連ドラでは、鎌倉のシャレた古民家に暮らす45歳のテレビプロデューサーの独身女・千明(小泉今日子)と50歳の市役所職員のシングルファーザー・和平(中井貴一)の、くっつきそうでくっつかない関係のもどかしさがたまりませんでした。最終回でやっとお互い「好き」を認めたのかな……? と思わせながらフェイドアウト。ファンはその先が気になってたまらなかったわけですが、その続きがついに!
スペシャルドラマの舞台は12年の夏の終わり、千明と和平は相変わらずの関係で、仕事のほうがなんとなく思わしくない状況です。千明は仕事が減り、和平は年下の上司に使われる日々。そこへ、千明には、遅筆の売れっ子脚本家(リリー・フランキー)との仕事が舞い込み、和平には、何度も断られている女性小説家(萬田久子)に、世界遺産親善大使をお願いする使命が下ります。
千明と和平、ふたりの恋と仕事はどうなっていくのか。この展開、アラフォー、アラゴー(アラフィフより、アラゴーと私は呼びたいの)には、他人事じゃない問題なんですよ。
このアラフォー、アラゴーあたりの層を、マーケティング用語ではF2層(35〜49歳の女性)、M2層(35〜49歳の男性)と言います。
「最後から二番目の恋」は、F2層、M2層にピッタリな要素が盛りだくさん。
20代、30代前半は欲望や情熱がみなぎっていたり、そこまでじゃなくても、なんとかなると思っていたりしたものの、35歳を超えると、だんだん、仕事で自分ができる限界も見えてきて、恋ももうできないかなあ・・・と、すべてにおいて弱気になってくるものですよね。ふう……。
連ドラでは、そんな人生の過渡期にある千明が、同じ世代の女友達と、更年期の話やお墓の話などをしていましたが、ある時、思いきって東京から鎌倉の古民家に引っ越します。そこで、年下のイケメン(坂口憲二)と恋をして、さらに、50歳の和平とも喧嘩しながら仲がいいというような関係を作っていきます。
第一話のふたりの最初の出会いからケンカでしたが、その時の、空の桜貝のような色がロマンティックなんですよ。
このドラマって、冬の鎌倉の海や山、そこの古民家、うろついてる猫……などなどの風景に、どことない引退の気配を匂わせたり、年下のイケメンが不治の病を抱えているという設定があったり、そこここに陰の部分をふりまいてはいるものの、人生折り返しに来て落ち込んでいる人たちの思索的な話というより、実は、まだ諦めてない人たちの活力ある物語なんです。
だって、ほら、考えてもみてください。35歳くらいまでに、仕事や恋のゴールを決めていなかったということは、もっと先を求めているってことなんですから。
その証拠に、最終回で千明は、
「人生って、自分の未来に恋することなのかもしれない」
と言います。
「最後から二番目の恋」は、未来に恋こがれ走り続けてきて、ちょっと疲れてしまった人たちが、ちょっと休んでまた走り出すドラマです。
だからこそ多くの35歳以上の諦めきれない男女が夢中になるのです。
脚本家は岡田恵和。朝のテレビ小説「おひさま」などヒットドラマをたくさん手がけている人気作家の脚本は、日々の生活で緩慢になったハートをドックンドックン、活発に動かしてくれる、エナジードリンクみたいです。
連ドラ第3話では、こんなセリフがありました。
「ひどいことになったとしても、なんにもないよりいいですよ。なんにもないより、苦しんだりとか、失敗したりとか、そういうほうが面白いですよ」
失敗してもいい。失恋してもいい。とにかく「ファンキー」に生きていこうと千明は考えます。
おもしろいのが「ファンキー」(funky)という言葉。局が違いますが「嵐にしやがれ」での「ファンキーガール、カモーン!」という言葉でおなじみの「ファンキー」。ファンクミュージックから連想する「イカした」「ちょっと変わったかっこよさ」というような意味が主流ですが、ほかに「臆病な」とか「憂鬱な」という意味もあるんです。
ドラマでは当然「イカした」という意味合いで使われていると思いますが、
その一方で、年齢を重ねることや自分に何もないことに怖じ気づくことから、思いきって脱した時に得られる「イカした」感じと考えれば、ドラマの登場人物たちの生き方がより愛おしく思えるような気がしませんか。
ファンクミュージックも、最初から洗練された素敵なものではなく、土着的なところから発生し、かっこいいものとして育っていったもの。「ファンキー」はまさに、ちょっと元気のない人たちに再び元気をくれる魔法の言葉。この言葉を千明の信条として選択した、岡田恵和の言葉のセンスに拍手です。さすが、向田邦子賞や橋田壽賀子賞受賞作家。
それも、千明役が小泉今日子だからこそ「ファンキー」を使いこなせたとも思います。
「最後から二番目の恋」の魅力は、この「ファンキー」という言葉や、前述したセリフやはじめとした数々の名セリフなど、出てくる言葉が生き生きしていたことにあります。
中でも、千明と和平演じる、小泉今日子と中井貴一の名優たちによる会話の応酬が最高に面白く、テレビに集中して見入ってしまいました。
「笑うんだよ、こういうときは。笑うの。笑い話にすんの。そうしないと、心に傷が残るでしょ」というセリフが出てきますが、これも印象的。
千明も和平も、めちゃくちゃたくさんしゃべります。明るく。表層的に。でも、それって、しゃべることで、気分の落ち込みをごまかしているわけです。
でも、どんなに、かっこいい人生訓を語って自分を鼓舞したって、心の底は疲れているし、自分のダメなとこがわかっていて落ち込んでいます。
そんな、他人には決して見せたくない負の部分を、こと相手が千明と和平になると、思いきり笑い話に昇華できる。テレビのプロデューサーでかっこいい女のはずなのに、改札口ではいつもパスがバッグからみつからないドジな千明をさらけ出せる。素敵な古民家や年下の彼氏よりも、本音を話してちょっとケンカできる相手こそ最高のエネルギー源なのです。
だからこそ、ふたりの会話はいっそう加速度を増していきます。
ふたりは、お互い「好き」であることはほぼほぼ見えているのに、ゴールを決めたらつまらないから、ゴールを引き延ばしながらケンカをし続ける。
彼らにとって、恋とは、自分を活性化させるファクターでしかない(これまた局が違いますが、「鈴木先生」的に言うと「スペシャルファクター」というやつです)。恋愛にそういう楽しみ方ができるのが大人なんですね。
誰かとの会話、それが最高のサプリメントだってことを、「最後から二番目の恋」は示してくれました。
と同時に、2000年代以降のドラマが進化したビジュアル的な演出に頼っていた中、昔ながらの会話劇の復権を感じさせたのです。
思えば、今年人気だったフジテレビドラマ「リーガルハイ」や「リッチマン、プアウーマン」などにもこの会話劇復権は引き継がれています。現在放送中の「遅咲きのヒマワリ」にもそれが感じられます。
さて、2012年会話ドラマの王者とも言える「最後から二番目の恋」のスペシャル「最後から二番目の恋 2012秋」は、どんな会話でドキドキさせてくれるでしょうか! そして、見終わったら、感想をネタに誰かとファンキーに会話できたら楽しいですよね。
(木俣冬)
*注 文中の岡田恵一の恵は 一が多くある恵