一昔前まで、ネット上には自分の顔を出さないのが当たり前だった。しかしSNS全盛の今、「友達限定」でプライベートな写真をアップする人は増えている。

中には友達限定でなくても、顔写真を載せる人もいる。「芸能人でもないのに?」「個人情報の流出につながるのでは?」と不思議に感じる人もいるだろう。顔をネット上で見せる人、見せない人の違いは何なのだろうか。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)

投稿される本人の顔画像
彼らは何を思うのか

 自分の顔の画像をネット上にアップロードするには勇気がいる。会社のホームページで社員紹介として上げられることになれば「仕事だから仕方がない」と納得できるかもしれない。

 しかし「あなたの顔だけが写っている画像をアップロードしてください」と言われれば少なからず抵抗を覚える人が多いはずである。不特定多数が閲覧できるウェブ上に顔写真をアップすることは、個人情報の特定や誹謗中傷を受けるリスクにつながる。加えて「自分の顔画像をアップするなんて、ナルシストと思われてしまうのでは」といった恥や恐れによる抵抗は大きい。

 もちろんSNSごとに特色はあって、Facebookの全年齢層やTwitterの若年層などにおいてはプロフィールに本名、本人写真を使うのが一つの主流となっているので、これらはやや事情が違ってくるが、それでも自分だけ写したセルフィーをアップする人は少数派であるから、「SNSに顔写真を上げること」は多くの人にとってハードルが高い行為であることには違いない。

 そうした中で、自分の顔画像やセルフィーをアップし続ける人もまた確実に存在する。「趣味でコスプレイヤーをやっていて人に見られるのが前提」というわけでもない、第三者から見て特に必要を感じない場面で突如として上げられる本人画像。これらをアップする人たちは何を思い、そうした行為に至るのだろうか。

数人を対象に直接インタビューをし、その心理に迫ってみたい。

SNSによって事情は変わる
集合写真は抵抗が少ないけど快感はある?

 まず、完全な自撮り画像を上げている人たちとの差異を測定するために、Facebookに本人を含んだ複数人で写っている写真(※以下『集合写真』)をアップしている人の声を紹介したい。

「みんな(顔がわかる状態での画像のアップを)やってるからなあ……。隠す方が野暮(やぼ)ってものでしょう。隠すと逆にいやらしく感じる。笑顔がしっかり見えた方が楽しい雰囲気も伝わるしね」(Aさん/42歳男性)

「Facebookは自分自慢大会の要素が強いので、集合写真は『たくさんの人に囲まれた中でバッチリ見目麗(みめうるわ)しい私』をアピールする格好のツールですよ。私はあまり頻繁にはログインしませんが、投稿する時はそういった写真を厳選します(笑)。

 自分自慢の要素が強いとはいえつながっている人はみんな知人ですから、その人たちの自慢や近影を眺めるのも楽しいわけで……。集合写真は他の人にもどんどんアップしてほしいと思います」(Bさん/32歳女性)

 集合写真が頻繁に上げられるFacebook界隈においては、「集合写真を上げること」に対してユーザーの心理的抵抗があまり見られないようである。この2人には、集合写真に紛れて自分をアップしていることへの快感はあるのだろうか?

「考えたこともないからわからない。でも自分を含んだ写真をアップしているのだから、みんな多かれ少なかれそうした気持ちはあるのでは? 『俺はこんなだよー、見て見て!』っていうのをとても控えめにアピールできる、それが集合写真」(Aさん)

「それはありますね。そもそもその快感がなければ集合写真を上げようとは思わないかも」(Bさん)

 では「ソロの自撮りを上げることについてどう思うか? 自分で上げようとは思うか?」についてはどうだろうか。

「それはまったく別の次元の話だな……。やりたい人は好きにやればいいんじゃないかと思うけど、自分はできない。やりたいとも思わないし」(Aさん)

「(そうした写真をアップされているのを見ると)勇気があると思います。同時に、そうせざるを得なかったその人の心理的背景をなんとなく想像することも。かわいい人を見ると素直に『かわいい!』と思いますが、それでも私にはできない・したくない気持ちがあるので、どこか(アップする人を)下に見ている気持ちはあるかもしれません」(Bさん)

 Bさんの答えはなかなか示唆に富むもので、彼女の複雑な葛藤を物語っている。集合写真をアップする快感は自覚しているが、ソロの自撮りをアップする勇気はなく、自分にできないことをしている人を下に見ることもある……。

