この年明けよりNHK大河ドラマの新シリーズ「平清盛」が始まっている。その主人公はタイトルどおり平安時代末期の武将だ。しかし考えてみたら、平清盛って、何をした人なのかよくわからない。いや、それまでの貴族が政治の実権を握った時代から、武士の時代への扉を開いた人だという、小中学校の歴史の授業レベルの知識はあるのだが、彼が何をモチベーションとしてそこまでやってのけたのかというと、説明できる人は案外少ないのではないだろうか。
ここでいうモチベーションとは、戦国時代後半の武将たちにおける“天下統一”、幕末の志士たちにおける“倒幕”といった類いのものだ。それが清盛の場合、すぐには思いつかない。保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)を経て、1167年に当時の政治のトップである太政大臣にまで登りつめた清盛は、娘を天皇家に嫁がせるなどして積極的に摂関制という既存の体制のなかへ入りこもうとした。そのため、清盛については「武士として独自の政権を確立したわけではない」といった見方が学界でも長らく根強かったようだ。
ただしあれこれと調べてみると、最近では、清盛は福原(現在の神戸市内)に新都と港の建設を推し進め、これに加えて厳島神社や九州の大宰府を拠点とした西国政権の確立をめざしていたとする説が歴史学の趨勢らしい。與那覇潤『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』によれば、清盛がめざしたのは、宋との貿易を通じて日本国内に外貨を大量に流入させ、農業と物々交換に立脚した古代経済を一新し、かつ荘園制に立脚した既存の貴族から実権を奪い取ることだったという。これに危機感を抱いたのが、国際競争に適した主要産品を持たない源氏をはじめとする東国の武士たちである。彼らはやがて、荘園経済で利益を得ていた貴族や寺社勢力と手を組むことで平家を滅亡に追いこんだ。これこそ源平合戦の実態であった、というわけである。