約8カ月のバックパッカー旅行後、2002年からラオスに住み、旅行会社を経てコーディネーターになった森記者が、ラオスの今についてレポートします。

山岳民族・モン族の物語

 ラオスには100とも200ともいわれる民族が存在するというが、国家は政策において、皆が同じ「ラオ族の兄弟」という意味で、居住区分別に分けた三大ラオ族(山岳、高地、平地)という呼称を造り出した。

しかし、公式には言語系列に分類した49民族を発表している。

「民族」といえば、「少数民族」を連想するが、彼らは山岳部だけではなく町の中にも混在する(町に住んでいてもルーツが山岳の場合は山岳系ラオ族のカテゴリーに入る)。高級官僚や政治家となって国家運営に携わる人々も少なくない。

 ラオス北部の山岳にはモン族が暮らしている。国際的には、悲劇の民族として知られる。ベトナム戦争の裏側で秘密裏に行なわれていた米国の反共戦線の先兵・工作隊としてCIAに訓練されたが、米国の敗北とともに故郷を捨てて難民となり、残った者たちも迫害の対象となった――というのが通説だが、実際は、共産側についたモン族も多かった。
その分派を代表するように、現職国会議長もモン族である。

 戦争のために、モン族は様々な人生を歩んで来た(クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラントリノ」では、米国に渡ったモン族たち第二世代の姿が描かれた)。

芥子の栽培技術に長けていたモン族

 彼らの起源は、中国に発する。今から約200年の昔、清の同化政策に抵抗した人々は迫害を受け、新天地を求めて南下。ベトナム、ラオス、タイ北部に流れ、新しいコミュニティを造った。

 ラオスにおいては、平地、高地(山裾、山麗、丘陵)にはすでに他民族がいたので、山岳に村を建てるしか土地が余っていなかった、といわれている。



 それも一理あるが、実のところ、アヘン、覚せい剤やヘロインの元となる芥子(ケシ)栽培に適した土地が、切り立った岩山や斜面を持つ山岳地帯だったという説もある。

 芥子は物々交換の対象であり、貨幣と同じ価値を持っていたという。旧統治国のフランスも芥子栽培を奨励した。そして、モンの人たちは、その栽培技術に長けていた。

2000年、芥子畑は消滅した……

 ラオス東北部にある、人口500人足らずのモン族の村を訪ねた。

 ここでは2000年まで芥子栽培が行なわれていた。

しかし国連とラオス政府の指導のもと、ラオス全国において「オピウム・フリー(脱アヘン)」が宣言され、美しい芥子畑はなくなり、代わりに国連主導の様々な「貧国撲滅プロジェクト」が持ち込まれた。

 しかし芥子畑の消失は、モン族にとっては、芥子という「貨幣」がなくなったことを意味する。芥子は闇の烙印を捺され、モン族はその財宝を放棄させられることになった。その結果として、世界最大の麻薬地帯として知られていた「ゴールデントライアングル」に接するがゆえに暗かったラオス政府の印象は改善された。

生活の基本は焼畑農業

 そんな出来事から13年。現在、村にはようやく電線が走り、電話は固定式を飛び越えて無線電話が普及し始めている。



 すこし余裕のある家庭では、ブラウン管モニターに映し出されたモン語のドラマや映画がVCD(ビデオCD)を楽しむ姿があり、ささやかだが贅沢品も流通してきた。

 現在、彼らの生活は、切り立った山の斜面にある焼畑で支えられている。1年分の家族の食料を得るため、農耕期は毎日、作物を育てに徒歩30分~1時間をかけて畑に出かける。

 余った作物(葉物野菜、とうもろこし、かぼちゃなど)は、彼らの村から最も近い麓の町まで売りに出される。葉物類の野菜は一束数千キープ(数十円)で、手作り豆腐はA4サイズぐらいの大きさでも5000キープ(約60円)ほどで販売される。

 町とはいえ、人口の少ない辺鄙な場所だ。

野菜や豆腐を購入する人がどれほどいるのだろうか。一日の売上は多い時でも2万キープ(約270円)に及ばないだろう。そしてこれらの収益は月々の支払いで消えていく。

 この村での数少ない出費は、主に税金だ。毎年、土地税(1ヘクタール当たり2万キープ=約200円強)と人頭税(1人当たり1万2000キープ=約140円)がかかる。月ごとの経費としては、電気代、電話代、調味料などの生活費がある。

闘牛1頭でバイク2台が買える

 芥子を失った人々は今、牛や豚、鶏などの家畜で貯金をしている。そして、出費がかさむ時に、その家畜を売る。

 食用牛は等級によるが、一頭300~600ドル(約3万~6万円)に換金される。牛の中でも高級品種は、松坂のような食用ではなく闘牛用だ。モン族の正月には、男たちのプライドをかけた闘牛大会が行なわれる。

 闘牛用の牛は一頭2000ドル(約20万円)ほどの値がつくらしい。町ではHONDAのバイクが2台買えてしまう額だ。換金した資金の使い道は、身内の冠婚葬祭やバイクなどの高額商品で消費されることが多い。

 モン族たちの生活――。家族と家畜の食料として田畑を耕し、余剰作物の販売で得た現金を税金として支払う。高額の出費は、家畜を換金して捻出する。地産地消、自給自足。銀行預金も考えていない。

 農作業はハードな肉体労働。収入は少なく、生活は貧しいが、人々の顔はすさんでいない。ないものねだりの私たちからすれば、彼らの生活は桃源郷に見える。

 以前、そんな桃源郷を追いかけているという、変わり者の日本人ビジネスマンに出会った。彼の人生観は、リーマンショックで変わったという。世界の大きな金の流れに左右されないライフスタイルを築きたい、それが彼の願いだった。 本稿を書きながら、ふと、彼のことを思い出した。

(文/森卓 撮影/『テイスト・オブ・ラオス』)