10月24日放送分の『サザエさん』で、ちょっと気になる話があった。

「フィクションなんだから」というツッコミはさておき、おおまかな流れは……
マスオさんが家でバイオリンを「ギーコギーコ」と弾いていると、そのあまりのひどい音に、波平がカツオのイタズラと決めつけて「コラ!」と怒鳴りに来る。
だが、カツオは何もしていない。マスオも自分のバイオリンのせいとは思わず、「また、カツオくん何かやったのかな?」と能天気。

これを見て思い出したのは、昔、深く考えさせられた筒井康隆の短編集『笑うな』内の『傷ついたのは誰の心』である。
それは、主人公が家に帰ると、警官が妻を犯していて……という内容で、加害者のはずの警官と、被害者の妻の夫とが、言葉のやりとりで互いに傷ついていくクレイジーで残酷な展開、不条理な「愛」のかたちに、圧倒されたものだった。
ある人の境遇や言動・心境は、別の角度から見ればまた違ってくるということは、多々あるもの。
サザエさんの話で置き換えて考えてみよう。傷ついたのは誰の心か。

「何かあるたびになんでもカツオのせいにされて、カツオが可哀想!」と思うのが普通だろう。実際、いつも叱られてばかりのカツオについて以前、新聞で「カツオを叱りすぎでは」という投書が掲載されたこともあるし、ネット上では「オレがカツオだったらグレる」なんて声もある。
だが、これも別の角度から見ると、不条理に叱られ慣れているカツオは、すでに「大人」の面があり、そこに救われた波平の「なんでワシはカツオばかり叱ってしまうのじゃろう」という自責の念のほうが、より傷ついていると言えるかもしれない。

さらには、自分が原因だったのに「またカツオくん♪(笑)」みたいなリアクションをしてしまったマスオのほうが、恥ずかしさで、傷ついているかもしれない。
もっと言えば、「原因もわからないのにカツオばかり叱る父」と「原因を作ったのにヘラヘラする夫」「叱られることに慣れてしまっている弟」を見て、その三者と最も結びつきのあるサザエこそが心を痛める……なんてパターンだってありうる。


また、カツオばかりがいつも叱られているのを見て、ワカメは「私はいつも蚊帳の外……」と傷つくことだってあるかもしれない。
だが、磯野家・フグ田家の場合は、違う。

実際にはマスオは呑気に「この家では感傷に浸ることなんてできないなあ(苦笑)」と、自分の力不足を棚にあげ、「芸術を解さない家族」みたいな解釈を出しているし、波平も自責の念を負っていないし、カツオもサザエもワカメも気にしていない。
そんなデリケートな人は存在しない家ではあるけれど、善悪の物差しを置いておいて、「家族だからこそ気にならないこと」、逆に「家族だからこそ気になること」もあるだろう。

もしかしてこの展開で最も傷ついたのは、視聴者の中の、カツオのように「いわれのないことで、いつも自分だけが叱られた」という記憶を持つ人だったりして?
傷ついたのは誰の心だと思いますか。
(田幸和歌子)
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