■村上龍『69 sixty nine』
「坂道のアポロン」の主人公・薫たちが通う「佐世保東高校」は、実在する長崎県立佐世保北高校をモデルにしているとされる。佐世保北高校といえば、やはり村上龍の『69 sixty nine』(1987年)をとりあげないわけにはいかない。同作はタイトルどおり1969年、村上が高校3年生のときの体験をもとに書いた小説だ。単純計算すると、薫や千太郎は1966年に高校1年生だったから、村上龍は彼らの1学年下ということになる。しかし、『69』に書かれている高校生活は『坂道のアポロン』とはずいぶん違っている。それには時代背景も大きく影響しているのだろう。
「坂道のアポロン」の第9回では、米軍佐世保基地への原子力空母エンタープライズの入港に反対する学生たちの姿がチラッと出てきた。これが1968年1月のこと。当時アメリカが介入し泥沼化していたベトナム戦争、それに日本が加担することへの懸念が、当時の若者たちをこうした活動に走らせたといえる。同月には東京大学の医学部での処分問題に端を発し学生と大学当局が対立、いわゆる東大紛争が始まっている。
このような若者たちの異議申し立ての動きは全国各地に広がり、大学ばかりか高校でも生徒たちによるストライキやバリケード封鎖などが発生するようになった。『69』の作中でも、著者の分身であるケンこと矢崎剣介を中心に男子生徒らによって、夏休みを前に高校のバリケード封鎖が決行され大騒ぎとなる。「坂道のアポロン」では薫と千太郎の出会いの場となった同じ高校の屋上に、その3年後には「想像力が権力を奪う」という垂れ幕が掲げられることを思うと感慨深い。
当時の高校生たちの政治活動についてまとめた小林哲夫『高校紛争 1969-1970』(2012年)には、実際に起きた佐世保北高校での紛争の要因は、長崎での国民体育大会に地元高校生たちが駆り出されることへの反発であったと書かれている。『69』でもケンはたしかに「長崎国体粉砕」をスローガンに掲げているのだが、それはあくまでタテマエ。そこには女の子にモテたいという下心があった。
村上龍の多くの作品の主人公たちがそうであるように、『69』でも主人公ケンの行動は快楽原則に貫かれている。それゆえに彼は学校行事であるロードレースもサボるし、自分で考えて行動のできない人間は徹底してバカにする。作中ではバリ封直後、生徒会書記長がケンの胸ぐらをつかんで、「お前がしたとやなかやろね」と迫り寄る場面が出てくるが、エピローグではその書記長の後日談として《京大在学中に赤軍派に入り、シンガポールで逮捕された》と皮肉っぽく記されている。ようするにケン=村上は、体制側か反体制かに関係なく、この手の「ものごとを信じやすい」人間が大嫌いなのだ。
前出の『高校紛争』では、村上の高校時代からの友人が《『69 sixty nine』の九割は本当の話です》と語っている。《私は教師よりも村上の話がはるかにおもしろかった。
■芦原すなお『青春デンデケデケデケ』
「坂道のアポロン」とほぼ同時代を舞台に、音楽に打ち込む高校生たちを描いた小説といえば、芦原すなおの『青春デンデケデケデケ』も思い浮かぶ。1990年に文藝賞を受賞し、翌91年初めに単行本化、その年上半期の直木賞に選ばれた作品だ。個人的に中学時代にこの本をリアルタイムで読んで熱中したものである。そういえば、この年の紅白歌合戦では同作のタイトルの「デンデケデケデケ」の由来となった楽曲「パイプライン」の本家本元であるベンチャーズが出場、ゲスト審査員を務めた著者の芦原と対面を果たしている。
同作は、四国は香川県観音寺市(時期的には1965年春から68年初めにかけて)を舞台に、ロックバンド“ロッキング・ホースメン”を結成した男子高校生たちを描いたものである。21年前に読んだときはあまり気にならなかったが、今回再読してちょっと違和感を覚えたことがある。それは彼らのバンド活動に対し大人たちがとても協力的だということ。教師たちも、楽器購入のためバイトに行った町工場の人たちも、出てくるのはとにかくいい人ばかり。当時、長髪でエレキギターといえば不良の代名詞だったはずだが、そういう描写はこの小説には一切出てこない。これには土地柄も影響しているのだろうか。
