子供のころ、何作か見て、いつの間にか見なくなっていたドラえもん映画。子供ができて、また見るようになった。
自分でも物語を作る立場になってみるドラえもんは、子供の頃とは違って、作り手側の事情や気持ちや意地がすこし透けて見えるようで、熱い。

今年の「のび太のひみつ道具博物館』」は、22世紀が舞台。歴代の秘密道具がすべてある「秘密道具博物館(ミュージアム)」で、怪盗DXに盗まれたドラえもんの鈴を探す話。
ドラえもん映画の定番の構成というのは、おおむね決まっている。

 ゲストキャラ登場
  ↓
 パラレルワールドの危機
  ↓
 仲間と力を合わせ巨悪と闘う

今回の劇場版は、この構成からことごとく逸脱しているのが特徴。
ゲストキャラはいるけど、ゲストキャラはのび太たちと友情を育む、というよりは、自分自身の抱えている問題をクリアするのに一生懸命。舞台だって、パラレルワールドではなく、ドラえもんの作中では慣れ親しんだいつもの22世紀だ。そしてなにより、いちばんの違いとして「巨悪」が登場しない。
だからって、のんびりした日常系ほのぼの話なわけじゃあない。のび太たちは、ちゃんとハラハラドキドキの冒険をする。ドラえもんは、ある事情から、四次元ポケットを封じられ、限られた道具と時間の中で、知恵と勇気をふりしぼる。そして立ち向かうのは、地球滅亡の危機。

かっこいいジャイアンも、泣きべそかきながらがんばるスネ夫も登場する。ドラえもん映画で、何かと戦うシーンと言えば、空気砲とヒラリマントが定番だけど、今回は、ドラえもんがアグレッシブに肉弾戦をする。ぐるんぐるんまわるカメラアングルにスタッフの気合いとノリを感じる。定番のしずかちゃんのお色気シーンもちゃんとある。そして最後には、のび太とドラえもんが、友情を再確認する。
コミックス1話目のシーンが出てくるのも、オールドファン泣かせだ。
(しかも今どきの映像クオリティだから、くるものがある)
定番の構成から、逸脱しているのに、ちゃんとこれはドラえもんの劇場版だ。

敵と戦う中で、目標をひとつにし、力を合わせて勝利する。
もちろんそれはそれで、すばらしいことなのだけれど、もしその敵がいなかったらどうなるんだろう。
敵がいないと友情は成立しないの?
そんな疑問にひとつ答えを出したのが、今回の劇場版のように思う。

他にもSF的設定の強化、という視点でもおもしろかった。
「あと100年で秘密道具は無理だろう」という誰もがつっこみすらしていなかった疑問点に「起爆剤となる、ある発明があった」というミッシングリングを提示した、のはドラえもん史に残ることじゃなかろうか。

またドラえもんのあの鈴、何かの拍子のわりと外れちゃうものらしく、鈴がとれた状態が長く続くと、理性を失って、猫的な行動が多くなっていく、なんて設定も明らかになった。これなんて、ロボット三原則の問題とあわせて考えるとおもしろい。攻殻機動隊2『イノセンス』では、三原則に違反できないアンドロイドが「自壊」し、人間に反逆するというシーンが描かれた。猫型ロボットには、あらかじめ設計段階からその点が考慮されているようにも読み取れる。

2005年の声優の総入れ替えは賛否両論だった。いや、たぶん否の声の方が大きかった。その声は、とうぜん製作陣にも伝わっている。だからこそ製作陣は、新しいドラえもんを模索してきたのだろう。でもドラえもんは、ドラえもんでなきゃいけない難しさ。劇場版が、安定したクオリティの旧作のリメイクと、オリジナルを交互に作られてきたのも、そういう理由からなんじゃないかと思う。そして今回、はじめての2作連続のオリジナル劇場版製作。
「のび太のひみつ道具博物館」は、勝負のドラえもん劇場版だ。

(小沢高広)
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