前編からつづく。

●「シンボル展示」の3つの車両に込められたものとは?
「リニア・鉄道館」のエントランスから展示部分へと入ると、まず「シンボル展示」のゾーンが設けられている。
そこでは、入口より向かって左から、C62蒸気機関車、新幹線試験電車300X、超電導リニアMLX01-1の3台の車両が出迎えてくれる。これらに共通するのは、試験走行で世界最高速度を記録したことだ。

「シロクニ」とも呼ばれるC62蒸気機関車は、1954年、木曽川橋梁の強度試験にて129km/hという、狭軌(旧国鉄の在来線で採用された幅1067ミリメートルの線路)におけるSLのスピード記録を樹立した(ちなみに『銀河鉄道999』に登場するSLのモデルはこのシロクニ)。300Xは、新幹線電車の性能をさらに高めようと様々な試験を行なうためJR東海が製作した車両で、1996年には、機関車牽引ではない電車方式としては世界最速(当時)となる443km/hを記録した。リニアMLX01-1もまたJR東海が開発、2003年に山梨リニア実験線での試験運転において鉄道による世界最高速度、581km/hを達成している。その後、2005年の愛知万博では「JR東海館」にて展示された。

この展示は、「高速鉄道の進歩」という同館のコンセプトの一つを明確に示している。ひいては、このミュージアムのみならずJR東海という企業の理想を、3つの車両は象徴していると言えるかもしれない。

それにしても、「シンボル展示」も含め「リニア・鉄道館」の展示全体を通じてつくづく感じるのは、JR東日本の所有する「鉄道博物館」(さいたま市)やJR西日本の所有する「交通科学博物館」(大阪市)とくらべても際立った企業色の濃さである。そもそも館名に“リニア”と、目下JR東海が実現に向けて力を入れている事業の名が掲げられているわけだし、運営形態も、「鉄道博物館」と「交通科学博物館」が財団法人による運営なのに対して、「リニア・鉄道館」はJR東海の直営である。

愛知県ではなぜか、「徳川美術館」や名鉄のつくった「博物館明治村」、あるいはトヨタグループの「トヨタ博物館」「産業技術記念館」など、公立の博物館よりもむしろ私立の博物館のほうが内容・人気ともに充実しているという印象がある。このことは、この地域における民間の力の表れとも言えそうで興味深い。


●「超電導リニア展示室」で、時速500キロを体感せよ!
そんなわけで、このミュージアムには単に歴史を振り返るばかりでなく、現在、あるいは将来に向けてJR東海の事業をアピールするという意図も多分に込められているように感じられる。それがもっとも顕著にあらわれているのは、何と言っても「超電導リニア展示室」だろう。

この展示室では、超電導磁石によって浮上走行するリニアの原理を、模型を動かしたりして学べるほか、リニア開発のあゆみを示したパネル展示、それからリニアの時速500キロでの走行を疑似体験できる映像シアターが設けられている。シアターで座席に座ると、前方のスクリーンと側面の窓にCG映像が映し出され、どんどんスピードが上がっていく様子がリアルに体感できる。走行当初はまだ浮上せず車輪で走っているのだが、このときの振動まで再現されていたには驚いた。

ただ、よけいなお世話ながら、この展示の鮮度がどれほど持つのかちょっと気になった。現在、JR東海が進めるいわゆる「リニア中央新幹線」(ちなみにJR東海の公式文書などでは、その運営的位置づけから「超電導リニアによる東海道新幹線バイパス(中央新幹線)」という名称が使われているようだ)計画は、2027年に東京~名古屋間での暫定開業を、大阪までの全線開業は2045年を目標としている。2027年までまだあと16年。最初のうちは目新しい展示も、10年も経てば「まだ、リニアは実現しないのか!」などとツッコミを入れられないか、ちょっと心配になる。

●新幹線はいかにして誕生したのか? 「歴史展示室」で学ぼう
さて、「リニア・鉄道館」の2階には、1階に並ぶ展示車両を上から眺められる回廊・デッキのほか、弁当や飲み物を販売する「デリカステーション」や「映像シアター」、鉄道の原理が学べる「体験学習室」、子供向けの遊具の置かれた「キッズコーナー」、それから鉄道の歴史を紹介する「歴史展示室」「収蔵展示室」がある。

このうち、「歴史展示室」では、東海道を中心に鉄道開業前から現在にいたるまでの鉄道交通の歴史が、模型やパネルなどで紹介されている。また、東海道新幹線誕生の経緯を追ったコーナーも設けられ、時の国鉄の総裁・十河(そごう)信二と技師長の島秀雄の功績、プロジェクトの過程が、イラストやチャートなどを使ってじつにわかりやすく解説されている。
ご遺族の好意で展示できたのだろう島秀雄が晩年に授与された文化勲章も、ちょっとした目玉だ。