 これには、容姿や危機管理意識において純粋に自分が勝っていると思う部分もあろうし、羨望や嫉妬がない交ぜになったことで相手を卑下し自己を保とうとする心の軌跡の可能性もうかがわせた。とはいえあくまで可能性である。一概に「これ!」と断定できるほどBさんの、ひいては人の心のあやは単純ではなさそうである。

コンプレックスから始まった自撮り上げ
満たされていく承認欲求

 SNSの流行に伴って“承認欲求”という言葉も世間に浸透していった。「他者から認められたい気持ち」を意味するこの心理学用語は、素人なりにSNSの現状を分析する上で非常に使い勝手がいい。何しろSNSは(実際「是か非か」は別にして)承認欲求から出発したと思われる投稿で溢れかえっているのである。

「まぢぶさぃく。。。。はぁ。。。。。」という文言とともにメイクばっちりのキメ顔写真がアップされる。そこに「そんなことない、かわいいよ!」というコメントがつく。

 SNSではよく見られる光景であり、今日も世の中は健全に回っていると感じさせられるものである。アップする本人は「不細工」を否定してほしいわけで、無事否定してもらってひと安心、承認欲求を満たすのである。

 Cさん(21歳女性)は17~19歳の期間、頻繁に自撮り画像を上げていた。そこに至るまでの経緯について彼女は次のように語る。

「自分の容姿に強いコンプレックスがありました。かわいくないと自分では思っているけど諦めきれず、メイクやファッションではどうにもならない壁があるので一時は本気で整形手術を考えました。

 そういった悩みをTwitterに投稿していたら、ある男性ユーザーから『一度顔隠して全身像アップしてみて』と強くお願いされ、渋々言う通りにすると『めちゃかわいいじゃん!』と。そこから徐々に『目元の画像見せて』『口元は?』と顔のパーツを小出しでお願いされ、どれも褒めてもらって、顔の全体像をアップするハードルを少しずつ乗り越えていきました」(Cさん)

 Cさんは当時を振り返って「あの男性ユーザーは出会い目的だったのかも」と推測している。事実そうだったとしても、CさんにSNSで誰かと出会う勇気はなかった。「彼氏が欲しい」という気持ちはあったが、できればリアルで知り合った人がいいと思っていた。懇意にしてくれるその男性ユーザーがどれだけいい人そうに見えても、Cさんにとってネットはやはり怖いものだった。その男性ユーザーが送ってくれた自撮り画像を見て、まったく自分の好みの顔ではなかったことも大きかった。

 というより、あれこれ理由を挙げてはみたものの、実際はそれがCさんがリアルでの対面を決心しなかった理由のほぼ全てかもしれない。「あの人がイケメンだったらわかりませんでしたね(笑)」というCさんの言葉は残酷である。

 ネット上の出会いは置いておくとして、自分の容姿を第三者から褒めてもらうことでひとまず満ち足りたCさんは、以降断続的に自撮り画像をアップしていくこととなる。

 新しい服を買った際、メイクを少し変えた際、髪を切った際など、最初のうちは何かきっかけがあるたびにアップされていた自撮りであったが、やがて日常のなんでもないタイミングでも躊躇なく投稿されるようになった。「おはよう」といって自撮り、「今日はいい天気」といって自撮り……である。

 それらの投稿には逐一反応があった。数人の男性ユーザーによるCさんの“囲い”が形成され、時折現れて「勘違いブス」といったコメントをつけていくアンチユーザーと小競り合いになることもあった。

「他の人からきついことを言われるたびに暗い気分になりましたが、囲いの人たちの言葉を聞いていれば自信は回復できました」(Cさん)

 しかし楽しいことばかりではない。囲いの男性のうちの一人がCさんにのめり込んだ結果ネットストーカーじみてきて、それを知った他の男性ユーザーがCさんを庇う、さらにそれを知ったネットストーカーが逆上する……といった流れで今度は囲い同士の内紛が勃発した。

 そうした人間関係をやや煩わしく感じるようになってきたCさんだったが、彼らは大切な知り合いであると同時に自分を正当化してくれる心のよりどころでもある。絶縁するまでには思いつめなかった。

 その頃、時を同じくしてCさんに彼氏ができた。バイト先で知り合った男性である。Cさんがバイトをし、そして彼氏を作るまで成長できたのは、自撮り投稿で培ってきた自信があるからに他ならなかった。

 彼氏とのデート中に、彼氏が写らないように配慮しながら撮ったスイーツの画像などをアップすることが多くなったCさんだったが、どうやらそうした画像からでも気配は伝わるようで、囲いのユーザーたちが「彼氏がいるのでは?」とささやき始めた。

>>(下)に続く

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