「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」をご存じだろうか。

 一般的な職場でのハラスメントには、大声で怒鳴ったり、長時間執拗に叱責したりするパワーハラスメントやモラルハラスメント、性的な嫌がらせをするセクシャルハラスメント、妊娠・出産を理由とする解雇・降格などのマタニティハラスメントがあるが、その舞台が「介護現場」となると、上司や同僚以外に、要介護の高齢者やその家族との関係も絡んでくる。

さらに認知症などの病気も関係するので、ハラスメントの線引きや対策はより難しくなることは想像に難くない。

 冒頭のマニュアルは、平成30年度厚生労働省老人保健健康増等進事業において進められていたもので、有識者による検討委員会での議論を踏まえ、2019年3月に完成した。

 これは介護事業者に向けたもので、介護現場におけるハラスメントの実態や、事業者自身として取り組むべきこと、職員に対して取り組むべきこと、関係者との連携に向けて取り組むべきことが実践事例とともにまとめられており、4月には厚生労働省から介護事業者や市町村に対して周知するよう、事務連絡が発せられている。
【参考リンク】介護現場におけるハラスメント対策マニュアル

 繰り返しになるが、一般企業のハラスメント対策とは違い、介護現場でのハラスメントに関与するのは、認知症などを含む高齢者とその家族だ。しかも介護をするのは、施設内の個室や利用者の自宅など密室である場合が多く、ハラスメントが起きやすい状況もある。今回、ハラスメントの実態と対策の有効性について、実際に介護に携わっている介護職と介護事業者双方に話を聞いた。
前編では、ケアマネジャーのNさん、有料老人ホームに勤務するOさん、リハビリテーション病院の看護師Yさんという“現場の介護職”の声を紹介しよう。

50代女性。介護療養型医療施設、特別養護老人ホーム(特養)を経て、現在はケアマネジャー

 介護療養型医療施設のケアワーカー時代、私も若く、また経験も浅かったので、ひどいセクハラに遭いました。患者さんの陰部洗浄をしていると「もっと優しくして」「ご主人とはどれくらいしてるの」といった言葉によるセクハラとか、入浴介助をしていると抱きつかれたり、「キスさせて」と迫られたりすることも、たびたびありましたね。ついには追いかけられ、じっと見続けられるといったようなところまでエスカレート。気持ち悪くて吐きそうになるし、恐怖もありました。
でも相手は患者さん。私が未熟だからだと思って、ずっと耐えていたのですが、とうとう耐え切れなくなり、もう病院を辞めようと決心してその人を怒鳴りました。すると「そんなこと言わないで」と、セクハラがピタリとやんだんです。

 病院には、「適度なセクハラは患者さんの脳の活性化に良いので、ある程度は認めよう」という雰囲気があり、同時にセクハラを起こすような気持ちにさせないよう、上手にかわすのも仕事のうち、という考え方がありました。認知症の方が、朝からあそこをしごいていたので、上司に相談したら、「お菓子を持たせるなどして、気をよそにそらせるように」などとケアの一環として指導されたこともあります。でも私にはとても無理でした。
実際毅然としたケアワーカーには、そういうことをしないんです。おとなしくて、仕事があまりできないようなケアワーカーを狙ってやる。わざといやらしい雑誌を置いて、反応を見て楽しむような。恥ずかしがってモジモジすると負け。ますますひどくなります。

 逆に特養では、そんな“元気”のある人はいませんでした。
今は要介護3以上の人しか入所できませんし。だから特に対策もなかったですね。ヘルパー研修はありましたが、「高齢者にも尊厳がある。性欲を感じる権利もある。いけないことではない」と教わりました。

 現在はケアマネジャー(ケアマネ)として、自治体のヘルパー講習の講師も務めています。
講習では、「必ず入口のドアを開けておきましょう」とか、朝から部屋でわざとAVを流している人には「消しますよ」と言って消すように指導します。恥ずかしそうに「ヤダー」とか言うのは、利用者を刺激させるのでダメです。今は私が新人だった頃と違って、触られそうになると叩き返したという若いヘルパーもいるようで、強くなったなと思います。