このように新幹線のあゆみについては、かなりくわしく紹介されている。だが、やはり気になったところはある。たとえば、かつて深刻な社会問題となった新幹線の騒音・振動公害についての記述はどこにもなかった。東海道新幹線の公害をめぐって唯一裁判が起こったのが、ほかならぬ名古屋だということを考えると、やはり年表に一言だけでも記述があったほうがよかったような気がする。

名古屋新幹線訴訟において、原告住民らと当時の国鉄とのあいだで和解が成立したのは1986年。そのとき、国鉄は騒音・振動を抑えるよう技術開発に尽力することを約束し、その実現は翌年に発足したJR東海へと託される。初代「のぞみ」の300系では、車体が従来の0系や100系車両よりも軽くなるようつくられたが、これはスピードアップをはかるという以前に、騒音・振動を軽減するためだった。言わばJR東海は、公害をきっかけとして、技術の改善を達成したのである。そのことは、けっして恥ずべきことではないだろう。

近年では、高度成長期の“負の側面”を後世に伝える施設も各地にできつつある。熊本県水俣市の「水俣病資料館」はその先駆けと言えるし、あるいは、かつて建設をめぐり地元住民が激しい反対運動を展開した成田空港でも現在、空港会社を主体として常設展示施設「成田空港 空と大地の歴史館」(リンク先、PDF)の準備が進められている。


まあ「リニア・鉄道館」の性格を考えれば、ことさらに“負の側面”を強調する必要はないとは思う。ただ、新しい技術は常に未知の危険性をはらんでいることを考えれば、先にあげた「超電導リニア展示室」あたりには、技術紹介とあわせて、リニアが実現した際に想定される社会や生活への影響についての考察があってもいいんじゃないかという気はする。〈わたしは技術屋が、何か技術的可能性を確立したい、あるいは形に現したいと考えるのは無理ないことだと思うのです。そういうことで一所懸命研究することは、とくに若いエンジニアの士気高揚のためには非常に必要です。(中略)しかし一方、そういう技術的可能性が仮に実現した場合、社会生活の面でどういうことが起こるか、交通経済的、社会的な研究をやる人がもっといなければいけないと思います〉とは、前述の島秀雄の新幹線開業から10年後の言だ(「不肖の息子・新幹線を叱る」、『季刊中央公論』1974年冬季特別号)。
「リニア・鉄道館」の建てられた目的の一つには、ものづくりの技術の継承と人材育成があるそうだが、それに加えて、鉄道の社会的・経済的影響の研究拠点としての機能もぜひ果たしてもらいたい。惜しむらくは、同館に図書室がないことである。それこそ、JR東海の初代社長で、大の鉄道ファンとしても知られる須田寛氏(3月1日の開館式にも出席されていた)を記念する鉄道図書室とか設置してもよさそうなものだが。「クリスマス・エクスプレス」などJR東海の過去のCMが見られる映像ライブラリーがあるとなおいいと思う。

●沿線にもみどころがたくさん
最後に、「リニア・鉄道館」の周辺のみどころについても紹介しておきたい。昔は金城ふ頭というと、名古屋市国際展示場「ポートメッセなごや」があるぐらいで、ほかには遊ぶようなところはなかった。たまにポートメッセでのイベントに出かけるときなど、名古屋都心部からバスで結構長い時間かけて出かけた記憶がある。
それがいまでは、2004年に開業した名古屋臨海高速鉄道あおなみ線に乗れば、名古屋駅から25分ほどで行けるようになった。

金城ふ頭駅の周辺の風景はあいかわらず殺風景ながら、それでも伊勢湾岸自動車道の吊り橋が通っていたり、日本というか世界随一の自動車積出基地(積出船も頻繁に見られる)があったり、湾の向こうには新日鉄の工場群が見えたりと、工場マニアなど好きな人にはたまらないロケーションとも言える。

あおなみ線沿線には金城ふ頭以外にも、シギ・チドリ類などの渡り鳥の中継拠点として知られ、ラムサール条約にも登録されている藤前干潟(最寄は野跡駅)、戦国武将・前田利家の生誕の地と伝えられる冨士権現社(最寄は荒子駅)などもある。

ただ、このあおなみ線は開業後、思ったように利用者数が伸びず、昨年には経営破綻してしまった。目下、最大の出資者である名古屋市の支援を受けて再建中だが、「リニア・鉄道館」がその起爆剤になることを願ってやまない。だいたい、鉄道のミュージアムに行くための鉄道が廃止されたら、みっともないではないですか。(近藤正高)
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