間宮祥太朗

 21日放送の『ACMA:GAME アクマゲーム』(日本テレビ系)は第3話。今回も「明るく楽しいキッズ向けデスゲーム」と呼びたくなる路線で引き続き突っ走っています。

 なんだか闇雲に突っ走ってるので、多くの視聴者が振り落とされそうですが、振り返りましょう。

■「探す旅」がない

 物語の目的としては99本の「悪魔の鍵」を集めることが設定されていますが、『アクマゲーム』では鍵を持った人物が次々に主人公・照朝(間宮祥太朗)の前に現れます。ドラマはこの人物たちを「鍵に選ばれた者たち」と説明していますが、正直、なんだかよくわかりません。よくわかりませんが、とにかく都合よく向こうから現れてくれる。

 だから『アクマゲーム』には、「鍵の持ち主を探す旅」が存在しません。集める系のお話でいえば、例えば『ドラゴンボール』(集英社)ですとか、手塚治虫大先生の『どろろ』(小学館/秋田書店)ですとか、『アクマゲーム』の原作と同じ少年コミックの世界にも名作がゴロゴロしていますが、いずれも「探す旅」の中でエピソードを作っていくのがセオリーになっているわけですが、このドラマではそれができない。

 今回の第3話では、強敵である天才ギャンブラー・上杉潜夜(竜星涼)と仲間になるという結論が用意されていましたが、どうにも語り口が窮屈になってしまっているのは、そのへんが原因だと思われます。

「探す旅」ができない分、バトルシーンでいろいろ処理しなければならなくなってしまう。何しろ、相手が来ちゃうのですぐバトルするしかない。

■肝心のバトルが、今回は特に

 今回は大半がバトルシーンに費やされました。行われた競技は「五印一当-Five One-」というもので、ハート、スペード、ダイヤ、クラブ、悪魔という5種類のマークが描かれたカードが3枚ずつ、計15枚使用されます。無作為に1枚を引き抜き、参加者の2人に3枚ずつのカードを配る。それをオープンしてさらにカードを引いたりしながら、最初に引き抜いた1枚のカードのマークを当てるというものです。

 第1話のクイズ、第2話の影踏みと、大仰な演出のわりにゲームが単純でわかりやすいことがこの作品の美徳のひとつだと思っていたのですが、今回はちょっと頭を使いそう。でも、そこは劇場版『カイジ』シリーズを手掛けた佐藤東弥演出ですから、ちょっと期待しちゃいます。ニコニコデスゲームもいいけど、今回はちょっとヒリヒリもあるのかなと。

 ヒリヒリ、なかったですねえ。

 まず、利用されるカードがCGなんですね。カードを使ったゲームや手品は、カードというものが物理的に存在し、それが物理的に入れ替えられないことが前提になっています。

CGの時点で、「どうにでもなるじゃん」という印象から逃れることはできない。

 さらに今回はルールも曖昧でした。「手札のカードをオープンして相手に見せることができる」という条件によって駆け引きが生まれるはずが、カードを裏面同士で接着して相手にマークが見えない形でオープンしてもOKだったり、カードのマークをマジックペンで塗りつぶしてもOKだったり、表面に落書きしてもOKだったりと、もうむちゃくちゃ。ゲーム中にどんどん「脱法的にできること」が増えていくので、見ている側がバトルの進行に追いつくことができないのです。

 そもそも、CGで表現されているカードにマジックで落書きできるというところで「消えたり現れたりしてるそのカードは、紙なの? なんなの?」と引っかかってしまうし。

 結果、なんだかんだで照朝は負けて、潜夜と友達になって共闘していくようですが、今回のゲームでは「死」が賭けられることもありませんでした。

つまりは、デスゲームですらない。ただのルールゆるゆるカードゲーム。

 世界配信に向けて、R18などのレーティングがかからない範囲でデスゲームをやろうという心意気は興味深いですが、ぼちぼち他人に「アクマゲームおもしろいよね!」と言うのはちょっと恥ずかしいなと、そんな感じのドラマになってきたと感じます。この時代において、話題に上げるのがはばかられるという状況は、なかなか苦しいですねこれ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)