たまに道路で見かける、お葬式の道案内。
指さしのマークの下に「○○家」などと書かれ、黒い枠で囲まれてるあの看板だ。
俗に「指さし看板」などと呼ばれているらしい。

ところでこの看板、どうしてマークが指さしなんだろう。矢印でも良さそうなのに、あの独特な手の絵が定番。厳かな雰囲気を醸している。何か理由があるんだろうか。全日本葬祭業協同組合連合会に話を伺った。

「指さしの看板もありますが、今出ているものは、矢印が多いと思いますよ」

えっ!? 指さしじゃなくなってるの?
「以前は指さしが多かったんですが、最近はパソコンで作ることが増えまして、矢印の方がマークを簡単に作れるので、矢印が増えているみたいです」

じゃあ、どうして指さしのマークが使われてきたの?
「昔は今のような立て看板ではなくて、電柱や壁に幅15~20センチくらいの小さな紙を貼って、案内していたんですね。このとき矢印だと小さく、遠くから見てどちらが尖っているのかわかりにくいんです。そこで、遠くからでも方向がわかるよう、全体の形でわかりやすい指さしが描かれるようになったんじゃないかと思います。理由は他にもあるかもしれませんが」
へぇ~。厳かな雰囲気を出すために、指さしになったわけじゃなさそうだ。

指さしの始まりは、よくわかっていない。
ただ、昭和初期にはすでに、張り紙としてあったとされる。指さしと黒枠が描かれ、空欄に名前を書くだけの状態になっている紙が、葬儀用品メーカーによって売られていた。
そして今から約20年前に「もっと遠くからでも見やすいように」と、宮城県の佐々木屋仏具店が看板にすることを考案。単純なことだけど、大型化によって文字も大きくなり、遠くからでも矢印でわかるようになった。

「使う方から、見やすいようもっと大きくできないだろうかという話がありまして、幅45センチ、高さ1メートル20センチほどの看板を作ったんですね。当社では、矢印を時計の針のようにクルッと回せるようにして何度でも使えるようにし、その下を空欄にして名前を書き入れています」(佐々木屋仏具店)
指さしから矢印へと移行しているのには、パソコンで作りやすいこと以外に、こうした業者の発明も関係していたようだ。


というわけで、指さしマークになったのも、看板になったのも、理由は同じ「遠くからでも見えやすいように」。お葬式に来る人のことを考えて、道案内は進化してきた。

「前は通学路などに看板を置きますと、よく子どもたちがイタズラして、右だった矢印を左に変えるみたいなことがあったんですね。それは困るので改良を加え、今は表面に透明のプラスチックカバーをつけています」(佐々木屋仏具店)

そんな地味~な進化もありつつ、ときに矢印で、ときに指さしで、お葬式の道案内は土地勘のない人を誘導してくれている。
(イチカワ)