50代女性。訪問介護ヘルパーを経て、有料老人ホーム勤務

 訪問介護の利用者さんはほとんど女性だったので、セクハラは記憶にありません。パワハラはありました。
でも「あんたなんか頼んだ覚えはない」などと言われるのは、認知症の症状の一つでもあるんです。新しく訪問介護に入った私の仕事ぶりをご家族が見張っていたこともあって、利用者さんは「こっちは金を払っているんだ」という意識が強いですね。

 そういう意識は、有料老人ホームでも強いです。介護職がちゃんと仕事をしているか、虐待をしていないか、チェックするために、監視カメラを部屋につけているご家族も少なくありません。いい気持ちではありませんが、同僚も「やましいことがないんだから、堂々として、見てもらえばいい」と言っています。

 でも、ハラスメントに関しては、特に有料老人ホームだと運営側が満床にしておきたいので、お客さまに「出て行って」とは言えません。お客さまへの接遇の方が重視されています。だから、介護職が自分で身を守るしかありません。研修でパワハラ、セクハラについて講義を受けることはありますが、対策をするとか、お客さまに向けて注意書きを貼ったり配ったりするということもないですね。介護職同士で話し合って、こうしようと対策を共有するくらいです。新人がやられることが多いと、男性が入るようにするとか。会社としての対策はありません。お客さまに自室でAVを流されたり、暴言、暴力を振るわれることも多いですが、これもかわすしかありません。お客さまを叱ることもないですし、何かを言ったとしても「こうしてください」程度で、きつい言い方はしません。それにもし叩いたりすると、高齢者はすぐにあざができるので、わかってしまうんです。あまりにもコールが頻繁だと、コールを外すことがあるくらいですね。



50代女性。療養型医療施設、訪問看護師、有料老人ホームなどを経て、現在はリハビリテーション病院勤務

 訪問看護では、言葉のセクハラはありましたが、こちらは看護師だし、向こうには家族もいるのであまりひどいものはありませんでした。精神疾患や反社会的勢力などの本当に危なそうな人のところには、一人ではいかないとか、年配の看護師が行くとかの対応はしていましたが、事業所としては2人で行くというのはコスト的に難しいでしょうね。

 現在勤務している回復期のリハビリ病院は、入院期間が長く、認知症の患者さんも多いので、環境としては高齢者施設と大差ありませんが、病院としての対策は以前からしっかりしています。そもそも高齢者はセクハラなんて言葉のない時代に生きてきた人だから、お尻を触るなんて当たり前。しかも病気で前頭葉の働きが低下している人なんて、昔は厳格だったという男性が「お姉ちゃん、●●さんを指名するにはどうしたらいいの?」とか、部下が見舞いに来ているのに「ズボンに手を入れて」と言ってきたり、枚挙にいとまがないほど。こっちは下の世話をしているのに、何を今さらみたいな感じですよ(笑)。

 病気のせいで、これまで理性で抑えていたものがなくなってセクハラをする人をやめさせるのは難しいですが、頭ははっきりしているのに故意にやる人には「家族に伝えます」と言います。さらにひどくなると、本人と家族に主治医や師長から、「今は時代が違います。職員も嫌がっているので、あまりひどいとここにはいられません」と厳重に注意します。セクハラをするのは痴漢と一緒。ターゲットとなるのは若い子です。相手を見極めてやっている。だから、担当を替えたり、役職者が注意すると、一定の効果は出ます。医師などは注意したあと、ちゃんとフォローもしてくれています。上に立つ人の態度が重要だと思いますね。ちなみに、男性介護職も看護師も、股間を触られたり、セクハラ発言をされたりというのはあるものの、女性従事者ほど同情されない傾向はありますね。

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 お話を聞かせてもらった全員が「ハラスメントの経験がある」と口を揃えた。介護現場のハラスメントはそれほど日常茶飯事ということだろう。後編では、事業所側がこの問題をどのように捉えているかについて注目したい。

(後編につづく)