韓国料理から連想されるイメージとして、「辛い」料理が多いと答える人も少なくはないはず。
その辛さの元となっているのがご存知の通り「唐辛子」ですが、その唐辛子が日本から韓国に伝わったものであり、伝わった理由が文禄慶長の役の際に韓国人を唐辛子で毒殺するためだった!? との説を耳に。
聞き捨てならず、実際のところを調べてみようと、韓国食品研究院のチャン・デジャ先生に韓国に伝わっている唐辛子の由来について、直接聞いてみました。

1943年に発行された「故事通」という韓国歴史を記す書物に、ヨーロッパの唐辛子がタバコとともに文禄慶長の役の際に日本軍が持ってきたという内容が記載されており、1614年に書かれた「芝峰類設」という韓国で初めての百科事典にも「“倭芥子(唐辛子の別名)”の“倭”から日本から唐辛子が入ってきたといえる」とする記載がされ、また1978年に発行された「高麗以前の韓国食生活史研究」で、朝鮮出兵のときに武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵が持ち込んだのではないかという伝来理由が記載されており、韓国ではずっと唐辛子の“日本伝来説”が通説となっていました。

しかし、数千年前からある山椒や胡椒を使用していた白キムチやトンチミ(水キムチ)が、唐辛子が入ってきたことでここ100~150年ぐらいのあいだに完全に唐辛子のキムチだけとなり、またキムチの種類も急激に増えていったのかという疑問と、日本で1709年に貝原益軒により編纂された本草書 「大和本草」にも唐辛子が韓国から伝わったとあることが考慮され、2008年に唐辛子が文禄の役と慶長の役の際に唐辛子が日本から渡ってきたという説は根拠がないということが発表され、その後多くの学者たちにより研究が続けられてきました。

その結果、韓国での最近の有力説としては、現在韓国でキムチやコチュジャンなどに使用されている唐辛子と日本から伝来した唐辛子とは違った種類の唐辛子である可能性が高いという説です。
その理由としては、1433年の文献『郷薬集成方』と1460年の文献『食療纂要』にコチュジャンを意味する“椒醤”という単語が出てきて、古文献を見ると多数“椒”という漢字にハングルで“コチョ(コチュ=唐辛子)”と明記されていたり、韓国でコチュジャンで有名な淳昌(スンジャン)コチュジャンのコチュジャンを“椒醤”と1670年代以降の文献では示されていること、また日本伝来説を通説とするきっかけになった文献の中にある「唐辛子が中央アメリカと日本を通じて韓半島に入ってきた」という部分で、850年の中国の文献「食医心鑑」を見ても“椒醤”という表現がされており、すでにかなり前から中国に唐辛子とコチュジャンの存在があったことなどがその理由となるようです。

これからもっともっと研究が続けられ今後新しい事実も判明するかもしれませんが、数年前まで世界でも唐辛子消費大国の韓国に唐辛子を伝えたのが日本だということが通説だったっていうのもおもしろい話ですよね。

(中嶋一恵)