ぶどう狩りシーズン真っ只中。そこで、ぶどう狩りがどうして始まったのか、ちょっとしたエピソードがあったので紹介したいと思う。


舞台は、福岡県の田主丸(たぬしまる)という地域。日本で初めて、観光のフルーツ狩りが行われたとされるこの地で、ぶどう狩りは始まった。

ぶどうの前に、田主丸では昭和初期から、盛んに柿が植えられていた。そして観光客の目を柿に向けさせるため、1950年代後半、日本初のフルーツ狩りとされる柿狩りが始まった。これは、お客さんが畑で柿の歴史などを聞き、あらかじめ収穫してある柿を買って帰るというもの。実をもぎ取ることはできなかったものの、農園に客が足を踏み入れるなんて非常識だった時代に、人気のスポットとなった。


同じころ、田主丸の柿農園では別の変化が起きていた。それは、柿農園の空いている場所や、柿の木を切り倒して、巨峰の苗が植えられ始めたこと。巨峰の美味しさに魅せられた農家たちが、当時まだ珍しかった巨峰という果物を、栽培し始めていた。

ところが、巨峰には柿にはない欠点があった。それは、傷みやすく、粒がすぐ落ちてしまうこと。そのため運ぶことが難しく、味は良くても、市場で相手にしてもらえなかった。


そんな状況に悩む中、関係者の頭をよぎったのが柿狩りだった。
お客さんにゴザの上で巨峰の話を聞いてもらい、帰りに用意された巨峰を持ち帰ってもらうという、柿狩りと同じスタイル。巨峰を市場へ運ばなくても、お客さんの手に渡せるいい方法だった。役場の担当者も鉄道会社に必死で営業をかけ、バスツアーを企画。巨峰狩りは瞬く間に人気を博した。ぶどう狩りの交通渋滞も起こったほどだという。


ただし、問題もあった。柿とは違って、巨峰は袋をかぶっているから実が見えない。さらに晩夏のまだ暑い時期に、座って話を聞き続けるのもしんどい。いくら巨峰好きのお客さんでも、ちょっと退屈だった。

そんなある日、ひとつのぶどう農園の奥さんが転機をもたらす。彼女も巨峰狩りに退屈さを感じていたひとり。
そこで、同窓会で友人を巨峰狩りに誘ったとき、友だちを楽しませるため、はさみとカゴを調達し、自分たちの手でもぎとってもらうことにした。すると友だちは大喜び。はしゃいで巨峰狩りを楽しんでいたという。

これが観光の巨峰狩りに取り入れられ、フルーツ狩りというスタイルは完成した。

田主丸観光ぶどう協会の方は言う。
「今は、道路が整備されたり、運送屋さんが早く届けてくれるようになったことで、当日や翌日にはスーパーに並ぶようになりましたよね。
個人発送なら、クール便もあります。昔は、そうもいきませんでしたよね」

巨峰が運びにくかったことから採用された、農園へお客さんに来てもらうというスタイル。
それに加えて「身近な人に楽しんでもらいたい」という気持ちが、狩るという手法を生みました。
(イチカワ)