同世代と、学生時代の話題になったりするじゃないですか。その日は「放課後、どこに遊びに行ってたか?」という話題に。

まぁ、それぞれの地方で盛り場があるわけだけれども、結局は飲食店でダラダラしてしまうのが全国の学生共通のコースなようで。「私はやっぱ、マックかなぁ」、「ジョナ(ジョナサンのこと)、行ってましたよ」、わかる。私も行ってた。でも、ここで会話の風向きを変えたい。ヤマっ気を携え、こんな意見を投下してみました。
「俺、山田うどん行ってたよ」。

……おかしい。リアクションが薄い。同意でも嘲笑でもいいから、何かしら返して欲しいのだけど。もう一回、言ってみた。「山田うどん、行ってたよ」。
この提案に対する返答が、完全に想定外だったのです。
「なんですか、それ?」

どうも、特に地方出身者は「山田うどん」を知らない人が多いらしい。てっきり、全国に拡大され切っている飲食チェーンだと思っていたのだけど。しかし、そうじゃない。それどころか、ほとんど“埼玉ローカル”と言っても差し支えない程の規模だとも聞いてしまった。
マジか。要するに「十万石まんじゅう」と同じくらいの浸透度なのかしら? 言い忘れましたが私の実家は埼玉県さいたま市(大宮)にあり、近所には日本大学法学部のキャンパスがそびえ立つという環境であります。
わかる人にだけ伝えると、近所には寂れた「山田うどん」が“デン!”と居座っていて。そういや高校近くの国道沿いにも、山田はあった。そこでよく、生姜焼き定食を食べたもんだ。うどん屋さんなのに。

もう、私の中では盤石の存在。間違いない。
昔も今もこの先も、あって当たり前のお店だと思っていました。
「パソコンの前に座った。検索してみる。と、何ということだ、トップの検索ガイドに『山田うどん まずい』が出ている」
なんだよ、それ! 青春を否定された気になってきた。あっ、ちなみに上記の文章は、今話題になっている書籍から引用した一節です。その名も『愛の山田うどん 廻ってくれ、俺の頭上で!!』(河出書房新社)なる一冊。
言わずと知れた名ライター、北尾トロ氏とえのきどいちろう氏による共著であります。

若き日のご両人も「山田うどん」にお世話になった時期があるという。そして、共通の話題である「山田うどん」で、不意に盛り上がる。そして昔の恋人と再会したような感覚で「山田うどん」をリサーチ。すると、昔の恋人の悪評がネット上にはゴロゴロしていて……。なにせ、ヤフー知恵袋では「山田うどんなくなっていいですよね? あんなにまずいもの食べられません」なる、あまりにもな質問が寄せられていたのだから。


居ても立ってもいられなくなった二人は、すぐさま今の「山田うどん」の味を確認しに行った。
「僕は箸をつけてみた。ん? おんなじ?」(えのきど氏)
「好ましいまでの普通のうまさだ。疑ったりして悪かった。僕は心の中で山田に謝った」(北尾氏)
ここで、ある仮想敵が二人の中で浮上する。……さぬきである。

ここからの二人は、もはや待ったなし。完全に、後先を考えちゃいない心理に突入していく。
「(うどんを)地域の広告塔にしようと下品な動きに出た犯人は行政だ」
「うどん県だと? 郵便がうどん県宛に届くようにするだと?」
「『う~ん、コシが違うぅ』『つるつるシコシコよ』ってか。ふざけるんじゃない。そんなにコシが好きなら一生冷凍うどん食ってろ」
誤解しないでいただきたいのだが、何もさぬきを完全否定しているわけでない。全国には様々なうどんが存在しており、中には麺がヤワヤワなうどんも見受けられる。……というか、本当はそっちの方が多数派。しかし、地域の好みに合わせて確立された“うどん文化”の均衡を崩してまで全国制覇を狙いに行く、本来は異端であったはずのさぬきの行いに、彼らは憤りを覚えているのだ。

