このような奇矯な奨学金を考えたピーター・ティールとはどのような人物なのか。
ティールは1967年にドイツのフランクフルトに生まれ、1歳のときに家族でアメリカに移住した。父親は鉱山会社の技師で、10歳まで家族とともにアフリカ南部を点々とし小学校を7回変わった。そのひとつがきわめて厳格な学校で、体罰による理不尽なしつけを受けたことが、後年、リバタリアニズム(自由原理主義)に傾倒するきっかけとなったという。
カリフォルニアで過ごした中高時代は数学に優れ、州の数学コンテストで優勝したほか、13歳未満の全米チェス選手権で7位にランクした。またSF小説にはまり、なかでもトールキンの『指輪物語』は10回以上読んだという。
政治的にも早熟で、高校時代にアイン・ランドの思想と出会い、ロナルド・レーガン大統領の反共主義を支持した。スタンフォード大学哲学科に進学したあとは、当時、全米のアカデミズムを席巻していたマルチカルチュラリズム(文化相対主義)に反発し、保守派文化人の大物アーヴィング・クリストルの支援を受けて学生新聞『スタンフォード・レビュー』を創刊してもいる。
大学卒業後はスタンフォード・ロースクールに入り、最高裁判所の法務事務官を目指したが採用されず、投資銀行のトレーダーや政治家のスピーチライターなどをしたあと、90年代末のインターネットバブルを好機と見て友人とベンチャービジネスを立ち上げた。それがのちにペイパルとなるコンフィニティで、この会社がイーロン・マスクのエックス・ドット・コムと合併したことで、「ペイパルマフィア」と呼ばれる野心的な起業家たちのネットワークが誕生する。