もっとも、個人旅行をする観光客よりもタクシー運転手の数が圧倒的に多いので、ほとんどが仕事にあぶれてしまう。そうするとまた所在なげに次の便を待つことになって、こうして一日が終わっていく。
空港で客待ちをする運転手たちの行動を観察していると、そこには部外者にはわからない微妙な棲み分けがあるらしい。
客をつかまえる確率は、もちろん到着ゲートに近いほど高くなる。しかしなかには、到着ゲートに近寄らず、かなり離れたところで必死に声をかけている運転手もいる。彼らは新入りで到着ゲートに近い一等地で客引きをする権利が認められていないのだろうが、これでは宝くじを当てるのと同じで、いくらなんでも効率が悪すぎる。
タクシー乗り場を整備して順番に客待ちをするか、せめて乗車窓口を統一して配車係が案内すればいいのに、なぜこんなに非効率なやり方しかできないのだろうか――。
観光地を結ぶ非効率な道路バリというとクタやレギャン、ヌサドゥアといったビーチリゾートが有名だが、リピーターのなかには芸能と芸術の村ウブドに通い詰めるひとも多い。11~14世紀半ばにバリ島初期の王朝があった地域で、稲穂の揺れる田園風景のなかに古代の遺跡やヒンドゥー寺院が点在し、夜になれば村のあちらこちらで伝統舞踏が披露される。
ウブドは世界的な観光地だが、たどり着くにはデンパサール空港からタクシーに乗って、狭い二車線道路を北上するしかない。すいていれば1時間半ほどの距離だが、雨や事故で渋滞すれば抜け道がほとんどないのでたちまち悲惨なことになる。
空港を中心に北のウブドと南のビーチリゾートを結ぶ高速道路や鉄道をつくればアクセスは格段に向上し、もっとたくさんの観光客がやってくるようになるだろう。
ウブド周辺の美しい水田地帯には高級リゾートのアマンダリや王家のリゾート、ロイヤル・ピタ・マハなどがありハネムーナーに人気だが、ほとんどの観光施設はウブド王宮の周辺に集まっている。
ウブドにはタクシーはないから、周辺の宿泊施設に泊まると、ホテルの車でウブド王宮あたりまで送ってもらい、食事や買物、観光が終わるとホテルに電話して迎えに来てもらうことになる。これではあまりにも面倒だと思うだろうが、そこはよくしたもので、路上駐車している車の多くが白タクで、観光客が通るたびに声をかけてくる。行き先を告げて料金交渉するのだが、概して明朗会計で、片道500円も出せばたいていのところは行ける。
とはいえ、ウブドの街を訪れたひとなら、たちまちもっと効率的な方法があることに気づくだろう。ウブド王宮を長方形の一角として、南に向かうジャラン・モンキー・フォレストとジャラン・ハヌマンの2本の大通りがある。1時間も歩けば一周できるこの長方形の区画が観光の中心で、その周囲にホテルが点在しているのだから、ホテル地区から往復のバスを出し、中心部は小型のマイクロバスを循環させれば観光客の利便性は飛躍的に高まるだろう。おまけに白タクの路上駐車も減って交通渋滞が緩和され、コストもほとんどかからない。
なぜこんなかんたんなことができないのだろう?
政治・行政制度の混乱や政府資金の配分などさまざまな問題がありそうだが、そのいちばんの理由は効率が失業を生むからだろう。空港と観光地を結ぶモノレールとか、ウブドを循環する小型バスなどを導入すると、空港や路上で客引きをしていたタクシー(白タク)運転手のやることがなくなってしまうのだ。
もちろん現状でも、1日じゅう客がつかず1銭にもならなかった、ということは多々あるだろう。
ひとが多すぎる社会では、失業者を増やしたくなければ効率的なシステムをつくってはならないのだ。
ヨーロッパとアジアの人口の違い私が人口と効率の関係に気づいたのは、アイスランドを訪れたときだ。人口32万人の最果ての島に、夏になればヨーロッパじゅうから観光客が大挙して押し寄せる。手厚いサービスなどできるはずはなく、すべてを最小限の手間で行なえるようシステム化しなければ社会が回っていかないのだ。
[参考記事]
●金融バブル崩壊後のアイスランドが短期間で奇跡の復活を果たした理由
システム分析の川島博之氏によれば、ヨーロッパとアジアの人口のちがいは主食となる穀物が小麦か米かで説明できる。
小麦には連作障害があり、同じ土地で栽培をつづけると徐々に地力が落ちて収量が減ってくる。そこで近世までは、いったん収穫すると翌年は家畜の放牧地などにして、3年に1回しか栽培しないのがふつうだった。それに対して水田には連作障害がなく、温暖な気候なら米はいくらでも育つため、東南アジアでは二毛作はもちろん三毛作も珍しくない。
私がウブドを訪れたのは3月末だが、稲穂は収穫前で深く頭を垂れていた。灌漑設備さえあれば、米はいつでも好きなだけつくれるのだ。
小麦を主食とするヨーロッパでは、食糧が少ないために大きな人口を支えることができなかった。それに対して米文化のアジアは、ゆたかな食糧が爆発的な人口増加を可能にした。とりわけ空気中の窒素を固形化して肥料にする「緑の革命」以降、人口の増加を上回る食糧の増産が可能になり、人類は歴史上はじめて食糧危機から解放された。
[参考記事]
●食糧危機はウソだった! 報道されない"不都合な真実"
ヨーロッパ近代が生んだ「人権」とは、1人ひとりの生命にかけがえのない価値があるという思想だ。価値というのは市場の需給で決まるから、当然、人口が少ない方がひと1人の価値は大きくなる。ヨーロッパでペスト(黒死病)が大流行し、人口の3分の1が失われた後に「人権思想」が誕生したのは、需要に対して供給が大幅に減ったことでひとの価値が大きく値上がりしたからだ。
