問題があったように、僕は感じています。ドイツ人にとっての戦争のメモリアルデーは、ナチスドイツが全面降伏した5月7日ではなく、アウシュビッツ収容所が解放された1月27日とヒトラー内閣が組閣した1月30日だとドイツ人に聞いたことがあります。日本のメモリアルデーは、広島、長崎に原爆が投下された8月6日、8月9日と終戦記念日の8月15日。つまり、日本では自分たちの被害と終戦がメモリアルだけど、ドイツでは自分たちの加害と戦争の始まりがメモリアルです。日本では戦後の復興が大きなナラティブとして国民に共有されたけれど、ドイツは自分たちがナチスを支持した理由をずっと考え続けている。この違いは大きい。人間は環境によってけだものにもなるし、紳士淑女にもなれる生きものです。でも、負の歴史を直視しないからこそ、けだものになった事実を認めようとしない日本人はとても多く、朝鮮人虐殺や南京虐殺はなかったことにしてしまうんです」

 森達也監督の前作『i-新聞記者ドキュメント-』(19)の最後を締めた、森監督自身によるナレーションの台詞を最後に紹介したい。

「一色に染まった正義は暴走して、大きな過ちを犯す。それは歴史が証明している。一人称単数の主語を持ち、持ち続ければ、それだけで世界は変わって見えるはずだ」(森達也)

 映画を観るということは、自分とは異なる人間の人生を体験することではないだろうか。映画を観ることで、あなたの目の前の景色が以前とは変わり、新しい世界が広がっていくことを、筆者は願ってやみません。15年間、ご愛読ありがとうございました。

『福田村事件』
監督/森達也 脚本/佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
出演/井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明
配給/太秦 PG12 9月1日(金)よりテアトル新宿、渋谷ユーロスペースほか全国公開
©「福田村事件」プロジェクト2023
fukudamura1923.jp

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