2025年5月21日、北朝鮮東北部・清津(チョンジン)造船所で起きた新造駆逐艦「姜健(カンゴン)」転覆事故は、同国の軍事戦略に大きな挫折感をもたらしたものと見られる。5000トン級の新型艦が進水式で横倒しになり、深刻な損傷を被ったこの事件は、もともと弱体だった北朝鮮海軍の象徴的失敗とされ、その責任を問われたのが当時の海軍司令官、金明食(キム・ミョンシク)だった。
金正恩総書記はこの事故を「犯罪的な行為」と非難し、海軍および造船所の幹部に対する徹底した責任追及を命令。金明食は海軍司令官の座を解任され、後任には朴光燮(パク・クァンソプ)が就任した。国営メディアは直後から金明食の写真や映像を削除するなど、事実上の「粛清」とも取れる措置が取られた。
韓国のTV朝鮮によれば、海軍はこれより1カ月前にも問題が発覚し、10人余りが処刑されていたという。これが事実であれば、度重なる失態に、金明食への責任追及は強まらざるを得なかったのだろう。
しかし、それで彼が「終焉」を迎えたわけではなかった。2025年6月29日、国営テレビで放映されたドキュメンタリーに、彼が金正恩と共に軍視察に同行する様子が映し出されたことで、再登場の兆しが現れたのだ。「完全な排除ではなかった」との見方も浮上し、北朝鮮特有の「処罰と復権」のサイクルが垣間見える出来事と言えるかもしれない。
金明食の経歴は、まさに波乱に満ちている。2009年に東海艦隊司令官に任命され、2013年から2015年には朝鮮人民軍海軍全体の司令官を務めた。2012年には人民軍中将に昇進するも、翌年に少将へ降格。さらにその1カ月後には再び中将に戻るという異例の昇降格を経験している。
2016年には朝鮮人民軍総参謀部副部長となり、2017年には上将(中将と大将の中間)へ昇進。党中央委員や最高人民会議代議員として政治的にも重用された。だが、軍艦転覆という国家的失態の責任者として、彼は一転して「消された存在」となった。
韓国の専門家は、金明食の復活劇を「北朝鮮内部での人材温存と政治的メッセージの両立」と分析する。すなわち、失敗には厳罰を下しつつも、実力のある幹部を完全には排除しないという戦略だ。
金明食という人物は、北朝鮮の軍政構造における「栄光と粛清、そして再浮上」の典型を体現している。今後、彼が再び前線に立つのか、あるいは日陰の存在として留まるのかは、北朝鮮政権の人事方針を読み解く鍵の一つとなるだろう。