このように考えると、アジアで欧米流の「人権」がなかなか根づかなかった理由がわかる。
アジアでは、ひとはいくらでもいる。需要に対して供給が大幅に過剰なのだから、ひと1人の価値はものすごく低い。それをいきなり「かけがえのないもの」にしてしまったら、社会制度が維持できるはずがない。13億人の人口を抱える中国が「人権」や「民主化」といった“グローバリズム”に頑強に抵抗するのはこのことに気づいているからだろう。
人口の足りない社会ではシステム化が要請されるが、人口が過剰な社会では非効率こそが求められている。
こうしてアジアの国々では、農業や製造業など労働集約型の産業が好まれ、資本集約型のシステム化は忌み嫌われることになる。
システム化は"和"を乱す危険な思想人口動態から歴史を読み解く「歴史人口学」の日本における第一人者、速水融氏は、18世紀イギリスで起きた産業革命が(より少ない労働者でより多く生産する)資本集約型の生産革命であったのに対し、江戸時代の日本では労働集約型の生産革命、すなわち「勤勉革命」が起きたと述べている。
日本の農業の特徴は家畜を使わないことだ。もちろん日本には牛も馬もいたから、こうした家畜を農作業に活用すればより大規模で効率的な農業が可能になる。だが不思議なことに、江戸時代になって社会が安定すると、農村から家畜が消えていく。
誰かがより少ない人手で米をつくり始めると、失業者が溢れて村の秩序が崩壊してしまう。それを避けるために日本では、農地を家ごとに細かく分割し、土地の所有権を絶対化して大規模農家が生まれないようにしたうえで、村人全員が日々“勤勉に”農作業に従事することで生産量を増やす労働集約型の勤勉革命が起きた。システム化や効率化は、この国では“和”を乱す危険な思想なのだ。
人口の多いアジアでは、システム志向の産業革命は起こらない。日本の成功は、産業革命から“科学”を排除したうえで、勤勉な労働者が“ものつくり”に励む労働集約型の製造業に利用可能な“技術”だけを取り出したことだ。しかし制御理論を専門にする木村英起氏は、『ものつくり敗戦』(日経プレミアシリーズ)で、「匠の技」にばかり執着してシステム化の発想を拒絶した結果、日本の製造業は「知拡競争」に敗退しつつあると警鐘を鳴らす。
20世紀後半になると、科学と技術を融合させた大量生産の限界が明らかになり、経済の中心はハード(もの)からソフト(こと)へと移りはじめる。しかしシステム発想のできない日本人は抽象的な理論をうまく扱えず、自分の目で見て、手で触ることのできる「ものつくり」にこだわった結果、情報革命(第三の科学革命)に乗り遅れ、マイクロソフトやインテル、アップル、グーグル、フェイスブックといった「ことつくり」の企業にまったく太刀打ちできなくなった。シャープやパナソニックの惨状を見れば木村氏の主張に強い説得力があるのは明らかだが、しかしその一方でアジアに目を転じれば、どこもかしこも人口過剰なこの地域で、日本がもっとも“システム化”に成功した国のひとつであることも間違いない。
日本にもしウブドのような観光地があれば、空港から高速道路を通し、新幹線の駅をつくり、観光バスや路面電車で名所旧跡を回れるようにするだろう。あるいは過剰に「開発」して、せっかくの観光資源を台無しにしてしまうかもしれない(これはいまの中国で起きていることだ)。
もちろん私は、日本が優れていてインドネシアが劣っている、といいたいわけではない。インドネシアは2億3000万人の国民が300の民族に分かれ、600を超えるともいわれる言語を話すモザイクのような群島国家だ。日本とは歴史や文化はもちろん、近代国家としての成立の仕方がまるでちがうし、既得権を打破するのが難しいのはどこも同じだ。交通インフラを整備する必要に気づいても、政治家であれば、タクシーや白タク運転手など「有権者」の雇用をどうするか考えざるを得ないだろう。
日本はアジア的な村社会を維持しつつ欧米のシステムを導入し、近代化に成功したが、産業が高度化し製造業(ハード)からサービス業(ソフト)に主役が移るようになると、和魂洋才の戦略は行き詰まってしまった。
日本につづき、台湾や韓国がシステム社会へと離陸し、中国は莫大な公共投資で社会資本を整備している。しかしいまだどこも、日本を超えてシステム化(グローバル化)できたところはない(唯一の例外は英語を公用語とする移民都市シンガポールだろうか)。
だが彼らは、いまでは先行したアジアの国々の経験から多くを学ぶことができる。これからの10年で、すくなくとも同じ労働集約型のムラ社会である日本と同じレベルまで社会制度や経済インフラがシステム化したとしてもなんの不思議もない。
原油、石炭、パーム油、ニッケルなどの天然資源が豊富なインドネシアは、1人あたりGDPが3800ドルと日本の10分の1程度で、国内に2億人を超える潜在的な巨大消費市場を持っている。1997年のアジア通貨危機で金融業が崩壊しIMF管理になった苦い経験から、公的債務の比率は低く金融セクターも比較的健全だ。中国の経済成長に限界が見えはじめたいま、世界の投資家の目がこの国に向けられるのには理由がある。
インドネシアは、混沌としているからこそ面白い。ここはまだ新興国(エマージング)で、インフラを整備して生産性を上げ、先進国にキャッチアップする余地がいくらでもあるのだ。
次回から、ジャカルタ在住で大手人材支援会社JAC Recruitmentで働く長野綾子さんに、そんな“混沌の国”インドネシアの仕事事情を書いてもらうことになりました。ご期待ください。