言うまでもなく、山田の麺はヤワヤワである。なるほど。「うどんにはコシがなくっちゃ」という意見に慣らされてしまったからこそ、「山田うどん まずい」の状況に行き着いてしまったワケだ。
この風潮を払拭すべく、彼らは行動に出る。レギュラーとして出演しているラジオ番組で「山田うどん」の良さを何週にも渡って訴え続けたり、雑誌で「“山田うどん まずい”をぶっ飛ばせ!」なる特集を組んでしまったり。しかもこれら、山田うどんには伝えずに行なっている運動である。完全なる無断。
でも、相思相愛だった。ある日、彼らのもとに一通の知らせが届く。
「弊社社長の山田裕朗が御礼に伺いたいと申しております」
山田うどんからのメールであった。早速、彼らは山田うどんの本社(埼玉県所沢市)に赴く。「さぬきだけがうどんではない。埼玉だってうどん県だ」の思いを胸にして。

……熱くなりすぎた。少しでも興味を持たれた方は、是非ともこの一冊を手にとっていただきたいのです。これ以上書くと、完全にネタバレになってしまいそうだし。
ただ、もうちょっとだけ紹介させてください。ざっと流れを説明すると、
・初接触のその日に社長だけでなく会長にも会うこととなる、あまりにもな山田のフランクさ
・埼玉県の学校給食に、山田が「ソフトめん」を納入していたという事実
・山田の麺(もちもちした食感で柔らかい)と埼玉の土壌との因果関係
・70年代、日本で初めて“回転看板”をアメリカから持ち込んだ山田の先進性
・「田舎」を「郊外」に塗り替えていった山田のクリエイティビティ
・キッコーマンと二人三脚で作り上げられた、山田うどんのつゆ
なるヨダレものの情報が、同書には記されておりました。たまんないね。

いや、こんな簡単にまとめちゃってるけど、その行いは山あり谷ありだったのです。中でも最大の事件は、同社会長である山田裕通氏の逝去だろう。何しろ、会長からは一度しか話を聞けていなかったのだから……。
「もう、あの人に会えないのか。本当の一期一会だったのか。二人で落ち込んだ。まいった。とにかくいい本を作らねばならない」(えのきど氏)
ご遺族から形見分けとして、存命中の会長が使っていた仕事着まで受け取っている。結果、何とも言えない“楽しさ”と“哀愁”と“新事実”に満ちた一冊が出来上がったと思う。

そして、この本の反響について。どうも、通常の書籍とは違った売れ方をしているようです。
「通常の本は基本的には47都道府県に満遍なく配本するものですが、今回は埼玉、そしてその以北の北関東3県、東京の多摩地方。つまり山田店舗のある地域にかなり重点的に極端な配本がなされて、実際にその重点地域でよく売れています。埼玉の書店さんによっては、週間ランキングに入りました」(河出書房新社・武田さん)
なるほど、納得の分布図。確かにいきなり九州人に山田うどんの本を見せても、それはただの突拍子もない行いだろうし。

そしてもう一つ、山田の素晴らしさを物語っているエピソードを……。
「この数年、飲食業界とのタイアップ本があちこちで相次いでいます。ああいった本というのは、どうしても企業側からの規制が多くなり、ブランドイメージを最優先するため、調整すべきことが多々生じます。『あれを差し替えて下さい』、『チェックさせて下さい』と。山田はそういうのが……、一切無いのです(笑)」(武田さん)
山田側が確認を欲したのは、社長のインタビューと年譜の部分のみ。「確認しなくていいんですか?」と逆に念を押すも「いや、大丈夫ですよ」と、まるで動じない。これは、極めて異例なことですよ!
「そういう対応もあって、企業側と著者側が譲り合って熱が冷めてしまうことがなく、暑苦しいままのラブレターのような内容が保たれたのが大きかったです」(武田さん)

そんな社風に惹かれてか、昨年11月に開催されたイベント「第1回山田うどん祭」には、山田の根強いファンが総結集している。
「昼過ぎからのイベントでしたが、朝から3軒もの山田うどんに立ち寄って来た人、阿佐ヶ谷での開催なのに高崎から来てくださった人。本当にコアな“山田者”が集いました」(武田氏)
ちなみに2月11日には「第2回山田うどん祭」が、なんと「山田うどん」の入間工場にて開催されるという。いよいよ、山田の心臓部にてファンの集いが!

もう、アレじゃないですか。「大ピンチ」どころか「大チャンス」じゃないですか。山田うどんの歴史は、これからも未来永劫続いていくのだ。
(寺西ジャジューカ)