パンダはかわいい。と、わたしたちは当たり前のように思っているが、じつはそこにはちゃんと理由があるらしい。


パンダの主食はご存知のとおり竹である。竹は当然ながら硬い。それを噛み砕くためパンダのあごの骨と筋肉は著しく発達し、ほかのクマの仲間とくらべても大きな頭を持つことになった。もっとも、クマを含め多くの動物は子供のときにはみな頭が大きいのだが、成長にともなってさらに頭が大きくなるということはない。

子供時代に特徴的な「大きい頭」、これはベビーシェマといって、動物が本能的にかわいいと感じる要素だという。大きくなってもベビーシェマが維持されるパンダをわたしたちがかわいいと感じるのは、やはり当然のことなのだ(なお、ここまでは以前エキレビ!でもとりあげたNHK・BSプレミアムの番組「いのちドラマチック」のパンダ編からの受け売りである)。


さて、「八重歯がかわいいのはパンダがかわいいのと同じ」と主張するのは、このほど著書『八重歯ガール』を朝日新聞出版から上梓したサラリーマンライター・前川ヤスタカである。これまでブログ「八重ガ~八重歯ガールの全て」のほか、「タモリ倶楽部」や当エキレビ!のインタビューでも八重歯のすばらしさを語ってきた前川だが、本書はその一つの集大成と位置づけられそうだ。

この本が出される前提には、「八重歯がかわいいのは当たり前」というのが当たり前でなくなってきたという事実がある(その理由は後述する)。そこで本書ではまず、八重歯をかわいいと思うのは日本独特の価値観であることを確認したうえで、なぜそのような価値観が生まれたのか、いくつかの仮説――【1】身体的特徴説、【2】八重歯「わび」説、【3】高貴な人への憧れ説、【4】少年少女への憧憬説、【5】日本人はもともと歯に無頓着説、【6】アニメ・漫画による記号的八重歯定着説、【7】歯列矯正への抵抗感説――を立てながら説明してゆく。

これらのうち、《日本人は、生え変わり時期の歯並びを思わせる八重歯を幼さや若さの象徴として愛する》ためと説明される「【4】少年少女への憧憬説」あたりは、先述の“パンダがかわいい理由”とちょっと重なるかもしれない。

「【2】八重歯「わび」説」もユニークだ。
これは《日本人は元来不揃いなもの、不完全なものに美を見出す傾向があり、八重歯もその一環したと好まれた》とする説だ。ここで、小説家・谷崎潤一郎の《元来日本では八重歯や味噌ッ歯の不揃いなところに自然の愛嬌を認めたもので、あまり色の真っ白な歯がズラリと綺麗に並んでいるのは、何となく酷薄な、奸黠(かんかつ)残忍な感じがするとされたものだった》(「懶惰の説」)という文章が引き合いに出されているのにはうならされる。

全体を通していかに著者が八重歯を愛しているのかはっきりとうかがえる本書だが、とはいえそれは偏愛や溺愛といった類いのものではない。著者は八重歯への愛を語っても、前出の谷崎のように整った歯列を貶めるようなことはけっしてしない。むしろ、八重歯を絶対視せず、きわめて広い視野でとらえていることこそ本書の特長といえる。たとえば、日本以外で八重歯が好まれる国はほぼないに等しいとしつつも、欧米の一部(とくにフランス)では、前歯に隙間のあるいわゆる隙っ歯が、隙間から幸福が入ってくるという意味で「幸せの歯」として歓迎されたりもしていることに着目する。
隙っ歯も歯列が整っていない点では八重歯と同様だ。しかし、バネッサ・パラディやマドンナといった隙っ歯の有名人たちはそれを卑下するどころか、ドヤ顔ですましているではないか。その精神は日本人も見習うべきだ、と著者は書く。

《歯並びについては世界の様々な国で様々な価値観があります。八重歯や隙っ歯の例でもわかるとおり、ある国では歓迎されるものが、ある国では否定されていたりします。それはその国の文化的背景を背負って発展してきた価値観そのものです》

