西野よ時代を追い越せ!そして嫌われろ! | TVer

 

 移りゆく時代の中で、変わらないものがあるとすれば。

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「みなさん、お待たせしました」

 おぎはやぎ・矢作兼の、そのひと言から始まった14日深夜の『ゴッドタン』(テレビ東京系)。

4年ぶりにキングコング西野亮廣が登場し、劇団ひとりとの例の対決に挑んだ。

 行われた競技は、西野とひとりが互いに相手の尻をティッシュで拭き合い、“付いてる”か“付いてない”かをベットするという「ケツベガス」、裸に前掛け一丁の状態で、自分のチ○コを隠しながら相手のチ○コを撮影し合う「パパラッチ○コ」。しかも、「ケツベガス」に関しては当初のルールで決着がつかず、互いの肛門に小指を挿入し合って、その匂いを嗅ぎ合うところまでエスカレートした。ひとりの肛門のほうが(つまりは西野の指のほうが)臭かったようだ。

 番組プロデューサーの佐久間宣行は、自らのラジオ『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)で、たびたび語ってきた。

「コロナが明けたら、絶対に西野vsひとりをやりたい」

 2020年3月を境に、テレビバラエティの風景は一変した。

新型コロナウイルスが蔓延し、あらゆる番組が自粛の影響を受けた。4K、8Kと高画質化していく現場の収録機材を嘲笑うかのように、ノイズだらけのリモート画面がお茶の間に並んだ。

 スタジオ収録が再開されるようになっても、カメラはソーシャルディスタンスを保った出演者たちを不自然な画角で押さえるしかなかった。やがて距離が詰まると、透明なアクリル板が会話を遮った。

 出演者が視聴者に直接語り掛ける報道や一部の教養番組は、この時点でコロナの影響から解放された。だが、出演者同士の関係性、会話のテンポが重要になるバラエティにおいては、まだ障害が残り続けていた。

 それでも、視聴者は慣れるし、現場のプロたちは対処する。いつの間にかアクリル板の仕切りが当たり前になり、いわゆる“コロナ明け”を迎えるころには、アクリルなしで隣り合って座る出演者同士の距離に違和感を感じるほどだった。

 制作側だけではない。出演者たちにも、この間にさまざまな変化が訪れていた。

 西野は20年末に自ら製作総指揮・原作・脚本を担当した映画『えんとつ町のプペル』を公開し、200万人近くを動員。興行収入27億円のスマッシュヒットを飛ばした。

翌年には吉本興業を退社。その後の多方面にわたる活動は、お笑いを離れ、誰も具現化したことのない、想像すらしていない領域へ飛躍していこうとしているように見えた。

 一方の劇団ひとりも、21年には東京五輪開会式に出演したほか、Netflix映画『浅草キッド』で脚本・監督を担当し、映画人としての評価を確かなものにした。ラジオ『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で爆笑問題・太田光に「お笑いと映画、どっちかしかできないなら、どっちを取るんだよ?」と詰められ、しばし迷った後に「映画かな……」と答えたこともあった。

 客観的に見て、もう2人ともテレビ東京の深夜で互いの尻に指を入れ合って「くっせ~!」などと転げ回る格の芸能人ではなくなっていた。 だが実際に対決が始まると、2人の実績そのものが大きなフリになった。

文化人枠に片足を突っ込んだ40代の中年2人が、嬉々として「うんこ」と「チ○コ」に熱狂していた。

 コロナの影響だけではなく、テレビ局に求められるコンプライアンス意識も、ここ数年で大きく変化している。この日、「うんこ」と「チ○コ」に対する松丸友紀アナウンサーのリアクションを、カメラは一度も抜かなかった。セクシャルに最大限配慮しつつ、肛門に指を入れ合い、股間を撮影し合うという社会的ルールから逸脱しきった企画を成立させてみせた。

 しかも、4年前とまったく同じスタンスとクオリティでだ。待っていた、これを待っていたんだ。

 この夜は、『ゴッドタン』の真裏でTBS・藤井健太郎の『オールスター後夜祭23秋』、深夜3時からはテレビ朝日で、加地倫三が取り仕切る『霜降りバラエティX』が放送された。『後夜祭』は大量の芸人を呼んでお祭り騒ぎを演出し、『霜バラ』の「せいやvs熊元プロレス」には、未来の「西野vsひとり」もしくは「山崎vsモリマン」を造ろうという意思を感じることができた。

『ゴッドタン』が「自粛明け」を宣言したこの週末の深夜に、くしくも現在のバラエティを象徴する3人の制作者が揃い踏みし、それぞれの笑いを届けた。

 移りゆく時代の中で、変わらないものがあるとすれば。

 人を楽しませたい、笑わせたい。テレビの奥から聞こえてくるその声だけは、どうか。

 そう信じたくなる夜だった。

(文=新越谷ノリヲ)