キヤノンが東芝の医療子会社、東芝メディカルシステムズの買収を決めてから1カ月。その買収手法が競争法をくぐり抜ける脱法行為なのではないかと問題視されている。
3月8日、東京・六本木ヒルズでひっそりと産声を上げた会社がある。MSホールディング(MSH)は、資本金わずか3万円の“ペーパーカンパニー”である。この名目上だけ存在する企業が、東芝の命運を握っている。
3月17日、東芝は医療子会社の東芝メディカルシステムズ(TMS)をキヤノンへ6655億円で売却することに決めた。並み居る競合に競り勝ったキヤノン。だが、このキヤノン案が、「法の抜け穴を突く脱法スキーム」(競争法専門の弁護士)であるとして、法曹界で議論が巻き起こっている。
本誌では、法人登記や臨時報告書などの資料を基に、専門家の協力を得て、キヤノン陣営が考案したとされるスキームをあぶり出した。その全貌が下図だ。
当初、富士フイルムホールディングスが有利とされていたこの入札。形勢逆転できたのは、キヤノンがどこまでも東芝の要望に忠実だったからだ。
東芝の要望とは、2016年3月期決算でTMSの売却益を計上すること。債務超過のリスクが高まる東芝にとって、そのデッドラインだけは譲れないものだった。
だが、入札が3月までもつれた結果、通常の手続きでは「3月入金」が間に合わないタイミングになっていた。主要国の競争法には、当局に株式取得を届け出てから一定期間(日本の独占禁止法では30日の待機期間)を経過するまで、株式を取得できないという規定があるからだ。
キヤノン陣営ははかりごとを巡らせた。競争法に抵触することなく、「3月入金」が可能なスキームがないものか──。
彼らが着目したのが、「議決権」の有無が支配力を決めるという考え方だ。キヤノンが、TMSの株式を取得するにせよ、その議決権を持たない段階ではTMSを支配しているとはいえない。従って、競争法の制約を受けないという解釈である。
その解釈を最大限に生かしたのが今回のキヤノン案なのだ。詳細なステップは図に譲るが、議決権が制限される「種類株」を駆使した複雑なスキームだ。大まかに言ってポイントは二つ。
一つ目は、冒頭のペーパーカンパニー(MSH)を活用したこと。競争法審査が終了するまで、一時的にMSHにTMSの議決権を持たせて((1)A種種類株20株)、支配下に置いた。売上高のないMSHには、独禁法の届け出義務がなく、競争法審査を待たずに事業譲渡ができるメリットがある。このペーパーカンパニーのおかげで、“30日の待機期間”に引っ掛かることなく、東芝への「3月入金」が可能になったのだ。
二つ目は、キヤノンが議決権を持たない、つまり競争法の制約を受けない形にしたこと((2)B種種類株1株と(3)新株予約権100個を保有)。そして、議決権の有無を明確にさせている一方で、株式保有の構造を見ると、TMSは東芝子会社でもなく、キヤノン子会社でもない、“中ぶらりん”の状態になっている。そうすることで、競争法の網を擦り抜けているのだ。
議決権がなくてもキヤノンには支配力がある競争法の知識と会社法の知識を組み合わせた技巧スキームに対して、「形式上は適法。だが、競争法を意図的に逸脱していることは明白」(前出の弁護士)だ。
そんなリスクを背負ってまで、キヤノン陣営が危ない橋を渡るのは、勝算があるからだ。「東芝とキヤノンの医療事業には重複がほとんどなく、普通に競争法審査を受ければすんなり通る案件。審査では、手続き論の不透明さよりも、自国産業の競争が阻害されないかなど実態の方が優先される」(別の弁護士)というのだ。
とはいえ、専門家の間では重大な問題点が指摘されている。まず、キヤノンも東芝も「独立した第三者」と言い張るMSHの独立性に疑念があることだ。役員に名を連ねる宮原賢次・住友商事名誉顧問に尋ねたところ、「この件についてはコメントを差し控えたい」としている。ちなみに、競争法手続き終了後、MSHが(1)A種種類株をTMSへ戻すのと引き換えに、約3600万円がMSHへ流れることになっている。
次に、キヤノンの支配力についてだ。「(2)B種種類株には、組織再編などTMSの重要事項についてキヤノンが拒否権を行使できる条項がある。また、(3)新株予約権を持つということは、潜在的な議決権を持っているに等しいとも考えられる」(会社法に詳しい高橋明人弁護士)。競争法を乗り越えるために、形式上は議決権を外したキヤノンだが、すでに、実質的にはTMSの経営に影響力を持っているともいえるのだ。
前代未聞の堂々たる競争法外しに、批判の集中は避けられまい。