運動神経があるって素晴らしい、とそんな彼女の後姿を5分走っただけで顔面蒼白になりそのまま呆然と見つめていたが、普段からあまりの私の鈍くささを見かねていた同僚が先日、『大人の「運動音痴」がみるみるよくなる本 いまからでも遅くない!』を薦めてくれた。その帯に書かれた一言に衝撃を受けた。「運動神経がない、は思い込みだった!」……。本当なのか! 朗報すぎる!そこで早速、著者の深代千之さんにお話を聞いてみた。
35年もの長きに渡り、呪縛のように運動神経がないと思い込んでいたのですが、それは思い込みなのでしょうか?
「私たちは誰でも、利き手と非利き手があります。なぜか利き手は「生まれつき」だと信じている人が多いのですが、利き手を骨折したりして長い期間使えない場合などは、非利き手での箸を使ったり文字を書いたりする巧みさが向上してきます。つまり、利き手と上手な動きは生まれつきではなく、生まれた後の環境つまり練習によるということなのです」
なるほど!思い起こしてみれば、小学生のときに利き手を骨折した際、最初は大変な思いをしていたが、だんだんと動作に慣れてきて最後にはお箸を上手に使えたり、授業のノートも利き手ではない左手で取れるようになっていたことを思い出した。
深代さんによると、プロのスポーツ選手も一般の人たちもスタートラインは同じで、その後の経過や環境、努力によってその位置まで到達するようになったとのこと。
しかし、今までプロスポーツ選手として活躍する方々を憧れのまなざしでテレビ越しに見つめていた身としては、彼らと自分が同じスタートラインから出発しているとは到底思えない。
深代さん、私とプロスポーツ選手の違いは何なのでしょう?彼らのように楽しそうにスポーツをするにはどうしたらいいのでしょう?
「私たちが何かに夢中になってしまうのは、褒められたり、他人よりも自分が輝けると確信できたりするからだと思います。なので、巧みさの向上に関しては、「褒める」ことが教育の基本であると考えます(筋力や持久力を高めるトレーニングは叱咤激励が必要ですが……)」
そうか、彼らは褒められそしてそのことに喜びを感じ、さらにたゆまぬ努力をしたからこそ、今のポジションにいるのか。運動神経が悪い、というのは呪縛であり思い込みであり、逃げなのかもしれない。思い起こしてみれば、私は両親や学校の先生に運動で褒められたことがない。だからいつしか運動は楽しくない、と思い込んでいたのかも。
しかし、ここまで言われてもネガティブが服を着て歩いているような私は、どうせ私なんて、と思いなかなか最初の一歩が踏み出せない。
深代さん、私のように運動神経がないと長年思い続けてきた人間でも何かから始めることはできますか?
「自転車に一度乗れた人は長い期間を経ても、また乗ることができます。これと同様に、小学生のときに泳ぐことができた人が、定年後またスイミングを再開してもちゃんと泳げる、あるいはケンダマ・ベーゴマ・お手玉…こんな昔遊びを、お年寄りが何十年ぶりかにやってみても上手にできます。つまり、一度覚えた動作は生涯保たれるのです。スポーツのうまさ・巧みさも、このような動作をたくさん覚えているかどうかなのです。今からでも、一人でできる昔遊びに夢中になってみるのも、学びそびれた大人にはよい挑戦ではないでしょうか?」
一度できたことは、確かに体が覚えているかも!ということで、早速会社の同僚を誘って仕事帰りにバッティングセンターに行ってみた。
そう、楽しいと思えたのでまた行こうと思えた。無理に健康のためにやらないと!と自分を追い込まず楽しいと思えたら続けてみる。それが大人の運動音痴を解消するコツなのかも。
みなさんもまず、楽しいと思えることから初めてみてはいかがだろうか。これからの季節は、運動後のビールがおいしい!という理由だけでもきっと十分だ。
(梶原みのり/boox)