4月21日に亡くなったキャンディーズのスーちゃん(田中好子さん)をしのんで、テレビで追悼の特集や番組がいくつも放送されていた。
キャンディーズ時代の映像のなかでも印象的なのは、やっぱり後楽園球場で行われた解散コンサート。


後楽園球場。正式名称は「後楽園スタヂアム」。読売ジャイアンツと日本ハムファイターズ(当時)の本拠地球場だったが、87年に閉場された後解体され、東京ドームがその役割を引き継いでいることは、説明するまでもない。
昭和のプロ野球の数々の名勝負、名場面がこの球場を舞台に繰り広げられた。キャンディーズもそうだが、スコアボードや人工芝、照明など、多くの人が、球場の情景ごと記憶に残っている場所なんじゃないだろうか。

野球観戦やコンサートなど何度となく足を運んでいるけれど、そういえば後楽園球場そのものがあった場所を意識することってなかった。
東京ドームは後楽園球場のあった場所に建て替えられたのではなくて、すぐ隣に建てられ、2つの球場が並んで建っていた時期もあったわけだから。

現在の東京ドームシティの、どこあたりがかつての後楽園球場のあった場所にあたるんだろうか。
東京ドームシティを運営する株式会社東京ドームにたずねてみたところ、
「東京ドーム22番の正面ゲート前の広場から、プリズムホール、東京ドームホテルのあたりにかけてがそうですね」
とのこと。

JR水道橋西口から、歩道橋を渡る。歩道橋を渡りながら「黄色いビル」が見え、奥にドームの屋根が見えてくると、用事はなくてもなんとなく高揚感がある。
右手側に高くそびえる東京ドームホテルのあたりがかつての外野スタンドだ。
ここがスタンドで、ここらへんに照明があってとか、頭の中で景色を変換させてみると、なんとなくホテルの外観も、球場外周の曲線に見えてくるような気もしてくる(建物の高さはだいぶ高いですが)。

とはいえ、そこに後楽園球場の外壁の一部が残っているとか、そういったわけではない。東京ドーム担当者によれば、後楽園球場の施設として現在残っているのは、ドーム内にある野球体育博物館の中、休憩所のところに、旧後楽園球場のスタンドのシートと、ダッグアウトのベンチが移設されていて、来館者はいつでも座ることができるとのこと。

敷地内をあれこれ歩いていると、ホテルとプリズムホールの間の道に、レンガ造りの瓦礫のようなものがオブジェのように展示されていた。そこにはこう記されている。

「旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ」

そう、後楽園球場よりもさらに前、明治から昭和初期にかけて、ここには日本陸軍の兵器や金属製品を製造する工場があった。
レンガの解説文によると、2000年にホテル建設の際に出土、採取されたそう。さすがにここに兵器工廠があったといわれても、実景の実感が何もないけれども。
ちなみにここがセンターの定位置あたりなんだそうで。
さらにさかのぼる。自宅にあった東京の古い地図を扱った本でこのあたりを見てみると、「水戸殿」という大きい表記が。東京ドームやホテルだけでなく、ラクーアや、都立庭園の小石川後楽園あたりまで。
この周辺一帯は、かつて水戸徳川家の上屋敷だったのだ。

さて、あらためて正面ゲート前の広場に立ってみる。このあたりがかつての内野。このへんがバッターボックスかな、と立ってみて、かつてのスコアボード付近(ホテル方向)をにらんでみたり、今度はマウンドからホームベース付近を見て、「行くぞ、王!」みたいな投手気分になってみたり。ちょっとイタそうな気もするが、けっこう楽しい。長嶋茂雄の「わが巨人軍は永久に不滅です!」気分も、キャンディーズの「本当に私たちは幸せでした!」気分も、頭の中の後楽園球場で味わえます。


今度東京ドームシティに行った際には、かつての後楽園球場のあった場所、感じてみてはいかがでしょうか。
(太田サトル)