だからこそ、日本人は八重歯を恥と思わず、「これが日本の価値観じゃい」と八重歯で笑っていればいい、というのだ。


著者の視野の広さ、柔軟さは、歯列矯正に対する考え方にも表れている。じつは著者自身も八重歯であるがゆえ、歯のあいだに食べ物が挟まりやすいなどといったその不便さも重々承知している。そもそも歯は体の重要な器官なのだから、その機能が充分でないという理由で矯正をする分にはまったく否定はしないという(なお本書には、八重歯と矯正などについて歯科衛生士の答えるQ&Aコーナーも設けられているので参照されたい)。

それでも著者が八重歯のすばらしさを一冊まるまる使って訴えるのは、近年、日本でも八重歯に対する風当たりが強まっているからだ。歯科医のなかにも、機能面以外の理由をもって治療を強いる医師がいるというし、ネットでも「八重歯は欧米ではドラキュラといわれる」などといった罵詈雑言に近い発言を目にする機会が増えているようだ。ネット上で起きたバッシングとしては、八重歯をチャームポイントとしていたある声優が、ネット上でその歯並びの悪さを指摘されたあげく、結果的に歯科矯正をしてしまうというできごともあった。
こうした偏った審美観から八重歯を否定する動き(著者は「ネット歯列右翼」などと呼んでいる)に対し、一つの価値観としてこれを認めようというのが著者の立場といえる。

本書では、八重歯の歴史をもっと深く見るべく、「八重歯ガール・いまむかし」と題して、戦前から現在にいたるまで人気を集めた八重歯ガールの変遷をたどるほか、最近脚光を浴びている「付け八重歯」について、これを日本で初めてサービスとして始めた歯科クリニックの院長と理事へのインタビューも収められている。このうち「八重歯ガール・いまむかし」の章では、山口百恵や川島なお美など、「え、あの人も八重歯だったの!?」という発見もたくさんあって楽しい。川島なお美といえば、川島の出世作であるテレビ番組「お笑いマンガ道場」で司会を務めた柏村武昭もまた八重歯だったことを思い出した。たしか「マンガ道場」の何回目かの記念特番で、柏村氏が番組に出始めた頃の自身の顔写真を見せながら、「この八重歯、とっちゃったんですよねー」というようなコメントをしていたのを憶えている。

しかし八重歯の歴史を語るうえでやはり外せないのは何といっても、元アイドルで女優の石野真子だろう(前川は、西暦がキリスト生誕を境に紀元前・紀元後に分けられるように、「石野真子以前・以後」で大きく分かれるとまで書いている)。
というわけで、本書の巻末には、八重歯史の最重要人物として石野へのインタビューが収録されている。そこでは、石野本人は八重歯に対してコンプレックスに近い感情を抱いていたことや、ファンのあいだで流布している「八重歯でコップを割った」という伝説についてその真相が明かされていたりして、これまた興味深い。

ところで、本書のまえがきでは、日本書紀や古事記にも登場する仁徳天皇の孫「市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)」の「押磐」が八重歯であることにも触れられている。ただ、それ以降、明治にいたるまでの八重歯史がすっぽり抜け落ちているのが惜しい。たしかに著者がいうように、お歯黒という風習があったりして、近代以前の日本人は歯に対し全般的に関心が薄かったのかもしれない。しかし、そのなかで八重歯がどのようにとらえられていたのか、すでにそれを愛でる人たちはいたのか、非常に気になるところではある。ここは、歴史学者や国文学者などの協力を得つつ、八重歯研究のいっそうの発展、深化を期待したい。(近藤正高)

なお、本書の刊行を記念して、2012年1月20日(金)、東京・阿佐ヶ谷のロフトAで「第3回八重歯決起集会」の開催が予定されているほか、本書のコラボ番組として「八重歯ガールズコネクション」の放映がスカパー!663チャンネル「PigooHD」で始まっている。