朝日新聞のマニラ支局長などを経て2009年に単身カンボジアに移住、現地のフリーペーパー編集長を務めた木村文記者が、カンボジア人と「マンガ」についてレポートします。
マンガの”読み方”をまず伝えるマンガは万国共通の文化――と、言いたいところだが、いかに日本のマンガが優れていようとも、異文化にそのまま持ち込んで通用するものではない。
カンボジアで、マンガ普及に取り組んでいるのが、当地で日本語フリーペーパー「クロマー」を発行しているエーペックスの出版部門責任者、西村清志郎さん(38)だ。
同社では、2009年からこれまで、「ドラえもん」10巻、「クレヨンしんちゃん」5巻などを発行。今年中に、少女漫画「花より男子」も発行する予定だ。
それぞれ、日本の大手出版社である小学館、双葉社、集英社からライセンスを購入した正規版。1冊1ドルで販売しているが、一か月に売れるのは100冊ほど。「マンガがカンボジアに浸透するのは、まだまだ時間がかかる。気長に取り組みます」と、西村さんは言う。
そもそもカンボジアの人たちは、マンガの読み方をよく知らない。カンボジアのクメール文字は横書きで「右開き」。日本のマンガは「左開き」で、それに合わせてコマ割がしてある。まず手にしたマンガ本を左から開くことを知ってもらわねばならない。
そして、細かく分かれたコマをどんな順番で読むのか。日本人ならごく自然に右上から左下へと視線が流れるが、カンボジアの人たちはどこから読んだらいいのか、分からない。そこで西村さんは、せりふが書いてある吹き出しごとに番号をふったページを設け、読む順番を誘導。本の後ろには「マンガの読み方」を丁寧に注意書きしている。
何やら読むのにひと苦労。絵のセンスを味わい、ユーモアに笑ったり、人情に泣いたりする段階に到達するには、確かにまだ遠い気がする。
このカンボジア版「ドラえもん」を、識字教育に利用しようと、カンボジアの学校で試した日本人グループの話を聞いたことがある。「読み方を習得した後は、文字をたどるのに精いっぱい。眉間にしわを寄せて懸命に読み込んじゃっているんです……」。マンガで楽しみながら字を学ぼう、という目論見は、残念ながらカンボジアでは簡単に通用しなかったようだ。
バイヨン寺院に「カンボジアのマンガ」が!カンボジア人は、マンガの制作や読解に欠かせない「抽象化」が苦手なのかな、と思ったことがある。
以前、日本語のフリーペーパーの編集をしていたころ、「カンボジアのおばけ」特集をした。
そのとき、カンボジア側のお化けのイラストをカンボジア人の画学生にお願いした。同じ雑誌で仏教説話の挿絵をお願いしている学生さんで、躍動感あふれる素晴らしいイラストを毎回描いてくれているので安心していた。彼に「鬼太郎」を見せて、「カンボジアのお化けも、こんな風に特徴を思い切りデフォルメして描いて」とお願いした。
ところが、出来上がった作品を見て、頭を抱えた。座敷童も、地縛霊も、子供を抱くお母さんお化けも、みんな写実的で「マンガ」には程遠い。おどろおどろしいばかりで、魅力がない。「違うんだけどなー」と思いながらも、「マンガっぽく」を、彼にどう説明していいかわからず、そのまま掲載した。この特集、読み物としては好評だったが、広告主には「あんな気持ち悪い絵の下に広告を載せるなんて」と、怒られてしまった。
日本のベンチャー企業がカンボジアで開催したデザインコンテストでも、同様に思うことがあった。このコンテストはカンボジアの女性を対象にし、デザイン産業の育成と同時に、女性の職業的、経済的自立を目指すものだ。
コンテストでは、花などのモチーフを使ったパターンデザイン部門に加え、キャラクターデザイン部門があった。パターンデザインには多くの優秀作が集まり主催者を驚かせたが、キャラクターデザインには目を見張るような作品がなかった。「キャラクターという概念がよく理解されていない。これからですね」と、主催者は言っていた。
でもある日、カンボジア西部シェムリアップにある世界遺産「アンコール遺跡群」のバイヨン寺院を訪れたとき、はっとした。
バイヨン寺院には、壮大な浮彫の壁画がある。細長い平面に連続する場面が並び、時の流れと人の動きを巧みに表現する手法は日本の絵巻物を思わせる。
壁画に描かかれた人物は、抽象化・パターン化され、髪型や服装からどんな立場の人なのかが一目でわかるようになっている。そして勇壮な戦の場面から、楽団の演奏や踊り、日常生活の娯楽や台所の煮炊きに至るまで、当時の人々の姿が生き生きと描かれている。市場で男性が女性をナンパする姿まである。それは日本を代表するマンガの古典「鳥獣戯画」にも負けない楽しさだった。
「ドラえもん」を発行する西村さんは、以前働いていた孤児院で、子供たちがディズニーのキャラクターを描いて遊んでいるのを見た。
西村さんたちが発信する「ニッポンのマンガ」と、カンボジア人のDNAに潜むアンコールの芸術が混ざり合い、カンボジアのMANGAとなって花開く日を楽しみにしたい。
(カンボジア語版「ドラえもん」などの発行・販売情報はこちら http://krorma.com/)
(文・撮影/木村文)