あと再読で印象に残ったのは、メンバーのひとりが想いを寄せる女子生徒のために、彼女の好きな三田明の「美しい十代」をバンドで練習するくだりだ。考えてみれば、この時代は三田明や、あるいは橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦ら“御三家”の全盛期。どんな時代でもあとになって振り返ると、そのときどきの最先端のものばかりが語られがちだが、60年代当時ロックにハマっていた高校生というのはむしろ少数派であり、大半の同世代は歌謡曲を聴いていたのだろう、ということがこの小説からもうかがえる。
■松本隆『微熱少年』
「坂道のアポロン」や『青春デンデケデケデケ』と舞台となる時代はほぼ同じながら、作詞家・松本隆の自伝的小説『微熱少年』(1985年)に出てくる男子高校生は、九州や四国の高校生たちとはひと味違う。なにしろ名門大学の付属高校に通う主人公の「ぼく」(おそらく松本自身がモデル)は、東京タワーの見える自分の部屋で、3つ年上の女性とさっさと初体験を済ませてしまうのだから。
「ぼく」もまた同級生たちとバンドを組んでいるのだが、彼が音楽を始めたのはモテたいという以上に、純粋な音楽への思い入れがあったようだ。そのことは、想いを寄せる同い年の女子高生に対し、サイモンとガーファンクルの曲について《辞書をひいて調べたらびっくりしたんだ。サウンドだけ聞いてると普通のよく出来たヒット曲って感じがするだけだろ。でも詩を読むととても深いんだ。今はまだ外国の曲のコピーしか出来ないけど、いつかは自分で作ってみたい。メロディーは苦手だけどね、詩なら書けそうな気がする》などと語っていることからもうかがえる。
この小説のラストシーンは、1966年に開催された日本武道館でのビートルズのコンサートだ。
この作品では随所に、路面電車の走る東京の風景が描写されている。しかしその風景もこの時期を境に消えていくことになる。70年代にバンド“はっぴいえんど”のメンバーとして、そんな失われた風景への郷愁を歌詞にした松本だが、私は『微熱少年』をその小説版としてつい読んでしまう。
■マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』
最後に、「坂道のアポロン」のモチーフであるジャズに関する本を紹介しておきたい。思えば、数ある洋楽のジャンルのなかでも、ジャズは日本人にとって格別な意味合いを持ったものだった。思いつくだけでも、現存する芸能事務所には元ジャズメンが創業したところが少なくないし、タレントでも大橋巨泉はジャズ評論家出身、タモリは早稲田大学のジャズ研究会出身で、ジャズピアニストの山下洋輔に才能を見出されて世に出てきたことはよく知られる。ビートたけしも60年代末、新宿のジャズ喫茶でバイトをしており、その店の常連客のなかには、のちに作家となる中上健次もいたという。作家でいえば、村上春樹も学生時代にジャズ喫茶を開店、作家になってからもしばらく営業していた。このように、日本のサブカルチャーの歴史のかなりの部分が、ジャズをキーワードに語れてしまうのはやはりすごいというしかない。
マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化――映画・文学・アングラ』(2005年)は、そのタイトルが示すとおり戦後日本におけるジャズの受容の歴史をたどったものである。この本でとくに面白いのは、ジャズ喫茶での日本独特のしきたりに触れたくだりだ。
本書ではまた、ジャズをとりあげた日本映画や小説がたくさんとりあげられている。演奏シーンをはじめ本気でジャズに取り組んだ「坂道のアポロン」もまた、こうした諸作品の系譜につらなるものではないだろうか。そんな歴史を思いながら、明日の一挙再放送を観るのも一興かもしれない。(近藤正高)