震災後、繰り返し流れたACのCMたち。脱力系の「ポポポポ~ン」などは一時期、近所の子供たちがみんな口ずさむなど社会現象!? のようになっていた。
一方、個人的に印象深かったのは、ケンカをした子供たちのストーリーに合わせて、歌手のUAが金子みすゞの「こだまでしょうか」を静かに朗読するACの2001年度東京地域キャンペーンCM。

「『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。『ばか』っていうと『ばか』っていう。『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう。そうして、あとでさみしくなって、『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。こだまでしょうか、いいえ、だれでも」
この後、男性の声で「やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる」という語りが入る……という構成で、日本が今、こういう状況だけに改めて人と人のつながりを考えさせられるCMであった。

暗記するくらい何度も見たけれど、わかりやすい言葉使いと絶妙なリズム感で、最初はプロのコピーライターが書いたものだと信じ込んでいた私。しかし、画面をよく見ると明治生まれの詩人、金子みすゞの作ということでビックリ! この時代に、口語体でこんな新鮮な感覚の詩を書く人がいたとは……。
実は、このCMの影響でこの「こだまでしょうか」という詩がおさめられた金子みすゞ童謡集『わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局)という本が品切れになるほど売れているらしい。

金子みすゞは1903(明治36)年4月生まれ。西條八十に才能を認められ、若き童謡詩人たちの憧れの星となる。23歳で結婚し、一人娘をもうけるが、夫から詩作を禁じられ、辛い生活ののち離婚。
娘を引き離そうとする夫に抗い、1930(昭和5)年3月10日、26歳で短い生涯を終えたという。版元の紹介ページに写真も載っているが、ふっくらとした丸顔で少女のような雰囲気の人である。長らく「幻の童謡詩人」としてその作品は埋もれたままになっていたが、自らも童謡詩人であり、現在は山口県にある金子みすゞ記念館館長となっている矢崎節夫氏の熱意により再び世に送りだされることに。

JULA出版局に問い合わせてみたところ、本書は512編の詩がおさめられた『金子みすゞ全集』の中から、60編の詩を選んで1984年に刊行されたもの。3月11日の震災後、おもに書店からの問い合わせが相次ぎ、翌週の半ばにはすでに品切れ状態になっていたという。そこから5000冊の重版を決めたが、本に使う紙の多くが被災地の東北で作られているため現在は入荷待ちの状態とか。私が問い合わせをしたときにも背後で電話が鳴りまくっていたので、反響のすごさが伺えた。

『わたしと小鳥とすずと』は刊行以来27年目を迎え、累計部数は100万冊を超えるそう。今回の重版でなんと99刷目! みすゞの詩は小学校の国語の教科書にも採用され(来年度の掲載もすでに決まっているそうだ)、「子どもの教科書で読んでファンになった」という30~40代の人も多いのだそう。
「本書は世の中に金子みすゞという存在を広く知っていただくきっかけとなった最初の本であり、私共としてもずっと大切にしてきました。CMをきっかけに関心を持っていただけるのはとてもありがたいことですが、一過性というよりは、これからも丁寧に金子みすゞの世界を次世代に伝えていけたら、と思っています」とのことだった。

大きな悲しみと失意に包まれている今の日本で、みすゞの美しくて優しい日本語がみんなの心を少しでも和ませてくれたら……と願はずにはいられない。

(まめこ)
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