先般、エキサイトレビューでは杉江松恋さんが恒例・芥川賞直木賞予想で、みごと藤野可織『爪と目』(《新潮》2013年4月号)の芥川賞受賞を的中させた。
今回、その作品を含む同題の作品集(新潮社)も出たので、読もうかどうしようか迷っている人向けに、この小説家の3冊の作品集をご紹介申し上げたい。


まずは最新刊『爪と目』。芥川賞を受賞した表題作はつぎの一文で始まる。

〈はじめてあなたと関係を持った日、帰り際に父は「きみとは結婚できない」と言った〉。

地の文で二人称の呼びかけ。書簡体小説か? それともいわゆる「二人称小説」か?
読んでいくとわかるが、その両方の要素を持っていて、でもそのどちらでもない。〈はじめてあなたと関係を持った〉とある以上、〈父〉は〈あなた〉のではなく語り手(兼登場人物)の父である。

つまりこの小説は最初の一文を読んだだけで、語り手が自分の実父の愛人であった人物に語りかけている、ということがわかる。たった一文、しかもこの短い文でこれだけの情報を与えられるのだ。
ただならぬ語りの状況である。読者としては「おっ」と身構えてしまう。こういうふうに最初にカスタマイズされてしまった読者は、この緊張感がどこに向かっているのか、つねに気にしながら読んでいくしかない。
『爪と目』は読者をこのように追いこむことによって始まるのだが、それはつまり読者の目にはある種の予告ホームランのようなものとして映る。

ということはこれ、作者自身もべつの意味で退路を断って書いているわけで、このあたりの度胸、肚の据わりっぷりは特筆に価する。

〈父〉の妻(〈わたし〉の母)がマンションのヴェランダで死んだ。〈あなた〉(麻衣)は〈父〉とその幼い娘である〈わたし〉陽菜(ひな)と同居することになる。
〈あなたと父は、よく似ていた〉とあるように、ここに出てくる〈あなた〉、その愛人である〈父〉、一見タイプは違うけれど妙な共通点がある。世界にたいする無関心と、自分がつくりあげる半径10メートル程度の世界への埋没である。
そういうふたりが同棲していたらどうなるか。
おたがい同居している相手にすら無関心なカップルができる。そもそも〈父〉は存命中の妻にも無関心だったのだ。ただ、ここは男女差なのか、作品を読んでいくと〈父〉はおめでたく鈍感に見え、〈あなた〉は壊れた人に見える。

この不穏な家庭がどうなっていくのかが作品のミソで、その意味では正統派のホラー小説である。ホラーらしいカタルシスもある。いっぽう作中には、〈わたし〉が知り得ないはずの〈あなた〉の内面やその実家の母の内面も記され、このあたりは非リアリズム的な現代小説ともいえる。
題名の『爪と目』が、だれの爪とだれの目のことかはここでは書きません。
この作品集には他に「しょう子さんが忘れていること」「ちびっこ広場」という短めの短篇も収録されている。

藤野可織は以前にも一度芥川賞候補になったことがある。そのときの候補作は美術館を舞台とした「いけにえ」(『パトロネ』所収、集英社)だ。こちらはマジックリアリズムというか、シュールな不条理ホラーというか。芥川賞とホラーって相性がいいのかもしれない(小川洋子の受賞作『妊娠カレンダー』がホラーだった)。

「いけにえ」は美術館でボランティアしてる既婚婦人・杉田久子(俳人みたいな名前)と、彼女が〈双子の悪魔〉と名づけた魔物たちとの対決を描いた作品。〈双子の悪魔〉が根城にしているらしいのは美術館のなかの、大正期の不遇の画家・岡田登美乃の作品が飾られている部屋で、画家の作風の暗さもあってこの部屋はどうにも薄気味悪く、画家の霊が出るとまで言われる。
この登美乃というネーミングはセンスあるなー。音読すると悪いことが起こるという都市伝説もある大正時代の詩「トミノの地獄」(西條八十)を想起させるではないか。
ネーミングのセンスといえば「いけにえ」と同じ作品集に収録された「パトロネ」の主人公は冒頭で〈川萩市民公園〉に行くのだが、途中で皮膚病を患って行く病院がその地名をそのままつけた

〈かわはぎ皮フ科医院〉

なのだ。
真顔で冗談を言うこのセンスは「いけにえ」でも発揮されていて、A市現代美術館はポストモダンなルービックキューブに似ているのにたいして、岡田登美乃の作品を収蔵するA市立門野記念美術館は高野豆腐に似ているという設定。
高野豆腐似の建物はどう見てもお洒落じゃないよなあ。

作者の笑いの感覚については、各紙誌に発表してきたエッセイでも楽しむことができる。また昨秋(2012)京都大学でおこなった公開句会「東京マッハ」vol. 6「京大マッハ 第二芸術の逆襲」(with米光一成・長嶋有・堀本裕樹・千野帽子)における切味のいい京言葉でのトークも忘れられない。
トークといえば昨年大阪での「ふるさと怪談」にも出演している。楳図かずおを引き合いに出さずとも、恐怖と笑いとが相性ばっちりなのはみなさんご存じのとおりだ。

最後に、2006年に文學界新人賞を受賞した「いやしい鳥」を含む同題の第一作品集(文藝春秋)について駆足で紹介しておこう。
表題作では男が鳥に変身してしまう。その鳥の鳥っぽさがものすごくナマナマしく書かれている。同時収録の「胡蝶蘭」では鉢植えの蘭が動物を襲い、「溶けない」では母が恐竜に呑まれる。
『いやしい鳥』収録作は、『富江』『うずまき』などの伊藤潤二の漫画を思わせる。ブラックな味わいは、これを猟奇落語とでも呼ぶべきか。

俳句を作り、カメラは趣味の域を超え、トークも歌もうまい(カラオケでは昭和歌謡の造詣を垣間見せてもらったことがある)。藤野可織にこれ以上なにを望むことがあろう?
そうだ。あとは長篇小説だ!
(千野帽子)